逆効果



「驚いたな、撫子ちゃんって、あの藤野組の一人娘だったんだ」

「私こそ驚きました……!皆さんがあのDeseoの幹部だったなんて……実在したのもビックリなくらいですっ」

「つーか、俺たちの名前って日本にも届いてんのな。そっちもオドロキだわ」

「ふふ、裏社会に生きてて知らない人いないと思いますよ」


 双方、腹の探り合いから始まったものの、先に気を緩め始めたのは当然の如く撫子だった。


(最強の暗殺組織って言っても、やっぱり男ね。チョロすぎて笑えてくるわ)


 両サイドをアドルフォ、ファロに囲まれた撫子は、二人が時折自分に向ける甘い眼差しにすっかり熱を上げていた。

 特に、ファロ。夜を溶かしたような黒髪がゆったりと肩にかかり、色気などそこらの女には到底及ばないほどのものなのに、加えて彼は時折、撫子の白魚のような手に触れ、それを絡めたりするのだ。これにオチない女などいるのだろうか、とクラクラしながら、撫子は恥じらうように顔を背けた。


「撫子ちゃんって、かわいいね」

 ファロが甘く囁く。

「今度俺たちのクラスにおいでよ。もてなしてあげるから」

「……ええ。今度」

「おいおい、そいつにばっかりトキめいてんなよ」

 ぐいっと顔を反対に向けられる。

 星屑をまぶしたような透き通る金髪がさらりと頬を撫でた。近距離で見つめる瞳は、どこか野生的な魅力を伴っている。

「Querida Patata...」

「パタ……?」

「俺の愛しい人、っつー意味。しらねぇ?」

 ぼぼっと撫子の顔が赤く染まる。

 同じ金髪でも、五十嵐とは熟練度がまるで違う。眩暈がするような大人の魅力に、撫子はもう口元の笑みを取り払うことができなかった。



「Patataって、じゃね?」

「……ん。ファロとアド、今、賭けの途中」

「賭け?」

「どっちが早くあの子オトせるか」

「じゃがいもに見立てねーと口説けねえってよっぽどだろ」

 アルバの両隣を囲んでいるススピロとノーチェは、黙々と酒を愉しむ首領のグラスに時折ウォッカを注ぎながら、自分たちはカードゲームに興じている。

BJブラックジャック」「は?マジ?また?」「ノーチェの負け」「ちぇっ」

 ちなみに、撫子や薊に聞かせたくない会話は基本的にスペイン語である。


「ススピロちゃんたち、何してるの?」


 あからさまに(げ……)という顔をしたススピロは、それでも短く「トランプ」と応じたが、すでに撫子の興味はそこにはない。赤い髪のノーチェを見つめ、小首を傾げている。


「ノーチェ君、だよね?」

「そ。」

「よかった、そうだと思った。その髪が本物なの?すごく、綺麗だね」

「アリガト」


 あいにく賭けに参加していないノーチェは、撫子に必要以上の愛想を振り撒く必要がない。その素っ気なさをどう捉えたのか、撫子は分かりやすく沈んだ表情を浮かべてみせた。


「……リオちゃんのことを怒ってるなら、ごめんなさい」


 リオ。

 たったこの音ひとつ耳にするだけで、彼らは無意識に殺気立つのを抑える必要があった。目の前にいる女を、うっかり殺しかねないように、全員が気を引き締め直したことに撫子は気付いていない。


「クラスのみんなのこと、本当は私が抑えなきゃいけないのに……。みんな暴走しちゃって止めようがなくて」

「止める必要がどこにある!そんな女は吊し上げておけばいい!」


 がばっとバレリアの膝から頭を持ち上げた薊が真っ赤な顔で言う。

 こちらもそうとう出来上がっているらしい。バレリアは口角のみ微笑みの形を維持しながら、瞳はまるでドブでも見るかのような目で薊を見ている。


「撫子のクラスの転校生、リオ=サン……なんとかというのがいてな、ひどい淫婦でおまけに嫉妬深く、顔も相当醜悪らしい!そんなのがうちの撫子に暴力まで振るっていると聞いて、私も正気ではいられなくてね。本当は我が藤野組の全勢力を駆使してでも破滅させてやりたかったんだが、撫子がやめてくれと私に頼むのでそうもいかなかったんだ」


