episodio6

嫉妬

『今日、放課後ですか?』


 瀬川からそんな連絡があったのは、6限の終わる直前のことだった。〝どっち〟とは、剣道部と生徒会、どちらに行くのかということだろう。

 リオはほんの少し眉を寄せて、ぶっきらぼうに返信を送る。


『今日は生徒会』


 王凱からの一撃を胸に受け、志摩が病院に運ばれたあのあと。

『志摩さんから、退院するまで誰も見舞いに来させるなと連絡がありました。先輩も行かないでください』

 と連絡が来てから数日間。瀬川にいくらメッセージを送ろうが、無視され続けていたのはリオなのだ。


(志摩の容体は病院の電子カルテでチェックできるからいいとして……。どうして会いに行ったらだめなのか、瀬川が知ってるなら聞きたかったのに)


 その理由が、リオの顔を見たく無いと言うのなら正直分かる。

 リオさえ現れなければ志摩と王凱がぶつかることもなかったのだから。


 しかし王凱のあの非道な振る舞いを見て何も言わない瀬川にも、リオは物申したいことがあったのだ。彼のあの戦い方は、志摩の本気を侮辱するもの以外の何ものでもなかったから。



『わかりました』

『じゃああの駄菓子屋で、6時半頃待ってます』


 ぽこ、ぽこ、と立て続けにメッセージが届く。

 リオはそれを確認して一言メッセージを入れると、携帯をカバンにしまった。



**



「廻神先輩。こんにちは」


 撫子の甘い声が耳に届いたのは放課後のHRが終わってすぐのことだった。そちらに顔を向けると、いつも通りぴしっとしたブレザー姿の廻神が、教室の後方の扉に立っていた。


 彼の姿を見た何人かのクラスメイトたちが慌てて髪や身だしなみを整えている。アドルフォやファロたちのアイドル的なもてはやされ方と違い、やはり帝明に根付く廻神彗の人望は、ほとんど憧憬や崇拝に近いものなのだろうとリオは感心した。


「会長。呼んでくれたら僕たちがクラスまで伺いますから」

「構わない。セレモニーの件で、藤野にも伝えるべきことがあった」


 廻神の姿を見つけるや、まるで忠実な騎士のようにその傍に近寄る東。後ろの席の五十嵐もまた、がたりと椅子を引いて立ち上がった気配がした。

 しかし彼が向かったのは廻神のもとではない。

「……なあ」

 椅子に腰掛けるリオの斜め前にしゃがんだ五十嵐が、机をはさんだ向こう側からじっとこちらを見てくる。詳しく言えば、リオの顔を。


「お前、土曜どこいた?」


 ぎくっと飛び跳ねそうになった肩を根性で抑える。

 何食わぬ顔を装って、リオは答えた。


「家だけど」

「…………ふうん」


 じいっと、彼が眉を寄せて見ているのは、リオの右頬だ。

 あのモールジャックの日、女幹部が放った銃弾が掠めたのがこちらの頬である。五十嵐がそれを探しているのだと気づき、リオは一瞬で冷や汗が止まらなくなった。


(こ、コンシーラーで隠せる程度の傷でよかった……。ていうか何で!?怪しまれるようなことした覚えないのに……!)



「ミゲル」


 背後から呼びかけられ、リオはこれ幸いと振り返った。

 そこには廻神と東、そしてその背後に怯えたように縮こまる撫子の姿がある。おや、と不思議に思ったのは、廻神の顔つきがどこかいつもより険しく見えたためだ。


「今日の活動はセレモニーの実行委員会と合同で行うことになった。放課後は中庭に集合してくれ」

「はい」

 素直に頷くと、廻神は東たちに顔を向けた。


「お前たちは今日は休んでいい。一昨日の件で、疲れただろう」

「僕は平気です。それに、お疲れなのは会長も同じでしょう」


 モールジャックの当事者である東と五十嵐は、今日の午前中まで警察の事情聴取に付き合わされていたと聞いた。やはりあの場を早々に撤退したリオたちの判断は間違っていなかったのだ。

「俺もまあ。気になることあるし」

 とこちらから視線を外さない五十嵐の圧を感じつつ、リオは黙って支度を始めた。


「……リオちゃん」


 話しかけてくんなよ。というリオの思いは届かず、おずおずの様子でリオに近付いてくる撫子。クラスの雰囲気がぴりりと張り詰める。

 撫子がこのクラスの大切なお姫様である事実は、そう滅多なことでは揺るがないらしい。


「私ね、セレモニーの実行委員会なの。何か分からないことがあったら、何でも聞いてね」

「……どうも」

「撫子さん。別に無理して話さなくていい」


 こいつはあいかわらず撫子にベッタリだな、と東を白い目で見れば、どうやら今日はいつもと様子が違うらしかった。


「合同作業とは言え、生徒会には生徒会に割り当てられた仕事があるんだ。彼女にはそれをやってもらう。撫子さんに負担をかけないようにするから、そこは安心していいから」

「え?う、うん……」

「ミゲルも。分からないことは撫子さんじゃなくて僕に聞いてくれ」

「え……うん……。分かった」


 どこか吹っ切れたような顔つきで言う東に、つい頷く。

 今までだったら「分からないなら自分で頭を使って考えろ」くらいのことを言ってきていたはずなのに。


(そういえば東、アルバに抱えられてモールから飛び降りたんだっけ。どっか頭とか打ったりしたのかな……)


