接触

(彼らが――――、いいえ。彼が、来てるのね)


 化粧室に飛び込んだ撫子は、ドキドキとときめく胸に手を置き、大きくひとつ深呼吸をした。気を抜けば喜びに顔が崩れてしまいそうだ。

 彼女、リオ=サン・ミゲルの言葉を思い出して。


『今日のパーティ、私と留学生チームのみんなで招待されたんだけど、ここにつくなりって言われちゃって……。皆、何か他の用事があるみたい』


 そいつは傷心と動揺を隠しきれていないような顔でそう言った。

 あの女の言葉でこんなに嬉しいと思ったことはない。


(あいつ、本当に何も知らないんだわ……!)


 思った通り。リオ=サン・ミゲルは、一般人として、彼らに確固たる線引きをされている。それはともすると、彼女を危険から守るためかもしれない。

 でも、そんなのって敗北も同然だ。

 撫子は声をあげて笑った。


 だって、彼の隣を歩くのがそんなにでいいはずがない。

 西半球で最も名の知れた殺し屋組織の、そのリーダーの隣に立つんだもの。


 穢れを知らない野花なら、おとなしく道端に咲いていればいい。

 彼の隣にいていいのは毒を孕んだ撫子わたしだけ。


 撫子は唇に真紅のリップを引いた。

 親指で軽くこすり、上下の唇をあわせて赤を深く馴染ませる。深層まで染まれと、いわんばかりに。


「教えてあげる」


 本物の悪のはながどんなに美しく咲き誇るのか、教えてあげる。気付かせてあげる。そしたらきっと、あなたは私に嵌まって抜け出せなくなる。


「待っててね。私の愛しいアルバ」





 化粧室を出た撫子は、確かに、普段の雰囲気とはまるで異なる、ある種の凄みのようなものを発していた。

 知らずと道を開けるパーティの参列者たちの間をゆうゆうと歩いた。

 広間に視線を巡らせてクラスメイトたちの姿を探したが、人が多くて見当たらない。

 自分の本当の姿をこの機に彼らにも見せていいと思っていたが、それはまた次の楽しみになりそうだ。


「撫子っ」


 背後からの自分を呼ぶ声に振り返ると、肥えて醜い父がどすどすと音を立ててやってきた。高級なオーダーメイドスーツは父が太るたびサイズを変えるので、今や特注も特注のサイズになっている。

 それでもまだ弾け飛びそうなボタンに、撫子はうんざりため息をついた。


「お父様。またボタンがとんでっちゃう」

「そんなことより、聞いたかっ、奴らが今」

 ゆらりと撫子が微笑む。

「――ええ。もちろん聞いたわ。だからね、お父様」


 私、すごく綺麗でしょう?

 そう尋ねた撫子に驚いた眼差しを向けた、父、あざみは、やがて額に汗を浮かべたままニッタリと頷いた。


「……さすが私の自慢の娘だ。やることは分かってるね?」

「もちろん。彼らといい取引を結ぶために、まずは懐に入らなきゃね」

「よろしい。では、共に野犬どもの躾といこうじゃないか」

「ええ。パパ」


 にぎやかなホールの最奥にあるソファブースの一角。そこだけがまるで切り取られたように異質な空気を醸し出していることに、撫子は気がついていた。


 すれ違う淑女たちの囁きが聞こえる。


「あの人たち、こわいわね……」

「ええ……。でも、なんだか……」


 双方頬をうっすらと赤く染める様子は、まるで初めてマリファナを知った少女のよう。撫子は冷笑を浮かべて彼女らの横を過ぎ去った。


(どいてちょうだい。あなたたちなんかに、分不相応よ)


 行きすぎる紳士たちが言う。


「おどろいたな。ああいう輩も招待されてるのか」

「廻神様は顔がお広いから、そういう付き合いもあるんだろう……。なんにせよあまり関わらないことだ」


 彼らが学生として帝明学園に潜入していると知ったら、この人たちはなんというかしら。

 撫子は想像してくすくす笑い、彼らのそばを過ぎ去った。


 やがて人垣を抜ける。

 撫子はしばし、痺れるような殺気に声を失った。




 そこはさながら、ヒトの姿を成した狼たちの巣窟。


 からんと。

 グラスに入った琥珀色の液体がアルバの手の中で揺れている。

 テーブルに足を投げ出したアドルフォが、星屑のような金色の髪を掻き上げて退屈そうに欠伸をした。

 バレリアの膝に頭をのせて本を読むススピロの横で、丁寧にナイフを磨いているのはノーチェだろうか。

 キーボードを叩くファロの傍らには、たった今灰皿に押し潰されたされたばかりの吸い殻があった。


 静かに場を支配する彼らの存在感に、目を奪われれた人間がどれほどいただろう。

 それでも、彼ら一人一人が放つ、容易くは触れがたい罪業の香りに、最後は誰もが目を逸らして無意識に息をひそめるのだ。

 


「おや」


 

