【夏の番外編②】とある射的屋の受難

「さあさ、よってらっしゃい見てらっしゃい!隅田川イチ親切でェ、隅田川イチ豪華な景品が並ぶ射的屋さんだよぉ!」


(馬鹿どもめが!)


 こんな謳い文句で客を呼び集めるのは、この俺、射的屋健ちゃんこと山田健二。三十四歳。

 日本三大ヤクザの一つとして挙げられる小日向組の、下っ端の下っ端の下っ端であるこの俺は、兄貴に「テメェの顔は気が抜けるから舎弟やめろや」とさえ言わしめたこの見事なまでの恵比寿えびす顔をもって、この夏の宵闇で荒稼ぎさせてもらうのだ!浮かれ切った馬鹿どもを相手にな!


「あ。射的あんじゃん」

「しゃてき?」

「そ。ススピロ知んねーの?日本のシューティングゲーム」

「知らない」


 どうやらまた新しいカモが来たようだ。


「らっしゃい!やってくかい?」


 景気良く言い、にこにこと笑顔を向ける。

 そこにいたのは、わたあめとチョコバナナを両手に携えた真っ赤な頭のヒョロ長いガキと、りんご飴を齧るチビガキ。

 どうやら日本に来た観光客のようだ。日本語は達者だが、見るからに無知で良いカモである。

 二人は顔を見合わせ、何やら相談し始めた。


「リオも首領と合流したっぽいし、俺らもちょっと遊んでから帰ろーぜ」

「ん」

「あらいいわね、楽しそうじゃない!」


 二人の背後からひょっこりと顔を覗かせたのは、鮮やかな浴衣を着た美女だった。色気のある首筋に、赤いリップの唇が綺麗な弧を描いている。ほんのりと目元が色づいているのでもしかしたらビールでも飲んでいるのかもしれない。

 と思ったら、やっぱり片手に紙コップのビールを掲げていた。


「バレリアそれ何杯目?」

「13?」

「飲み過ぎ」

「いいじゃな〜い!ジャパン屋台ビールティスティングよ!」

「お姉ちゃんもやってくかい?」


 俺の思考は即座に<獲物の捕獲>へと切り替わった。ヤクザに色ごとは付きものなのだ。しかも酔っ払い。いける。


「面白そうね!あそこの的に当てればいいの?」

「そうとも。簡単だろ?」


 自分で言っておいてなんだが、こいつは全くもって簡単ではない。なんせダミーのいくつかをのぞいて、店頭の商品は全て落ちにくい仕様になっているのだから。


(悪いな美人さん。だが安心してくれていいぜ)


「あーん、できないわ。くすん」「じゃあ君にはこれを」「え!?これって」「カリブ海のクルージングペアチケット。恋人とでも行ってきな」「で、でも」「いいんだ。綺麗な女性に物を贈るのは男なら当然だろ(微笑)?」


 これでオトせなかった女はいない。題して、ハードボイルドイケオジ戦法!

 加えて女ってのは悪い男に弱いもんだ。顔は善人。でもヤクザ。このギャップで彼女を俺にぬまらせてやるぜ!

 

 ――ダスッ、


 内心で高笑いする俺の耳に鈍い音が届いた。

 音のした方へ振り返る

 海外のホームドラマでガキが抱えてるタイプの愛らしいクマの人形がある。商品の中でダントツで高かったものだ。

 その首にブッ刺さっているのは、見間違いでなければ、彼女が今まで髪に差し込んでいた


「あら、ちょっとずれちゃった?」


 甘い香りと共に広がる髪を、耳にかけながら彼女が言う。

(……い、いつ、動いた?)

 言いしれぬ悪寒に硬直している俺の耳に、赤髪のガキのからからとした笑い声が届く。


「バレリア、遊び方ちげーよ」

「仕留めたらもらっていいんじゃないの?」

「俺の見とけって」


 すっと前のチビこい子の頭からかんざしを抜き取った派手髪のガキ。

 え?と思っていると、次の瞬間にはその簪もまた放たれていた。そいつの腕が動く瞬間は、やはり目には捉えられない。

 ――ズドッ、という鈍い音。

 愛らしいクマの人形は今度は心臓を穿たれて項垂れていた。中のワタまでこぼれでてきている始末だ。俺は泣いた。もう色事どころではない。何なんだこいつら怖すぎるだろ。


「熊の急所ならアバラ三本目あたりだろ?人間なら頸動脈でもいーけどさ」

「そんなの知らないわよ、熊殺したことないもの」

「そうだっけ」

「逆に何でアンタ知ってるの」

「俺前こないだヤッたもん」

 おぞましい会話を繰り広げる二人の前で震えながら気配を消していると、唐突に手が差し出された。

「ねえ」

「ハイっっ!!」

「それ返して」

 返せとは熊の胸元に深々と刺さった簪のことだろう。


「リオにもらったやつなの。早くして」


 いや誰だよリオって。

 俺は震える手でかんざしを引き抜こうとしたが、そのうちにだんだん、自分はドッキリでも仕掛けられているんじゃないかという気になってきた。

(……まさか、組の誰かの悪戯か?)

