【夏の番外編①】花火大会に行こう!

「行こうよ!」

「行かねぇ」

「行こうよ!!」

「行かねぇ」

「行こ、……ねえせめて一回本読むのやめない!?しかもそれ私が昨日買ってきた少女漫画!」

「クソみてぇな展開だな」

「じゃあ読まなきゃいい!っていうか、そんなことより、お祭り!」

「行かねぇ」




「なー、っていつからやってんの?」

 いつの間にか浴衣に着替えて部屋に戻ってきたノーチェが、アルバとリオを指差して尋ねる。思い思いにソファでくつろいでいたファロとアドルフォは顔を見合わせ、肩をすくめた。


「一時間くらいじゃね?」

「マジ?リオじゃなきゃとっくに消し炭じゃん」

「あいつらどっちも折れないからなぁ」


 そう。リオは今、アルバを口説いていた。

 白地に薄桃や水色の朝顔が散らばる、華やかながら愛らしい色合いの浴衣は今日の日のためにバレリアと選びにいったものだ。

 今日は、かの有名な隅田川の花火大会である。


「隅田川の花火大会って言ったら、日本の夏の風物詩じゃん!行こうよ!たこ焼き食べたり、かき氷食べたりぜひしよう!」

「アドにでも作らせろ」

「お祭りで食べるのが別格なんじゃん!」

 アルバの腰は重い。

 ローテーブルに足を投げ出して瞑目する恋人に、この頑固もの……と不貞腐れていると、「リーオ」とノーチェに肩を組まれた。

 振り返ると、浴衣に着替えたススピロたちの姿もある。


「いい加減諦めて俺らと行こーぜ?首領が人混み嫌いなの知ってんだろ?」

「……知ってるけどぉ……」

「リオ、わたあめたべよ」

「ススピロ……」

「浴衣、すっごくかわいいわよ。私が選んだだけあるわ」

「バレリアっ」

「あ、アンタたちのはこっち置いとくから行きたいなら勝手に着なさいね」

「雑だな俺らのほう」


 ソファの背もたれに三人分の浴衣を引っ掛けたバレリアに手を引かれながら、リオはべえっとアルバに向かって舌を出した。

「ほんとに置いてっちゃうからね!あとで不貞腐れても知らないから!」

「バレリア、ガキ共がはぐれねぇようよく見とけ」

「幼稚園児かな??」


 押しても引いても動じないアルバに、リオはとうとう盛大にヘソを曲げた。

「もういいっ」

 風船のように頬をふくらませ、鼻をつんとさせて言ってのける。


「アルバなんか知らない!変な男にナンパされてりんご飴奢られてやるから!」

「どんな脅しだよ」

 後ろでアドルフォの小さなツッコミが聞こえた気がしたが、リオは聞こえないふりで部屋を飛び出した。




**



 部屋に残されたアルバは、遠のく足音を耳の奥に聞きながら薄く目を開けた。

 アドルフォとファロに目配せし、くい、と顎をしゃくる。ついていけということだろう。

 いつものことなので、二人ともたいした文句は言わずに腰をあげる。


「相当混むらしいし、帰りはそこそこ遅くなるからな」

「マジ?俺9時から見たいドラマあんだけど」

「諦めろ」

 言いながら、適当に引っ掛けてあった浴衣に腕を伸ばす。アドルフォは白に薄く刺繍の入った浴衣を選んだらしい。

 さしてファッションに興味などないくせに、直感で選ぶものにハズレがないのが彼である。


「とっとと行け」

「へーへー。つか首領はどうすんだ?」


 応答はない。

 くあっと大きな欠伸が見えたので、もう一つのホテルに戻って寝る予定なのだろう。こういう時のアルバは十中八九動かない。

 ファロの頭にふと、出がけの寂しげなリオの横顔が浮かんだ。


(仕方ない。ひと肌脱いでやるか)


「……ほんとにいいんだよな、アルバ?」

「しつけぇ」


 不機嫌そうに言い放たれる。

 リオへの態度とはえらい違いだと苦笑しながら、ファロは意地悪そうに口角を上げた。


「わかった。ならあいつの浴衣姿は遠慮なく俺たちが楽しませてもらう」


 ぴくりと、アルバの眉が動く。


「浴衣で日本人の女の子と祭りっていうの、少し憧れてたんだ。な、アド」

「は?いや、俺は別に……」

「かき氷食べて、舌べーって見せるのやってもらわないとな。あとあいつはほんとにナンパされるし迷子になるだろうから、悪いけど手も繋ぐぞ。怒るなよ」


 どんどん眉間の皺が深くなっていくアルバを横目に、アドルフォと肩を組んだファロは機嫌良さそうに部屋の扉を開ける。

「まあ、安心してくれ、首領」

 肩越しににこりと笑ってみせる。


「悪い虫は俺が払っておくからさ」


 言うや否や、さっと扉を閉めてアドルフォもろとも床に伏せた。

 二人の頭上を扉を突き破った銃弾が数発かすめていくなか、顔を顰めたアドルフォが文句を口にする。


「何で煽んだよ!」

「仕方ないだろ?ああでもしないと首領、本当に来ないんだから」

「後で八つ当たりされたら責任取れよな」

「お互い殺されなきゃいいな」


 軽く笑うファロの頭上を、おまけとばかりにもう一発銃弾が通り抜けた。




**




(……うそ、ほんとに迷子になった)



