撒き餌と魚

 23時ごろ。扉の開く音と共ににぎやかな声が聞こえてきた。ファロたちが帰ってきたらしい。


「あ?電気ついてんぞ。もしかしてアルバたち来てんじゃねーか?」

「まじ?ただいま〜!ってうわ」

「立ち止まってどうしたのよノーチェ……。あらぁ♡」

「はは。大荒れだな」

「……リオ、かわい……」


 思い思いの反応を示す幹部達の視線の先には、すでに義手を取り去り、残る片手でブランデーのグラスを傾けるアルバ。


「……」


 と、くっつき虫のごとく彼に抱きついてまったく離れる気のなさそうなリオ。

 アルバは心底うんざりした顔で、鬱陶しさを隠す様子もなく言った。


「どうにかしろ」

「むり」


 即座に反応したのはリオだ。いかにも不機嫌そうな声である。

 離れるどころか、アルバの首に巻きつけた両腕にいっそう力を込め、両足までがっちり腰に巻きつけている。アルバが深いため息をつく。ブルーのドレス姿も形無しだ。


「はぁぁぁ……嫉妬で気が狂いそうなの」


 呪詛を連ねるようにリオは言う。

 アルバからパーティでの話を聞いたのは1時間も前のことだ。


「あいつ……、あろうことかアルバの膝乗るとか、しかも、キ、キス?しようとするとか……何?え?もう命はいらない感じ???」

「あらダメよリオ。お口悪いわ」

 ソファの後ろに回ったバレリアが、ちょん、とぶすくれたリオの唇をつつく。


「バレリア〜〜〜」

「ふふ。ねえ、その後の話は聞いた?首領ったらかっこよかったのよぉ?痺れちゃったんだから」

「………聞いてない。なに?」

 顔を離してアルバを見つめる。

 アルバは赤い目をすいと横にずらした。


「別に。何もしてねぇ」





**



「死ぬか、退くか決めろ」


 銃口を喉元に押しつけられて青ざめる撫子に、アルバは淡々と言った。


「3秒やる」

 さっとアルバの膝の上から腰を上げた撫子の判断は正しい。

 少しずつ後退し、父の傍まで下がったところで、小さく息をつく。アルバがゆっくり銃口を下ろしたのが見えたためだ。


「お前らの薬が役に立つかは俺が見極める」


 何事もなかったように語るアルバは、ススピロから手渡されたナプキンで銃身を拭っている。撫子の唇が触れた部分だ。


「取引が始まれば、100gにつき50,000ユーロ――日本円で約1,500万」

「いっ」

「その価値があるならな」


 絶句している薊に、アルバは冷たく吐き捨てた。


「なけりゃ、俺たち全員でてめぇらの組を襲ってタダ働き分を回収して帰るだけだ」

「こ、後悔はさせない!」

「ならせいぜい派手に暴れろ。暫くは静観する」

「ああ……!楽しくなりそうだ」


 既に取引が成立したかのような口ぶりで、興奮に顔を紅潮させた薊はアルバに右手を差し出した。アルバはそれを取ることなく腰を上げ、今にも立ち去りそうな気配を見せる。


「まっ、まって!」

 それを引き止めたのは撫子だった。

 薊の制止を振り切り、撫子は真っ赤な顔で口を開く。


「どうしてあの子に執着するの?あんな子、どこにでもいる普通の子なのに」


 余裕ぶって笑みを浮かべているが、その頬はぶるぶると屈辱に引き攣っている。今の撫子にとっては、薬のことも、藤野組のことも、心底どうでもいい。彼女が欲しいのは、もうずっと、目の前にいるこの男だけなのだから。

 あの女の知らない、彼の特別な秘密に触れている。こんなチャンスはそうそう無いというのに。


 振り返ったアルバの回答はいたく簡素で、そして、付け入る隙のないものだった。



「惚れてる。あいつ以外を愛す気はねぇ」







 人気のないパーティ会場。立ち去ったアルバを、撫子は追わなかった。

(なんで)

 あの後、アドルフォやファロが何か言っていた気がしたが一つも覚えていない。腑が、煮え繰り返るよりもっと、純粋な殺意と悪意によって、業火にでも炙られているようだ。


 アルバのあのセリフを聞いてもなお、諦める気がまるで起きない。疑問だけが無限に湧き上がる。

 何で、あんななんでもない女がいいの。

 ただ顔がいいだけの何の役にも立たない女。

 裏の世界について何も知らない。腕も立たない。泥水を啜ったこともない。人を殺したこともない。

 そんな、女に、何をそこまで執着するのか。


「お前が銃を突きつけられた時はどうなることかと思ったが、中々の感触だったじゃないか!」


 気付けば、周囲にDeseoの面々は一人もいなくなっていた。

 興奮気味の薊がテーブルに残ったボトルワインをグラスに傾けて機嫌よく笑っている。


「奴らのリーダーが一般人の娘に入れ上げてると聞いた時は何事かと思ったが、あの潔さは、悪くない!私も気に入ったぞ」

「やめて」

 撫子が低く訴える。

 その声音の本気さに、薊も顔つきを変えた。


「………………………パパ?お願いがあるの」


 再び持ち上がった撫子の顔は、いつも通りの、澄ましきった微笑み。瞳の奥底だけが冷たく、そのくせ煮えたぎった憎悪に満ちている。


「私、彼の最愛になりたい」


 薊は暫く難しそうな顔をしていたが、やがてにたりと醜悪な笑みを浮かべた。


「もちろんできるとも。私の愛しい娘。方法はいくらでもある」

「方法?」

「まずは、けがすことだ」


 撫子は深く息吸った。うっとりと。


「あの手の男は、裏社会の闇を知らない無垢な娘に時折うつつを抜かす。ならば、汚してやればいい。それだけで簡単に興味をなくすだろう。あとはお前が少しずつ籠絡していけばいい」

「パパ……それって、すごく名案!」


 撫子の顔が天使のようにほころんだ。


「今ちょうど頼れそうながいるの。上手く使ってみるわ」

「証拠は残さんようにな」

「ええ。ぬかりなく」


 カバンから携帯を取り出した。撫子が開いたメール画面には、未読のメッセージが届いている。それを見て、撫子はくつりと歪んだ笑みを浮かべた。


「ほんと、使いやすい馬鹿なんだから」


From 東 清四郎

title ごめん

しばらくは、僕に関わらないで。

こんなやり方でしか君を守れなくてごめん

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