痛いほどの愛をちょうだい

 びしょ濡れのリオを横抱きにして校内を闊歩するアルバ。

 行き交う生徒たちの視線を釘付けにしながら歩く2人は、控えめに言ってもなかなかに目立っている。


「あの……アルバ、私、自分で歩けるっていうか」

「……」

「アルバさん……」


 リオがどれだけ呼びかけてもアルバは答えない。それどころかリオに視線を向けさえしない。


(やばい、これ相当怒ってる……でも何で?)


 朝の時点では普通だった。

 それどころか昨日一日中リオと休日を過ごしたアルバの機嫌は、沸点低めな彼の水準からしてもかなり穏やかでご機嫌だったといえる。


 たらたらと汗をかきながら、とりあえずこれ以上彼の機嫌を損ねるような真似はすまいと、大人しくその腕の中にいることにしたリオ。

 しかしそんな努力は無駄であると、間も無くして彼女は悟るのである。


「えっ」


 思わず絶句するリオ。

 アルバが足で蹴り開けたのは三階の端にある使われていない資料庫だった。


「んんんんんんん〜〜〜〜!!!」


 すでにボコボコの顔面で、椅子に縛りつけられているのは数学教師の塩谷。

 そして、その向かいには長い足を組んで椅子に座るバレリアの姿がある。


「あら、リオ。首領のお姫様抱っこ?いいわね。とってもかわいいわ」


 リオは既にこの状況の不味さを理解していた。ファロもアドルフォもバレリアも、もちろんアルバも。全員がブチギレていたのは、あの一件を知ってしまったからなのだろう。


「――ここで着替えていきなさい」


「――安心しろ。誰もお前のようなクズの着替えなんか興味はない。それよりもこれ以上授業が中断されることのほうが問題だ。早くしなさい」



 バレリアが薔薇の花弁できらめく朝露のように笑う。


「リオったら、悪い子。このゴミがあなたにしたこと、黙ってるようにジルに言ったでしょう?」

「そ、それは……」

「わかってるわ。あなたのことだから、ゴミにも慈悲をかけてあげたのよね。そういうところ私は大好きよ」


 このゴミ扱いされた塩谷が猿轡さるぐつわの奥でうーうーと唸り、血走った目をギョロギョロさせているが、バレリアは気にもしない。


「だけどね。こいつ、自分からお話ししてくれたの。誇らしそうにね」



 事の次第はこうだ。


「塩谷先生。お隣の席失礼しますわ。私のことはバレリアと呼んでください」

「〜〜!!!」


 新しく赴任してきたバレリアの色気に一瞬であてられた塩谷弘(41)は、その麗しく魅力的な女性を自分のものにすべく、まずは己のステータスの自慢から始めた。さらに、この学園において自分がいかに生徒からの信頼と尊敬を受けているか、声高らかに語ったのである。


「すごいわ。塩谷先生ってなんて素敵なの?もっとお話聞かせてくださいな」


 元よりリオから塩谷が撫子の傀儡くぐつとしていいように使われていることを聞いていたバレリアは、彼を褒めそやして更に塩谷の口を緩めた。

 塩谷は鼻の穴を膨らませながら語る語る。

 己の掲げる教育論。

 指導者としての心構え。


「僕の指導は過激だと言われるが、これも全ては生徒を想ってのことなのです。実は先日もね――」


 そしてとうとう、緩み切った男の口から出てしまったのだろう。

 彼の命を危ぶむに足るあの日の出来事が。


「少し前に転入してきた女子生徒――サン・ミゲルという奴なのですが、そいつがもう酷い問題児で……。あまりにどうしようもないのでクラスメイトたちの前で、わざわざ着替えをさせたのですよ。もちろんこれも、彼女の害悪と呼べるまでの反抗心とプライドを折るためには必要な過程でしてね。そのあとはそれはもう従順に」