 声が上がって初めて、撫子はアルバの正面に据えられた椅子にもう一人、男が腰掛けているのに気がついた。

 肌がひりつくような殺気が蔓延するその中にあって、少しも動じず、余裕に満ちた表情をこちらに向ける男の顔に、撫子も覚えがあった。


 帝明学園理事長、廻神恭太郎。


「あなたが来られているとは思わなかったな、藤野さん」

「これは……廻神理事長、ご無沙汰しております」

 薊は上っ面の笑顔を顔に貼り付けて会釈した。


「ご多忙だと聞いていたので今回のお誘いは控えていたのだが……、どうやら私の杞憂だったらしい。お越しいただき感謝します」


 廻神彗によく似た甘さのある目元がゆるりと微笑む。

 恭太郎は揃えた指先をアルバたちのほうへ向けた。


「紹介しましょう。彼らはうちのでね。ちょうど今、日頃の学校生活について色々話を聞いていたところです」

「茶番はいい」

 ゴトン、とテーブルにグラスが音を立てて置かれる。

 アルバの鋭い視線が一瞬で周囲を威圧した。


「俺たちの探してるものについて、お前が知っていることを全て話せ。知らねぇなら、ここに用はねぇ」

「……噂に違わず性急だな」


 ふっ、と苦笑を漏らした恭太郎は唐突に腰を上げた。


「君らが何を探してうちに潜り込んでいるのか、知らないが、今日は多くの客人がいる。君らの求める何かを知る者も、もしかしたら現れるかも知れないな」


 藤野さん、と廻神は余裕綽々の笑顔を浮かべ、背後を振り返った。


「もしよければ、すこし彼らの話し相手になってやってくれないか?」

「……はぁ」

「申し訳ないが、私は他の客人の相手もしなければならなくてね。あなたなら安心して彼らを任せられる――。撫子さんも、ほら、ここへおいで」


 椅子を引かれた撫子は、促されるまま彼らの前に腰を下ろした。

 六人の殺し屋たちの視線を全身に感じながら、急激に熱を持つ身体に(おちつきなさい)と念じて、撫子はにこりと困ったような笑顔を浮かべた。


「私なんかでお話し相手になれるかしら。みなさん、よろしくお願いしますね」


 娘の隣で棒立ちになっていた薊は、腕を引かれるままバレリアとススピロの間に腰を落ち着けたらしい。

「薊様っていうの?素敵なお名前」

「……ねえ、何飲む?」

 薊は二人に挟まれてあっというまにデレデレした顔つきになっている。


「ああ。そうだ」

 ソファブースを仕切る薄紫のベールカーテンを閉めながら、不意に恭太郎が声を発した。穏やかな眼差しで。全員に向け。


「これでも私は聖職者でね。これ以上我が身にドブ水が跳ねるのは御免なんだ。だから、頼むよ諸君」


 恭太郎の瞳からすっと笑みの余韻が消えた。そこで初めて、彼らは廻神恭太郎の静かなる怒りを知る。




「全部終わったら、全員、速やかに私の前から消え失せるように」







(今頃、撫子はアルバたちに接触したかな)


 留学生チームが理事長からの招待を受けていたことを知ると、撫子は目の色を変えて、

「ごめんね。私ちょっと、お父様とご挨拶回りがあるから」

 と、にこやかに微笑みながら去っていった。おそらくアルバたちのもとへ行ったのだろう。まんまと。思い通りに。手のひらころころ。


「……」


 リオは嫌な気分になりそうなところをぐっと堪え、白いテーブルクロスの上に乗せられた色とりどりの食事に無理やり意識を移した。美味しいものでも食べて忘れることだ。リオの今の役目は、ただ彼らのお守りをすればいいだけなのだから。


「……」


 素敵な白スーツのアルバが一瞬でも撫子の視界に入るかと思うと鳥肌が立つほどに嫌だが、仕方ない。これも仕事の一つである。


「ねえ、どしたのその顔」

「……伊良波」

「親の仇前にしたみたいな顔してるけど」

「……別にぃ」

 ぶすっと答える。

「それと、服……」

「服?」


 そういえば伊良波と久しぶりに話す気がする。見上げるが、なぜか目は合わなかった。

 リオは自分のドレスを見下ろし、どこかおかしいだろうかと首を傾げた。


「ふつうのドレスコードだけど……変かな?」

 伊良波はちらりとリオに目をやり、すぐにまた目を逸らした。微かに耳が赤い。

「変っていうか、その……」

「綺麗だ」

「は」

 伊良波と一緒に振り返ると、シャンパングラスを手渡される。

 余裕の笑みを浮かべた廻神だった。


「制服の時とはずいぶん雰囲気が違うな。すごく綺麗で、驚いた」

「……あ、りがとう」


 渡されたグラスを受け取る。廻神にやわらかく微笑まれ、リオはどぎまぎと視線を逸らした。

(そ……そうか。ここには廻神父がいるから恋してる演技が必要なわけね)

 納得はしたが、それにしてもあんまりストレートに褒められすぎると流石に照れる。


「あれれェ。彼女監査対象じゃなかった?もっとツンケンしたほうがいいのでは?」

「ここは社交の場だからな。それに相応しい振る舞いをしたまでだ。お前こそ急に機嫌が良くなって何かいいことでもあったのか?ヤドカリ君」

「怒涛の勢いで喧嘩売ってくるの怖」


(さて)

 なにやら言い合いを始めた伊良波と廻神は捨ておき、リオは周囲を見回した。

 彼女の仕事は、アルバたちが無事撫子とコンタクトを取るまで、廻神をはじめとする帝明メンバーを隔離しておくこと。

 東の姿は、ない。ここへは来ていないらしい。

「……」

 リオに話しかけたそうにチラチラ視線を送ってくるのは伊良波の双子の弟妹だ。先日彼らから受けた痛烈な批判は忘れていないが、何のつもりだろう。

「……」

 次に五十嵐に視線をやると、バチッと音がしそうなほど重なった。ぶんっ、と逸らされる。


「……」

「……」



(なんなのこいつ)

(……やべえ、目、見れねえ)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る