廻神彗の秘密

 目を覚まして中庭に戻ると、まだ残って作業をしている数名以外はほとんどが任された仕事を終えて帰宅したらしかった。

 リオは大きな欠伸をしながら歩き出す。

 このダンボールを生徒会室に置いたら今日の任務は完了だ。


(それにしても、濃い一日だったな)


 まず、昼間っから水を浴びせられた。怒ったアルバにお姫様抱っこで運ばれて、そこには拘束された塩谷がいて、それから、アルバに色々と分からせられて、最後には廻神に……。


(あれ、でもあれって果たして、告白だったのかな)


 嫉妬した、ときまり悪そうに言った彼のことを思い出す。

 いつだって常に自信満々で、全校生徒からの憧れをほしいままにする廻神の、あんな顔を見るのは初めてだ。

 が――、別に、好きだと言われたわけじゃない。


(だいたい放課後の校舎で告白なんて、少女漫画の読みすぎだよね。廻神だってこの学園で同世代の淑女たちを選びたい放題なんだから)


 ないない、なんて空笑いして生徒会室の扉を開ければ、正面のデスクに腰掛けていた廻神とバッチリ目が合ってしまう。


「やっと来たか」

「えっ、」

「俺を待たせるとはいい度胸だな」


 リオはあやうくダンボールを落としかけながら廻神を見る。

 真剣な眼差しを受け、思わずさっと目を逸らした。


「……待たせるって、別に約束、してないでしょ」

「まあ。でも、どうせそれを置きに来るだろうと思ってた」


 だから、待ってた。

 そう続けた廻神。

 リオはコの字に並んだ机の上にダンボールを乗せ、悩み悩んだ末、廻神の前に立った。


「…………廻神、あのね」

「俺を袖にする気なら、その必要はない」

「え……」

「お前があの三年に心底惚れてるは知ってる」


 廻神はリオの言葉を遮って優しく言った。


「まあ、だからこそ、お前がいいんだけどな」

「………ん?」


 言葉の意味がわからずに顔を上げる。

 ずいっと目の前に差し出されたのは、A4サイズの革の冊子の束。


「なにこれ」

「見合い写真」

「え!?全部!?」


 驚愕しながらためしに数冊開いてみる。たしかに、それらはすべて淑女然としたお嬢様たちが似たような微笑を浮かべていた。

 廻神は疲労感でいっぱいの声で言う。


「お前には悪いが、しばらく俺の懸想けそうする相手でいてくれないか。学校でそういう振る舞いをする気はない。家の奴らに言い訳が立てばいいんだ」

「なんだ、そういうこと……」


 腑に落ちたリオはほっと胸を撫で下ろした。

 もし本気の想いを向けられていたら、リオにはアルバがいる。廻神の気持ちには応えられない。でも、建前だけなら。

 リオは笑顔で頷いた。


「もちろん協力するよ。私も廻神には嫌な仕事お願いしちゃってるしね」

「……そうか、助かる」


 安心したように微笑む廻神。

 学園の理事長でもあり、政界に通じる有権者(しかもヤクザ筋とも繋がりまである)という大物の父を持つ彼のことだ。こちらには見せない苦労も多くあるのだろう。


「リオ」


 廻神の顔が急に引き締まる。


「今日、撫子が俺のところに来たぞ」


 撫子の名が廻神の口から出たことで、リオもぴんと緊張の糸を表情に張った。三年の女子たちのこと。塩谷のこと。撫子が今本気で「リオ」を陥れにかかっていることは明らかだ。


「お前にやられたと言って、アザだらけの腕を見せられた」

「………へえ」

「もちろんやってないのは分かってる。だが東と五十嵐はすでにそのことを知ってしまってるようだ」


 東に、五十嵐。

 デパートでの一件があって、リオはいよいよ彼らを敵視できなくなってきていた。できれば穏便に済ませたいというのが本音だが、きっとそういうわけにもいかないのだろう。

 彼らがたとえば武力行使にでも出たら、リオも反撃しないわけにはいかない。


「もちろん、あいつらが過激な行動に出ないよう俺も抑制はする。だがお前も油断はするなよ」

「……うん。わかった」


 リオは肝に銘じるように息を吐き尽くして、廻神を見た。

 今さらながら、彼に対しての感謝の気持ちがじんわりと湧いていた。


「廻神。いつも助けてくれてありがとう」

「……何なんだ、急に」

「ごめんね。どうしても、言いたくなって」


 たとえば廻神が率先して撫子を擁護し、リオを迫害する音頭をとっていたら――リオを取り巻く環境はもっと地獄だったに違いない。

 そうならないのは彼が生徒たちの模範となり、行動をセーブしてくれているおかげなのだ。



「廻神がこの学校のトップで良かった」



 心からの言葉を告げると、廻神は微かに目を見開いた。

 やがて浮かべたのは、いつもどおりの余裕ぶった勝気な笑みだ。



「当然だろ。俺以外にこの席にふさわしい男なんかいるはずないしな」

「……ふふ、自信家は相変わらずか」

「褒め言葉だな」

「まあそうね」


 おかしそうに笑ったリオは「じゃ、また明日」と軽やかに片手をあげて生徒会室を出た。


「……」

 後に残された廻神は、ややしてどかっと椅子に腰かける。反動で背もたれはしなり、キャスターはころころと後ろに滑った。

 彼らしくない粗雑な振る舞いも、今は気にかけている余裕がない。


(……平静は、保てた)


 どくどくとうるさい心臓を黙らせるように俯き、片手で顔を覆う。耳が異様に熱い。あいつに、バレてなきゃいいが。


「……参ったな」


 こんなの、何一つスマートじゃない。

 廻神がトップで良かったと、リオの素直な声がいつまでの耳の奥に貼り付くので、廻神は緩みそうになる顔を抑えるのに躍起になるのだった。

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