 そう考え始めると、だんだんそうとしか思えなくなってくる。

 よく考えなくたって、普通かんざしは人形には貫通しないからだ。

(馬鹿にしやがって!)

「あのねえ、お嬢ちゃん。大人にそう言う口きくのは」

「2列目右端」

 笑顔の下に凄みを含ませて言った俺は、その瞬間、そいつから発された言葉に今度こそ凍りついた。


「においでわかる」

 

 そいつが指差すのはシンプルなラムネのパッケージ――だが、中にはちょっとした取引で使うブツが入っている。

(あ、ありえねえ)

 これは組の誰にも話してない俺の大切な小遣い稼ぎアイテムだ。何でこのガキが知ってる。いつバレた。まだ、誰にも売り込んですらいないのに……!!

 滝のように汗を慣れ流していると、俺を追い詰めるようにそいつは続ける。淡々と。



「中身、バラされたい?」




**



(とんだ疫病神……とんだ疫病神だったあいつら。間違いない。つーか絶対同業者だ。誰だよ観光客とか言ったの)


「へー、あんたバイヤーなんだ。じゃあ黙っててやっからヤキソバとオーバンヤキ?買ってこいよ。ダッシュでな」「あ、私なんか喉乾いちゃった。今度はサワー系頼むわね」「……かき氷。いちごの」


 結局、口封じのために手持ちがなくなるほどたかられた俺は、涙目になりながら心で念じる。


(忘れよう。忘れるんだ……!命があっただけよかったじゃねえか!)


 まだ夜は始まったばかりだ。

 気を取り直して店頭で声を張っていれば「なー!射的だって!あれやろうぜ!」とガキの声が聞こえてくる。

(きたきた!こういうのでいいんだよ、こういうので)


 今日日きょうび、ガキのほうが金を持ってる世の中だ。少なくとも今の俺よりは確実に持ってるだろう。遠慮なくカモらせていただく。


「へい、らっしゃ――」


 思わず口をつぐんだのは、ガキどもに囲まれていたのが想像以上のイケメン野郎だったからだ。


「なー!アドルフォ!これやろうぜ!」

「は?やんねーよ。つーかさっきやったじゃん」

「もう一回!もう一回!」

「俺あのカードゲームほしー!」

「お前らマジでバカな。ああいうのは絶対落ちねーようにできてんだよ」

「わかんねーじゃん!」

「わかるっつーの」


 言いながらも「仕方ねーな」とジャラジャラと小銭を探し始める金髪。

「おっさん。こいつら全員分」

「ま……まいど」

「うし、よーく狙えよお前ら」


 ガキどもに銃を持たせた金髪は、その背後に屹立すると突然目の色を変えた。

 ぴりりと流れる真剣な空気に、自然と俺の背筋も伸びる。


「お前ら腕短いからな。しっかり脇固めて。あー、左利きの奴いる?」

「おれー!」

「んじゃお前だけ持ち方こうな」


 さきほどの盗賊ども(そう呼ぶことにした)の素行に比べたら、なんとも微笑ましいやりとりではないか。まあ商品は落とせないがな。

 恵比寿顔でにこやかに見つめていれば、おもむろに金髪男が片手を上げた。

「いくぜ」

 すっと腕を下ろす。なぜか俺の方に向けて。


斉射アプシーセン!!!」

「ヤー!!」

「は?――――あだだだだでででで何何何っ!?!?」


 突如としてガキどもによる集中攻撃を受け、俺は狭い屋台の中を身を捩って逃げ回る。な、な、な、何が起きてる!!?

「何やってんだ馬鹿野郎!!」

 怒鳴る金髪。


「全員で一気に撃つんじゃねーっつったろ!時差つけて弾切らさねェように!オラそこォ!急所はキン(ピー)だけじゃねーっつったろが!一番ダメージ与えたやつが勝ちだからな!」

 だからそういうゲームじゃねーんだって!!


**


(さんざんだ。今日の客はロクなのがいねえ。どうなってんだ……)


 もはや声を張る元気もない。ぼんやりと通り過ぎる人波を眺めていれば、浴衣の女の子たちが通りかかった。どの子もかわいい。お、と思わず心が浮つくのは悲しき男のサガである。


「射的だって!」

「え〜懐かしい」


 思わず「や、やってくかい?」と身を乗り出しかけた俺は、一声発する前にマリアナ海溝の底まで突き落とされた。


「射的?なーに、それ」

「ファロ君もやりたい?」


 彼女たちの後ろから出てきたのは、それはもうとんでもなく顔のいい優男だった。なんだ?今日の祭りは。俳優が放流でもされてんのか?


