あの人を許して
外はもうすっかり暗くなってしまった。
校門を出たリオは、塀にもたれるようにして一服する人影を見つけ、微笑んで近寄る。
「おかえり、ジル」
それは数日ぶりに見る部下の姿だった。
「……居残りもほどほどにしてくださいよ。リオ様。ホテルでアルバ様が待ちくたびれてます」
「うん、さっき電話来た。っていうかジル、禁煙中じゃなかった?」
「度重なる激務のストレスのせいですね」
「ごめんよ」
携帯灰皿にタバコを押し込んだジルは、たしかに疲れた面持ちだ。
名門高校の前に黒スーツでタバコを吸うあやしい男がいたらまず通報されるだろうから、彼もリオが出てくるタイミングを見計らって来たのだろう。
「スペインで藤野組の末端が拘束していた、あなたの両親――と誤認されていた夫妻ですが、藤野撫子がアルバ様たちの正体を知った日に解放されていました。おそらく、あなたの家族を傷つけることで自分が負うデメリットのほうが大きいと考えたのでしょう」
「……撫子の考えそうなことだね」
リオはうんざりと言った。
彼女はおそらく、アルバが接触して来たタイミングで、自分がリオの両親(仮)を救ったのだと吹聴する気だろう。拘束も暴行も、リオの学園での撫子に対する振る舞いに怒った部下が勝手にやったこと。
「ごめんなさい、止めるのが遅くなってしまって……。でも私、リオちゃんの家族を守れてよかった」
なんて泣かれてみろ。
撫子の腹黒さを知らない人間から見たら、まるで魑魅魍魎の巣に咲く一輪の花。あくどくえげつない裏社会にあって、優しい心を捨てきれない純粋な少女の出来上がりである。
「そんなんいたら私が友達になりたいくらいだよ」
「何の話ですか」
リオの話を流しながら、ジルは報告書を差し出す。
「夫妻の話によると、彼らは本当にただスペインに旅行に来ていただけの一般人だったようです。帝明学園の生徒とも、藤野組とも小日向組とも、一切関係のない人間」
「……そんなことあり得るの?」
「普通は、有り得ません。しかし藤野組は独自の情報網を使って動いている。その情報の信憑性がうちの足元にも及ばないこともまた事実ですから」
「……」
ほんとうに、ただの人違いだろうか。
リオは撫子から押し付けられた写真を取り出し、じっと見つめた。
恐怖と絶望に染まった夫妻の表情。
――やはり、記憶の中に思い当たる影はない。
仕方なく、リオはそれを制服のポケットにしまってジルに顔を戻した。
「ありがとうジル。疲れただろうし、しばらくお休みとっていいよ。こっちにはアルバたちもいるし、私もひとまず第一線からは外れたから」
「………ええ、まあ……そうですね」
珍しく煮え切らない返事をよこすジル。何か気掛かりでもあるのだろうかと先を促せば「……野暮用だけ済ませたら、お休みをいただきます」と結局何かは教えてくれなかった。
「帰りましょう。あなたを迎えにいけと仰せつかってますので」
誰から、とは聞かずとも明らかだ。
ジルは車で迎えに来たらしい。
リオは彼の後に続こうとして、ぴたりと足を止めた。携帯の液晶を明るくすれば、時刻はすでに7時をすぎている。
「………ごめん、ジル。ちょっとだけ待ってて」
**
リオが向かったのは、あの駄菓子屋。
とっくに店じまいした駄菓子屋のベンチに腰掛ける人影を見て、小さくため息をついた。
「………私、行けないって言ったでしょ」
竹刀袋を抱えるようにして俯いていた瀬川が、ゆっくりと顔を上げる。
彼はリオを見ると動揺するように瞳を揺らし、やがてふいと視線を逸らした。
「………あなたこそ、何で来たんですか。恋人が嫌がるからいけないって言ってたくせに」
「瀬川が待ってたらって、ちょっと思ったからさ」
「……別に、あんたを待ってたわけじゃないです」
再び俯いてしまった瀬川。
リオは仕方なく、鞄を肩に引っ掛け直して彼に近寄った。
「瀬川」
「……あっち行ってください」
「拗ねてる?」
尋ねると、
「っ誰が、」
と赤くなった顔がばっと持ち上がる。リオと目が合うと彼は口を引き結び、やがて静かに目を伏せた。
「あの日、王凱さんを止められなくてすみません」
黙ったリオに瀬川は続ける。
「王凱さんが、志摩さんだけじゃなく、あなたにも危害を加えようとするなんて……正直、思いませんでした。助けられなくてすみませんでした」
「志摩は、怪我しても良かったってこと?」
尋ねると、瀬川が目を逸らす。
「……いえ」
「私、怒ってるんだよ」
明日の放課後、道場に行ったら王凱にもはっきり言うつもりだ。
「あなたたちは卑怯だった。まっすぐに勝負を挑んだ志摩を、あんなやり方で侮辱したんだから」
瀬川が傷ついたように黙る。
リオは彼に背を向けた。
今はまだ、彼を許すつもりはない。
「志摩は私の大事な友達。だから、彼が許すまでは、私もあなたたちを許さない」
「……リオさん」
「ついて来ないで」
はっきりと告げると、瀬川が背後で足を止めたのが分かった。
立ち去るリオに向けて、寂しげな声が届いたのは、それからしばらく経ってからのことだ。
「……王凱さんを、許してください
あの人は、人を傷つける刀は、振らない。王凱さんは――…」
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