 心配になっているリオとは反対に、面白くなさそうにしているのは撫子だ。

 彼女はぱっと顔を明るくすると、何か名案でも思いついたかのように「そうだ!」と声を上げた。

 廻神の制服の裾を軽く引き、甘えるように彼を見上げる。


「廻神先輩。今回のセレモニーのメインイベント、舞踏会では、帝明学園の在校生と留学生の生徒がペアになって踊るんですよね」

「ああ」

 当然のように頷いた廻神。

 なにそれ聞いてない。


「確かペアは、留学生からの申し入れがあった生徒――ということにしつつ、実はもう決まってるんでしたよね?」

「ああ。メディアも来るからな。ダンスや舞踏会の経験がある数名に既に頼んである。スペインチームも了承済だ」

 全然聞いてない。

 まさかアルバのダンスが見られる――なんてことには、ならないだろうな。残念ながら。100%ばっくれるだろう。


「それ、アルバさんの相手だけ、リオちゃんにお願いしたらどうかしら」

「は?」


 撫子の提案に、リオはぎょっと目を見開く。

 撫子は愛らしく微笑みながら、うっとりと目を閉じた。


「だって、あんな素敵な舞踏会、本物の恋人同士で踊ったほうが素敵に決まってるもの。いい考えだと思いませんか?」


 ぞぞぞぞぞっと背筋を冷たいものが駆け上がる。

(――こいつ、何が目的なの……?)

 撫子がアルバを狙っているのは明白だ。

 なのに、まるで二人の恋を応援しているかのような言い様。

 絶対に何か裏がある。

 疑心暗鬼になっているリオの思考を遮ったのは、廻神の声だった。


「悪いが、それはできない」


 その突き放すような冷たい響きに、リオもうっかり彼を見る。

 廻神は粛々と告げた。

 まるで裁判で終身刑でも下すような色のない眼差しをリオに向けながら。



「リオ=サン・ミゲルはあくまで生徒会の監視対象だ。それに彼女の悪評は三年の階にまで登ってくる。そんな生徒を、学園の代表として皆の前で踊らせるわけにはいかない――。帝明の恥晒しになるからな」



**




(なんっなのよ、あの言い方……!)


 だんだん、と足音が鳴りそうなほど荒っぽい足取りで、備品庫を出たリオは中庭へ向かっていた。腕に抱えるダンボールにはカラフルなトレーシングペーパーや和紙が山のように入っている。

 今日リオが任されているのは、セレモニーで使用する花飾りを無限に作る作業だ。金持ち学校なんだからこういうものこそ業者に発注してほしいと心の中で毒づいた。


(恥晒しだなんて、口に出して言わなくたっていいのに……!)


 廻神のあの発言を受け、何か企んでいそうだった撫子は残念そうにしていたが、しかし学園のリーダーである廻神が自分側であることを再認識できたのにはご満悦の様子だった。


 分かっている。廻神に撫子の味方として振る舞うように頼んだのはリオだ。彼は頼まれたことをやってくれただけなので、怒る道理はない。

 ムカムカとした気持ちを鎮めるように心でそう唱えていれば、急に腕を引っ張られた。



「リオ」

「………」


 階段下の人の目につかない位置にリオを引っ張り込んだのは、現在彼女の苛立ちの対象である廻神だった。

 下校する生徒たちの賑やかな声が遠くに聞こえる。

 どこかひんやりとした空気が漂う階段下で、廻神の声は硬い。


「……悪かった」


 深い反省と、後悔が混じったような落ち着いた声。

 リオはダンボールを抱える腕に力を込めつつ、胸に蓄えていた怒りがしゅるしゅると消えていくのを感じていた。

 階段下に埃をかぶって重なる壊れた机に、意味もなく視線を向ける。

「悪かった」

 廻神はもう一度繰り返す。


「あそこまで言うつもりはなかった。つい、口が滑った」

「……別に平気。私が頼んだことだし」

「それでも、傷ついただろ」


 俺にはそう見えた。と目を伏せていた廻神が、こちらを見上げる。

 怒られた子犬のような眼差しについついリオもたじろいた。


「う、も、もういいってば。あんな罵声しょっちゅうだし、廻神から不意打ちで言われたから、ちょっと、びっくりしただけ」

「………」

「私のほうこそごめんね。撫子のこと、やりたくなかったら、やらなくていいよ」

「違う」


 廻神は今度こそバツの悪そうに目を逸らした。

 首の後ろをきながら、打ち明けるような顔でリオを見た。



「……実は、藤野の味方をすることとか、普通に頭から抜けてた」

「え?」

「あいつを庇って暴言を吐く気なんか始めからさらさら無かったんだ。品もないしな」

「じゃあ何で」

「嫉妬した。にな」


 首を傾げた廻神が、とんとん、と自分の首筋を叩いた。

 自らのそこに何があるのか思い出したリオは急激にまた真っ赤になったが、それ以上に、廻神の言葉が理解できず呆然とする。

 そんな様子のリオを見て苦笑した廻神は、彼女の手からダンボールを取り上げた。



「存外大人気なくて俺も驚いてる」

「え……廻神……」

「そういうわけで、許せよ」


 リオを置いて歩き出した廻神が、肩越しに振り返って軽やかに笑った。

 暗いブラウンの髪が陽を浴びて明るく染まる。自信に満ちた表情と声で、廻神はこう告げた。


「帝明学園皇帝たるこの俺の権限で、お前らは絶対に踊らせてやらない」


 悪いな。そう言って置いて行かれたリオは、目を瞬かせ、ぽつりとこぼした。


「……嘘だぁ」

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