僕が。

 昼休みの校内をイライラと大股で歩くアドルフォに、両腕を頭の後ろで組んだノーチェが続く。


「なー、マジ何の用事なわけ?俺さっきからヒトダスケで忙しんだけど」

「嘘つけてめーサボってただろうが!」

「は?サボってねーし」

「ガゼボで昼寝してんのバレリアが見てんだよ!」


 ごちん、とノーチェの頭に拳骨を落としたアドルフォは、先ほどよりも急足で先を歩き始める。これはマジで何かあったかな、とノーチェも駄々をこねるのは止めにして、しぶしぶ後に続いた。


「……ちょっとヤバいことになった。俺だけじゃどうにもならない時はお前が何とかしろ」

「はー?ヤバいこと?」

 ふぁ、と欠伸が止まらない。


(ススピロが指示ミスって誰か薬飲んじまったとか?)

(まー、だとしてもドンマイ以外の感想ねーけど)



 そう。

 このノーチェという男は、結局のところ骨の髄まで裏社会の人間である。


 今回の『帝明の生徒を薬物の手から守る』なんていう任務についても、正直なところやる気など一切湧いてこない。当然だ。平和ボケした日本の学生が何人ヤク漬けになろうが知ったことではない。自分の危機にすら気付かない、呑気な奴が悪いのだ。


(こんなダルいことしてねーで藤野の本拠地ごとぶっ潰せばいいのに。そっちのがこれより幾分マシ。オレ今暇すぎてしにそー。っつか弱くなりそー)


 ふわぁぁ、とここ一番の大あくびをしたノーチェは、アドルフォの次の言葉でうっかり顎が外れそうになった。


「アルバがガキどもに呼び出された」

「あがっ…………、ごめん。何つった?」

「アルバが、リオのクラスのガキどもに、連れてかれたっつってんだよ」


 首領が。クラスの奴らに。ツレテ………


「それ早く言えって!」


 その状況を理解するのに少々時間を要したノーチェだが、理解するなり、目を輝かせて身を乗り出した。


「とろとろしてんなよアド!早く見に行こうぜ!つーか走んね?」

「オモシロがってんじゃねーぞクソノーチェ!!」


 アドルフォが青筋を浮かべていつもの威勢で怒鳴ると、通りがかった女子達が飛び上がって怯え始めた。バカじゃん。お前が一番目立ってるっつーの。


「アルバが暴れたらこんなとこ一瞬で消し炭だぞ……!」

 やや声を抑えたアドルフォが言う。

「オレらだって巻き添え食うんだから真面目にやれ!」

「えー、消し炭とか願ったりじゃん」


 ぶんっ、と飛んできた回し蹴りを屈んで避け、一気に走り出す。久々の高揚感のある展開に、ノーチェは地味なウィッグを押さえて満面の笑みを浮かべた。


 なんの変哲もない平凡な高校生に呼び出され、ナメた態度など取られてみろ。

 あのアルバが、大人しくされるがままになどなっているはずがない。



(ひさびさに、暴れる首領が見れる!)



 ――ここにいる人間、リオ以外全員 ごみ

 これと同じことを、ノーチェ以上に思っているのがアルバなのである。


 塵どころか、リオに危害を一度でも加えた人間たちのことなど次の暗殺対象くらいに考えているかもしれない。まとめて一掃できる手段を探している可能性だってある。


(あん時もやばかったもんなー)


 ノーチェが今脳裏に思い描いているのは数年前の出来事。

 Deseoの戦力を利用しようとしたある国の諜報機関に、リオが拐われたことがあった。


「誰も追って来るな」


 アルバの命令は絶対である。

 それだけ言ってカーサを後にした彼が戻ってくるまでの間。ノーチェをはじめとする誰一人、あのカーサで口をきくものはいなかった。誰もが最悪の事態を想像し、静かに覚悟を決めていた。