 良き父を演じて仰々しく嘆く薊は、この瞬間、自分の生存の未来が完全に絶たれたことに気付いていない。


「理事長も理事長だ。さっきのあれは、おそらく私たちの取引には目を瞑るという意味だろうが……そんなことよりも先に身近な膿み出しから行ってほしいものだ。そんなのとうちの撫子を同等のクラスに入れるとは」

「くくっ」

 低い笑い声が落ちた。


「そんなの、とはな」


 伏せられた赤い瞳が、薊、そして撫子を、撫でるように見つめる。

 アルバの傍にいたノーチェとススピロは即座に腰を浮かせていつでも飛び退けるよう重心を移した――が、意外なことに、アルバはその場を血の海に変えはしなかった。

 百獣の王たるライオンですら、狩り終えた獲物に蝿がたかるのを躍起になって払ったりしない。それと同じことだろうと、暴れ出さないアルバを見て、ファロは冷静にそう解釈した。


「てめぇは、俺たちが何を探してここに来たか忘れたのか」


 ただ、その視線や声には、毒が含まれている。

 アルバの放つ一言一句にはまとわりつく死の影に、薊の油ぎった顔には汗が滑った。


「快楽のタガをぶち壊す薬だ」


 それを身体に取り込んだ者は、己の欲求を得るためにどんな手段も厭わなくなる。人から奪い、蹴落とし、時には命さえ奪うようになる。己の快楽のために人間であることを捨てるようになる。


「そんな薬をガキ共に売らせ歩いてる女こそ、ろくなもんじゃねぇだろうが」

 

 当然の話をするなとばかりに笑い、また意識を酒に戻したアルバ。


「――ええ。そうね」

 静かに声を発したのは撫子だった。


「でも、あなたたちが生きている世界だって同じようなものでしょう?」


 撫子は立ち上がり、あろうことか、アルバの膝に腰掛けた。

 幹部全員が絶句する中、撫子は指先を彼の頬に滑らせて微笑む。


「私は、人が好きなの。人間の醜さも、どす黒さも、弱くて汚い部分も、全部ひっくるめて愛しく思う。それが人間だもの――。だからね、あの薬は、それを引き出すお手伝いをしてるだけ。人間を捨てるなんてとんでもないわ」


 撫子は本能で知っていた。

 清純で真っ白な「じぶん」から、とろりと強い毒の気配を感じた時、

 悪い男にとって、それは強烈な魅力に変わるのだと言うこと。庇護欲と独占欲が同時に掻き立てられ、今この瞬間にも、両腕に掻き抱きたくてたまらなくなる。


「人間に、なるための薬なのよ」


(さあアルバ。私をほしがって)


「……」


 答えないアルバに、撫子は、少し困ったように微笑んでみせた。

「可愛い人」

 アルバの両頬を手のひらに包んだ撫子が、吸い寄せられるように彼に唇を寄せる。それが触れるに至らなかったのは、その場にいた全員が武器を手に彼女の命を刈り取ったためではない。


 撫子の唇が触れたのは、銃の冷たいシリンダーだった。





**





「まっ………っっってぇ!!!!???」

「煩ぇ」

「うるさくない!何で!?ちょっ、お願い!!ごめんなさい!!一回止まってください!!お願いします!!」

「黙れ」

「この暴君!!ギャー!」


 アルバに抱えられたまま、リオは東京の夜を駆けていた。……というより、ほとんど跳んでいた。


(アルバの、身体能力がバカ高いのは、知ってたけど!まさかビルとビルの間を跳ぶなんて!!しかも!命綱なしで!!ふつー死ぬわ!!)