 暗闇をぼんやりと照らす提灯の列があちこちに続いている。きれい。

 お祭りに来て一番に買ったラムネの中身も、今やすっかりぬるくなっているが、ビー玉の揺れる音は心地いい。

 ノーチェたちと一緒に勝ち取った金魚もたいそう可愛い。

 アルバと一緒に来られなかったのは残念だったが、初めて来た夏祭りを、リオは想像以上に楽しんでいた。

 ただ、いかんせん迷子中である。


 屋台の群れから少し離れたベンチに腰掛けていたリオは、前を流れる人の群れを疲れた顔で見つめた。


「うわ、まじか!びっくりした。君すげーかわいいね」

「ちょっと俺らと遊ばない??」

「遊ばない」


 さっきから数分おきに声をかけられるのにもそろそろうんざりしている。そっけなく断るとたいてい残念そうに去っていくが、たまにしつこい相手もいるのだ。これがめんどくさい。


「お願い!ほんと!10分でいいから!ねっ」

「つってお前10分で解放した試しねーじゃん!」

「うるせーよギャハハ」

(死んでくんないかな)


 お面でも買ってこよう、と無視しつつ腰を上げたところで、ぐいっと強く腰を引き寄せられた。


「は?」

 反射的に繰り出した裏拳は、なんとパシッと音を立てて手のひらに阻止されたではないか。驚いて目を瞬かせると、捕まえられた拳の向こう側からひょこりと現れたのは見慣れた顔だった。


「ずいぶん過激な挨拶だな」

「……なんだ、ファロか」


 そこにいたのは、濃紺の浴衣を身に纏ってゆるりと笑うファロだった。


「言っとくけど、迷子じゃないから。ノーチェたちと連絡もついてるし」

「不貞腐れるなよ」

「……アドルフォは?」

「小学生の群れに絡まれてたから置いてきた」


 精神年齢が近いんだろうな、とリオの横に腰掛けたファロは、未だに二人の近くにいたナンパ男たちを見て目を瞬かせた。


「あれ、まだいたのか」

「ッッこいつ」

「まーまー、やめろって……。おにーさんさ、この子の彼氏?なんかそんな感じには見えねーけど」


 ポケットに両手を突っ込んだ男が、腰を屈めてファロに顔を近づけている。


(わ、果敢)

 アドルフォやファロが自分たちの顔を使って相手を追っ払うのはよくある手だけど、それで心折れない相手は久しぶりだ。ファロも意外そうに目を丸めていたが、それはすぐに新しいおもちゃを見つけたような嬉しそうな笑顔に変わった。


「――――そう、俺はこの子のじゃない」

「やっぱ?だろ?なんかそんな気したんだよな〜。じゃ、悪いんだけど俺らにその子譲ってくんない?」

「無理だな。他当たってくれ」

「は?」

 リオの肩を抱いたファロが、ことりと首を傾げる。横目に彼を盗み見たリオは、その目の冷たさに思わず口を引き結んだ。


「この子さ、俺らのボスの特別なんだよ。代えが効かない唯一の子。だから、お前らみたいなのには触らせられない。ごめんな」

「………は?何それ。おにーさん、誰かにパシられてんの?」

「まあ、そんなとこかな」

「マジかよ!かっわいそ!」

 ぎゃはぎゃはという品のない笑い声に辟易し、「もう行こうよ」とファロを引っ張るが、ファロは穏やかな笑みを貼り付けたまま動かない。


「つーかもしかして、そのボス?(笑)とかいう奴に気兼ねしてアタックできないとか?」「ギャハハ、マジで!?だとしたらダサ、じゃねーや!かわいそすぎだろ!」「なあお兄さん、俺たちがそいつぶん殴ってやろっか?」


 あ、まずい。

 リオは慌ててファロから離れるべく腰を上げたが、もはや遅かった。

 腕を引っ張られ、その膝の上に座らせられた。逃げ出そうと暴れる腕を器用にからめとり、ファロはとびきり甘い目をリオに向ける。


「こら、逃げるなよ。リオ」

「……ファロ、お、お願いやめて」

 目に涙を浮かべて懇願する。ファロの思考が手に取るようにわかるリオは、想像だけで茹るように赤くなった。


「……こんなところで、いやだ……しないで……」

「ん?何をだ?」

「それは………っ」


 真っ赤になってぐっと黙り込んだリオ。

「は……?こ、こいつら一体何を……」

 突然見せつけられるように始まった甘いやりとりに、さすがの男たちも狼狽することしかできない。

 やがてファロはふっと微笑み、とびきり愛おしさを込めた声で言った。


「リオは、ほんとに可愛いな」


(はじまった……!)