「は〜、ただいま〜!」

 大きな音を立てて開いたドアから、呑気なリオの声が聞こえてきたのはそれから三日後のことだ。


「おなかへった〜!バレリアー、ごはんまだある〜?」

 薄汚れてはいたものの五体満足で健康そうなリオの後ろから、こちらも平然とした様子で首領が入ってきた。欠けていたのは、羽織って出て行ったコートだけ。


「てめぇ、さっきケバブ食わせたろ」

「あんなの食べたうちに入んないもん」


 怪我一つなく戻ってきたリオに全員がどっと安心し、寄ってたかって彼女を揉みくちゃにしていた時は、まだ誰も気付かなかった。

 アルバという男の恐ろしさを全員が思い知ったのは、それからしばらくしてからのことだ。




「――――昨夜未明、アイルランドの首都ダブリンで国防省兵站施設を狙った自爆テロが発生し、少なくとも18人が死亡、84人が負傷。事件には国外の過激派宗教団体が関与していると思われ……」




 偶然にもダイニングにいた全員(正しくは、リオと首領以外)が、一瞬で全ての手を止めてテレビ画面に釘付けになった。

 黒煙を上げる建物。逃げ惑う人間たちの悲鳴。


 さらに、事態はテロだけでは収まらなかった。


「……おいおい。すごいことになってるぞ」

 PCに向かっていたファロが呟く。


「アイルランドの医療機関が軒並みサイバー攻撃を受けてる。 ITインフラの80%が機能停止ダウン。必死で対処してるみたいだが明らかに間に合ってない。」

「アイルランドはサイバーセキュリティもそこそこだって、あなた前に言ってなかった?」

 バレリアが尋ねる。

「そのセキュリティが、どういうわけか今グズグズだ。これなら俺でも半日で国のライフラインを断絶できる………もちろん、やんないけどな。


 他の奴はやるかもな、ということである。

 ぱたんとPCを閉じたファロの表情は軽く青ざめていた。

 

 この国は、まさしく今回、Deseoの懐柔を企てた者たちの母体であった。

 誰もが口を閉ざして、ソファにゆったりと腰掛けるアルバを見る。彼の膝の上では、リオがすうすうと安らかに寝息を立てていた。



「………アルバ、念のため聞くけど、あそこの国の諜報機関とか、壊滅させてきたりしてないよな……?」


 アルバは答えない。

 そんなことをすれば、その国はテロリスト――どころではない、諸外国からのあらゆる攻撃を一切予測できなくなる。情報戦が主流の現代の戦争形態においても致命的な痛手。外交にも影響するだろう。

 まさしく、現在のアイルランドのように。


「どうでもいい」


 暫くして、思い出されたように発されたアルバの台詞は、ノーチェを骨の髄まで痺れさせるには十分すぎるものだった。




「こいつ以外、どうなろうがどうでもいい」


 リオの黒く艶やかな髪を指できながら、普段は鋭い眼差しを穏やかに緩めたアルバはそう言ったきりテレビの方にはもう一瞥もくれなかった。


(…………すっげ)


 ぞくぞくと粟立つ腕をこする。

 今思い出しても、あの時の興奮と畏怖は忘れられない。


 アルバにとって、リオは一国を滅ぼしても構わないほどに大切な――――否、そんな陳腐でありきたりな言葉では形容しきれないほどに、愛情と情熱と執着を向けた人間なのだろう。

 リオがDeseoのアジトに訪れてから七年かけて、それはゆっくりと深く重くなっていったのを全員が知っている。



(……アドに言ったらキレられるけど、俺、首領がリオのことでブチギレてんのけっこー好きなんだよな……。そん時が一番クレイジーでぞくぞくする)



 孤児だったノーチェが未だにDeseoにいる理由は、アルバに惚れ込んでいるから以外にない。

 その圧倒的な殺しのセンスと、異常な思考回路に。



(……もし校舎裏が血の海になったら、そん時は俺もついでに首領に遊んでもらおー)