「死ぬか」

「心読むのもやめてください!」


 ぴるぴるぴる、と携帯が小さく着信を主張している。リオはもう抵抗を諦め、再び走り出したアルバに抱えられながらどうにかショルダーバッグから携帯を引っ張り出した。

 着信はノーチェからだった。


《おーす。リオ。お前今どこいる?》

「分かんない!」

《すげー風の音。もしかして首領といんの?》

「いるっていうか、さらわれてるっていうか」


 伊良波たちと他愛も無いおしゃべりに興じていたリオの背後に、突然アルバが現れたのは数分前のことだ。廻神たちの、山で熊にバッティングしたかのような青ざめた顔はなかなか忘れられない。

「アル、」「帰るぞ」「えっ」「煩ぇ」

 回想するまでもない、以上である。暴君だ。



《首領といんならちょうどいいや。俺らちょっと野暮用済ましてくから先帰ってて》

「野暮用?」

《そ。なーんか変な車につけられてっから遊んでやろうと思って》

「え、大丈夫なの?それ」

《もち。つーかこっちよりもやべーのオマエな》

「えっ」


 首領、かなりキレてっから気をつけろよ。

 それだけ言われてブツっと切れた電話。

 しばしの沈黙。リオは携帯をゆっくりバックにしまうと、そろそろと視線だけ上に持ち上げた。


 バチッと視線がぶつかる。

 アルバの真紅の瞳は、たしかにこれまでになく不機嫌そうではあった――が、リオにはそれが、どうしてか、所在なさげに彷徨う子供のように感じられた。

 慌てて、アルバの胸元のシャツを引く。


「とまって、アルバ」


 アルバは、ゆっくりと足を止めた。

 どれだけ走ったのだろう。

 リオたちの立つビルの下方には、日本でも有数の夜の繁華街が広がっている。ネオンの色に染められた雑踏が遠くに聞こえる。


「……どうしたの?」


 アルバが口を開いたのはしばらくしてからのことだった。



「俺たちはゴミ溜めで生きてきた」


 二人の髪を揺らす風はぬるく、どこか寂しい。


「殺しも盗みも全部やった。腐った人間も山ほど見てきた。この世には、救いようのねえ奴がいる。地獄行きが決まりきった、俺たちみたいな奴がいくらでも。お前も……もう十分見てきたはずだ」


 アルバの瞳がリオを見つめた。

 何かの答えを求めるように。


「なのにお前は、どうして人を愛することを諦めねぇんだ」



 何を思って、アルバがそんな問いかけをしたのか知らない。でも、


「……なんだ」

 リオは綻ぶように、ほっと笑った。

 聞かれたのがそんなことでよかった。当たり前に、自分が応えられるものでよかった。



「だって、弱い部分も汚い部分も、全部ひっくるめて愛しいと思うから」



 勝手に湧き起こるものは、どうしたって留められないんだ。



「私は私の命が許す限り、愛したいと思う人を愛すの。そうしたくて、そうしてるの」



 深いため息と共に、アルバの頭がことんとリオの肩に乗る。

 疲れたような、安堵したような、不思議な沈黙の音がした。

 


「……つくづく、てめぇは殺し屋にむかねぇ」

「もう言われ慣れた」

「殺した奴らのことはどう折り合いつけてんだ」

「それはお互い様。命のやり取りをする時は、どっちが死んでも言い合いっこなしでしょ?」

「……ジジイが言いそうなことだな」

「そ。おじいちゃんの入れ知恵!よくわかったね」


 けらけら笑うリオを、アルバは強く抱きしめた。

 ぎゅうぎゅうと、痛みは感じさせない程度に。


「ふふ。なぁに」

「……るせぇ」


 リオの語るなにもかも、馬鹿げた綺麗事でしかない。裏社会を生きる人間らしさでいえば撫子のほうがよっぽど真っ当である。弱い奴は弱いまま死に、薄汚ぇ奴は薄汚い生き方で一生を終える。そこに理想も夢もない。なのに、


 それでもアルバは――クソ喰らえと思ったのだ。

 撫子の語るあの仄暗い未来を、クソだと思った。昔の自分なら、平然と受け入れていたはずの未来を。


「……驚け、リオ」

 

 アルバは彼女のつむじに口づけた。

 自身の変化を甘受する、その口角は、自然と上を向いていた。



「お前の言う鹿が、どうやら俺たち、存外嫌じゃねぇらしい」

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