 リオは思わず耳を覆ってうずくまりたくなったが、腕は器用に捕まえられているのでそれも叶わない。ファロは気にせず続ける。


「お前が俺たちのカーサに初めて来た時のこと、覚えてるか?俺は、もしかして天使が天国から落っこちてきちゃったんじゃないかって思った」

「……ゔッ」

「ほら、褒めると真っ赤になって唸るとこもかわいい。いつになったら慣れるんだ」

「な、慣れない!一生慣れないからッ、もう離して!帰る!」

「まだ駄目だ。全然足りない」


 文字通りの猫可愛がりである。

 時には髪をきながら、時には頬に触れながら、とろけるような声で言葉を紡ぐファロの姿に、いつしか周囲に集まっていた野次馬の中から腰砕けになる女性が現れるほどだ。

 リオは真っ赤な顔で泣いた。


(ひ、ひどい!こんな人目があるところで!)


 ファロがこれをする時、大抵リオが何らかの大ポカをやらかした後だったり、ファロの忠告を無視して好き勝手した後だったりする。しかし今回のこれは、完全なるとばっちりだ。リオはナンパ男たちを恨んだ。





「今日はこのくらいでいいか」

「……」


 それから数分間、雨のように降り注ぐ甘い賛辞に、リオはすっかりほかほかに染まり上がって項垂れていた。ファロは脱力するリオのつむじに軽く口付け、敗者に向けるような憐憫の眼差しを男たちに向ける。


「俺が愛でたいと思った時は、いつもこうやって愛でるんだ。な? お前らの出る幕なんかなかったろ」


 はっとした男たちが、真っ赤な顔で喚きはじめる。

「いっ、意味わかんねーんだよテメェ!!ふざけやがって!」

「ああ、悪い。分かりにくかったか。じゃあ簡単に言うよ。


 お前らのブタみたいな顔には見飽きたから、全員とっとと失せろってこと」


 ファロの口から飛び出た汚い暴言に、とうとう堪忍袋の尾が切れたらしい。男たちの怒声が鼓膜を揺さぶる。(ああ、これはまた一悶着だ。どうして毎度こうなっちゃうんだろ)嘆きつつゆっくり顔を上げたリオは――ぱっと、驚きに目を見開いた。


「――――アルバ!!」

「……!!」


 リオの声に振り返った男たちは、今度こそ完全に気迫を削がれることになる。

 花に流水、染めは注染。

 男物の浴衣には珍しい総柄を粋に着こなし、下駄を鳴らす男の、その胸元にちらりと伺えるのは大鷲の入れ墨だ。

 明らかに堅気の風貌ではなく、かといって、祭りの元締めでありがちなヤクザというふうでもない。


(な、なんなんだよこいつら……)


 ほとんど半泣きで、一歩も動けず硬直する彼らの間を、アルバはからん、と足音を立ててゆっくりと通り過ぎる。



「……ファロ」

「はいはい」


 そのほんの一言で、ファロはあっさりリオを解放した。リオは少しよろつきながらファロの元を離れ、アルバの前に立つ。


「アルバ……」


 答えないアルバの、感情の読めない眼差しを受けて、リオは唇をへの字に曲げて俯いた。来てくれて嬉しい。すごく嬉しい。

 なのに、彼女の中のへそ曲がりが、なかなか素直に喜べない。


「……あ、あんなに誘っても行かないって言ったくせに」

「……」

「どんな風の、わっ」


 ふ、と鼻先に何かが差し出された。

 顔を上げたリオは思わず目を見開き、拍子抜けした声を発した。


「りんご飴……?」

「……食いてぇと、言ってたろ」


 人混みが嫌いな彼が。

 列に並ぶのなんかもってのほかな彼が。

 一体、どんな顔でこれを買ってくれたんだろう。

(………ずるい)

 ぎゅうっと胸の締まるまま唇を引き結び、リオは差し出されたりんご飴を受け取った。


「……ありがと、アルバ」


 軽く鼻を鳴らして踵を返すアルバ。リオが後ろを振り返ると、ファロは手をしっしっ、とやってリオに後を追うよう促した。

 頷いたリオがアルバを追いかけて人混みに消えるのを微笑んで見送る。

 いつしか周囲は元の祭りの喧騒を取り戻していた。


「……あんたみたいな良い男でも、あの人には勝てねえのか?」


 もう敵意も害意もない、勢いをなくしたナンパ男の呟きが耳に届き、ファロはつい吹き出してしまった。

 勝つ必要なんかどこにもない。



「俺たちにとって、あの二人が前を歩いてることこそが、この上なく幸福で、幸運なことなんだよ」

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