 機嫌良さそうに、ノーチェは手の中の暗器をくるくると弄んだ。




**





 ――――絶体絶命。

 なんて言葉を、ここ数日で何度思い知っただろうか。東は頭の片隅でそんなことを思った。


「………」


 ただ黙ってそこにいるだけで、相手の戦意を根こそぎ奪うような威圧感。

 血のように赤く、吸い込まれそうな瞳。


 額をするりと滑り落ちる汗を拭うこともできず、東は目の前の男をただ見ていた。

 校舎に背を預け、気怠そうに腕を組む男は、まるで自分たちのことなど視界に入れていない。三年の教室に行って呼び出した時も、この男がそれに応じたことに内心でひどく驚いた。


「……お、おい、東。言ってやるんだろ。ミゲルが撫子いじめるのやめさせろって!早く言えよ……!」


 自分と同じくらい青ざめた山口が、つっかかるように近付いてきて焦った声で囁いた。こうしている間も、威勢を込めるために連れてきた数人の男子たちは捨て犬のように縮こまって震えている。まるで役に立たない。


「………黙ってろ、僕だって今考えてるんだ」

「何で先に考えてから呼び出さねーんだよ馬鹿……!」

「馬鹿だと……!?」

「おい」


 ひっ、と誰かが声をあげる。自分かもしれないと思った東の横で、山口が情けなく腰を抜かしていた。


「……用がねぇなら行く」


 こちらを見て苛立たしげに舌を打った男が言い、東は咄嗟に、声を上げた。


「――リオ=サン・ミゲルにこれ以上、好き勝手させるな!!!」


 言ってしまえば、あとは連ねるだけだ。


「これが最後の忠告だ!ここはお前たちの国じゃない。日本の、一流の学生を育てるための学校だ。この学校にいっときでも所属するのなら、ここの秩序に準じるべきだ!」

「も……もういいってぇ東……!」

「よくない!」

 山口が横で情けなく制服の裾を引っ張るが、それが余計に東を奮い立たせた。


 もういいはずがない。

 何一つ、何も良くはない。

 撫子のことも――――ミゲルの、ことも。


「はっきり言うぞ!」


 ずかずかと男、アルバに近付き、東はその胸ぐらを掴んだ。

 彫刻のように端正な顔を間近に見て、苛立ちのような、悔しさのような妙な感情が胸を占める。


「君が恋人なら、あいつの愚行をやめさせろ!」



 懇願にも近い、声が出た。


「人を傷つけるなんて、最低最悪の人間のやることだ!!どんな時も暴力は何も生まない!彼女は間違ってる。恋人が正しい人間じゃないなら、君がそれを正すべきだ!!」


 自分の震えた声を情けないと思いながら、東は力の限り叫んだ。


「……」

 暫く無言で東を見つめていたアルバが、ふい、と視線を逸らす。東の言葉に応える気はないらしい。

 しかし次の瞬間、鳩尾に衝撃を感じた東は、気づけば吹き飛ばされていた。


「げほっ、げほっお、まえ!」


 うずくまったままえずきながら、必死で顔を上げた瞬間だ。

 ――――ガキイン!!

 今まで東がいた位置を勢いよく通過して、金属バットが校舎の壁にぶつかり、甲高い音を響かせながら跳ね返った。


(な、なんだ!?)


 ゆっくりと首を後ろに回すと、そこには三年の数名の生徒たちの姿があった。


「ドーモ!後輩のピンチを救いにきたヒーローでぇす!」

「ギャハハ!何やってんだよノーコン」

「お前ら大丈夫かぁ〜?たく、だっせぇな二年は」


 東は、その中の一人の顔に覚えがあった。


「あー、お前、廻神の後輩だろ?つまんねー全校集会で時々見るわ。だめだよお、お坊ちゃんが喧嘩なんかしちゃ。廻神会長に怒られまちゅよ〜」


 分厚い唇に、ピアスだらけの顔。


「う、牛原先輩……」

 泣きそうな顔で山口が呟いた。


 牛原大吾。

 入学以来何度も傷害事件を起こして停学になっているが、議員の父親が多額の口止め料を相手に握らせていることで表沙汰にならず今まで在学を許されている。廻神が何度も忌々しそうに名を出していたのがこの男だ。