「コルクの弾であの商品を落とすの?へえ……」


 優男はしげしげと商品棚を眺めていたが、ふいと視線を横にずらし、どこか色気のある流し目を彼女たちに向けた。


「俺はいいかな。落としたいコは、こっち側にいるしね」


 キャー!という華やかな歓声と共に離れていく一行。

 俺の心は死んだ。



**



(もういい。仏の健二と呼ばれた俺ももう限界だ。次何か妙な客が来やがったら、コルクの弾じゃねえ。ホンモノをお見舞いしてやる)


 据わった目でそう誓っていると

「あ!射的!見てアルバ、あの人形ブサカワだよ!」

 と浮かれた声が聞こえてくる。誰がブサカワのへちゃむくれ顔だ。


「あ゛あ゛?」


 とびきりの威圧と威嚇を込めて声の主にメンチを切ってやった。その俺の額に、かちゃりと冷たいものが押し当てられる。

 一気に怖気だった。

 冴えざえとした赤い瞳が、不吉な色を帯びてじっと俺を見下ろしていた。



「ヘァっ」



 情けない声がつい口から飛び出してしまったのも仕方がない。殺されるかと思った。いや違う、まだその危機の真っ只中だ。


(……こいつは、モノホンだ)


 殺しに一つの躊躇もない血に飢えた獣。なんでこんなのが混ざってんだよ。はぐれ者の本能が告げている。今すぐ、尻尾を巻いて逃げろと。

 

「ど、どうかお慈悲を」

「こら!アルバ」


 ぱりっとした声で叱責が飛ぶ。

(こ、こら……?)

 俺は信じられない思いで声の主を見た。

 このギャング集団のリーダーみたいな男に対し、そんなイタズラした子供を叱るような声で……。

 一体どんなやつだ、と恐々していれば、そこにいたのはなんと浴衣姿の可愛らしい少女だった。


「射的屋さん困らせちゃダメでしょ」

「……」

「ほら、威嚇しないの!」


 信じられないことに、男は彼女に言われるまま無言で銃を下ろした。

 当然と言えば当然だが、男の持っていたのはうちの射的屋の銃。だが、油断してはいけない。おそらく彼ならコルク弾でも人を殺せる。


「私お祭りは初めてだけど、射的はやったことあるんだよね。スペインの日本フェスでさ」


 言いながら俺に五百円玉を二枚渡し、「二人分お願いします!」と律儀に告げる。


「まずは私がお手本ね」


 少女の放った弾は、案の定ぺそっと音を立てて菓子の箱に弾かれて落ちた。

 やばい殺される。

 俺は冷や汗をかきながら男を見たが、どうやら男はあくせくする恋人を見つめることに忙しかったらしく、商品が落とさないことは気にしていないようだった。


「ありゃ……」

「ド下手」

「もう!コツがあるの!ほら、アルバもやってみて」


 少女に促されて銃を持った男は、しばらく考えるように黙り、それをそのまま少女へ突き出した。


「やり方が分からねぇ」

「えー」

「教えろ」


 マジか!!?そんなことある!?

 正直商品根こそぎ掻っ攫われてしまうだろうと思っていた俺は大混乱だったが、――なんてことはない。


(……あー、そういうこと)


「しかたないなぁ!まあ、こういうのってコツがいるし、アルバUFOキャッチャーも苦手だもんねっ」

「るせぇよ」

「えーと、まずはね!」


 頬をぽっぽっと火照らせながら、嬉しげに射的の遊び方をレクチャーする少女。その姿を見つめる男の眼差しの、まあ、愛おしそうなこと。




 結局男も少女もぺそぺそと倒れそうもない商品にコルク弾を当たるだけ当て、収穫は一つもないまま、参加賞の飴玉を握って帰っていった。

 それでも、彼女は終始にこにこ嬉しそうだったし、それを見つめる男の目も、微かに優しかったのは言うまでもない。



(あーあ!やってらんねーぜ!)


 呟きながら、俺の心はどこか晴れ晴れとしている。

 今日はクソ客ばかりだったが、そういう日もあらーな。

 あの男も、ギャングだなんだと見かけだけで判断してしまったが、ただのありふれた男だった。


 祭りにはしゃぐ可愛い恋人と過ごす夜を楽しみたい、どこにでもいる、ふつうの男。




「……っし。もうひと頑張り、してみっか」



 並べた商品の小細工を外しながら呟いた俺は、まだ知らない。

 後日、小日向組の総会にて、組長小日向総二郎に諸手を挙げて迎えられるの姿を見て、自分が泡を吹いてひっくり返るはめになることを。

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