「あー、アルバくん、だっけ?俺しばらく停学してたから君のこと知らないんだけどさぁ、なんかすげーデカい顔してるらしいじゃん?ちょっとナメすぎじゃねーの?」


 牛原は、その名に恥じない巨体でアルバの前に立ち塞がった。

 体格だけで言えば、アルバよりも牛原の方が縦にも横にもでかい。そしてその巨体に似合わず、牛原はなんらかの格闘技の有段者だったはずだ。


(僕らが彼を呼び出したと聞いて、便乗してきたんだ……)


「やま、ぐち……廻神会長に、連絡を、うあっ」

「余計なことすんなってメガネ君さぁ。お前も痛い目あいてーの?」

「ぐっ、は、なせっ」


 ぐりぐりと背中を踏みつけられて呻く東。

 山口は必死で牛原の足にしがみついたが、それも呆気なく蹴り飛ばされていた。


「俺さあ、彼女に昨日フラれたんだよなぁ。新しく好きな人できたとか言って」

「……」


 アルバの赤い瞳は何も色をなさずにただ牛原を見ている。


「俺の彼女カースト上位の男が好きらしいんだけどさぁ、そんでどうやらそれがお前っぽいっていうね。だから申し訳ねーんだけど、ちょっと俺にボコられてくんない?」

「……」

「無視とかいい度胸じゃん。はい、じゃあ挨拶の一発いきまー」


 す。

 までは、言わせてもらえなかったらしい。


「……え?」



 気が付けば、牛原は地面にめり込んでいた。



「……」

 びくん、びくん、と顔面を土に突っ込んだまま痙攣している牛原の後頭部から手を離したアルバは、相変わらずそよ風でも感じるような顔つきである。

「てっ、てめえ」

 はっとした顔で飛びかかっていった仲間の一人は、顎を蹴り上げられて吹っ飛んでいった。本当に人間の体幹かと思えるほどの見事な蹴り。

 最後の一発を、東の目が捉えることはなかった。

 気付けばアルバの前に、人が倒れて折り重なって倒れている。



 再び静寂を取り戻した校舎裏で、東以外に意識のある人間はいない。山口もクラスメイトたちも、アルバの一撃目を見た瞬間に逃げ去ったらしい。


「…………」


 あんた、なんなんだよ。


 そう問いかけることもできない。

 地面に座り込んだまま自分を見つめる東を一瞥したアルバは、さっと爪先の向きを変えた。


「なーんだ、全員生きてんじゃん」

「残念そうに言うんじゃねーよ。生きてなかったら問題だろが」

「はーあ、つまんね」


 どこから現れたのか、去っていくアルバの後に続くように、クラスの留学生であるノーチェと、三年の留学生である男子生徒が目の前を通り過ぎていく。

 誰も、この惨状を前にしても何も言わない。

 まるでそれが日常だとでも言わんばかりに。


 ぶるっと底知れぬ恐怖に身震いする。


「……」


 三人か去った後の校舎裏で、東はうずくまり、地面に額を打ちつけた。

 何度も。何度も。


(全部、壊される……。あの、異常者たちに)


「……どうにかしなきゃ」

「出てけ、出てけ出てけ!出てけよくそ!」

「あいつら全員………!!僕らの、帝明学園から追い出さないと……!僕、が」


 その時だ。着信を知らせる音楽に、東はハッと怯えた瞳を持ち上げた。慌てて携帯を耳に当てる、東の表情は、すでに壊れかけの人形のようにぎくしゃくとぎこちなかった。



「――――、だ、大丈夫だよ。撫子さん。僕がいる。全部、僕が、どうにかしてあげるから」

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