「――――――――――塩谷先生。ちょっとだけ外に出ませんこと?私、もっとお話が聞きたいわ」



 バレリアからアルバたちに情報が届くまで数分もなかったはずだ。

 かくして、彼女に拉致された塩谷は今、人気のない資料庫に拘束され、三人の殺し屋の前で無様にも命を晒しているわけである。


 バレリアが塩谷の猿轡を外した。

 塩谷はその激昂のまま、唾を飛ばしながら喚き始める。「ただじゃおかないぞ!!」という言葉を皮切りに。


「貴様ら、こ、こ、この俺にこんなことをして!許されると想ってるのか!!??校長に言って厳重に処罰してもらう!!こっちは警察や報道機関にバラまいて国際問題に発展させてもいいんだぞ!!!あ!?」


 塩谷は今度は、アルバに抱えられているリオをぎろりと睨みつけた。


「お前の仕業か、サン・ミゲル……!!俺に復讐のつもりか!?舐めやがって、クソ女の分際で!!女なんか!男の奴隷として一生生きてりゃいいんだ!!反抗心もプライドも不要!こんなことをしやがって!!!必ず後悔させてや、」

「バレリア」


 リオを抱えたまま、用意された革張りの椅子に腰掛けていたアルバが言う。


「潰せ」



 リオは咄嗟に目を逸らした。

 なんとも言えない音と共に、くぐもった塩谷の絶叫が響き渡った。

「〜〜〜〜〜〜〜!!!」

 直前でタオルか何か突っ込まれたのだろう。見れば、無表情のバレリアに股間を踏み潰されている彼の姿がある。

 

「おー、やってんじゃん」

「……汚い声。死んで」


 からからと引き戸の開く音がしたと思ったら、ススピロとノーチェが教室に入ってきた。

 先ほどまで一緒にアルバに怯えていた2人はもういない。ファロたちから状況を聞いたのだろう。


「あは。リオ真っ青じゃん。だいじょーぶ、お前にキレんのは首領がやるから。こっちは俺らに任せろって」


 ぽんぽんと、ノーチェに頭を撫でられ、リオはますます青ざめた。

 アルバはゆっくりと腰を上げる。


「そのゴミには喋らせなきゃいけねえことがある。殺さず吐かせろ」

「りょーかい」

 塩谷を一瞥したアルバの口角に、残忍な笑みが浮かんだのをリオは見逃さなかった。


「――だが、そいつの猿轡を取ってやるのは一時間後だ」


 それまではどれだけ喋りたがっても喋らせるなと、そういう意味である。





**



 資料庫を後にしたアルバは、そのまま同じ階の空き教室に入った。

 無駄に歴史の長いこの高校は使われていない部屋が多い。そう彼ららに報告したのもまたリオである。


 机の上にリオを座らせたアルバの、燃えるような赤い目がリオを射抜く。

 ばくばくと、緊張で心臓が締め付けられる。

 アルバが何に怒っているのか、察せないリオではない。


「ア、ルバ、わたし」

「脱げ」


 発された言葉の無機質さに、リオはびくりと身を硬直させた。

 おそるおそる目線を上げる。

 腕組みをして扉に背を預け、こちらを見つめるアルバの視線の冷たさに、リオは息を呑んだ。

 まるで死体でも見下ろしているかのようだ。


「何処の馬の骨とも知らねェ、あんなクズに見せられるならここでもできるだろ」

「……」


 リオは、ふるふると首を振った。

 アルバの眉間に深い皺が刻まれる。


「俺は頼んでねえ。脱げと、命令してる」

「………い、や」


 急に視界が暗くなった。

 アルバからの、噛み付くようなキスに、リオは目を大きく見開く。

 歯がぶつかったのかじんわりと口に血の味が広がる。

 酸素が足りなくなって大きく口を開けば、それすらもすぐに塞がれた。逃げられない。苦しい。身を捩るリオの腕を背中でひとまとめにとらえ、こちらを見下ろす瞳に一切の感情はない。


「、やぁっ」

 無理やり顔を背けて拒絶すれば、アルバはようやく唇を離した。

 その拍子にアルバの腕が離れ、再び二人の間に数歩分の距離が空く。

 アルバの目は、依然として冷たいままだった。


「やれ」


 短い命令に、リオはゆっくりと、震える手をシャツのボタンに添えた。


(どう、しよう)


 しらなかった。

 今リオの胸を占めるのは後悔ばかりだ。

 塩谷の前で平然とシャツを脱いだ時、リオの中にあったのは打算だけ。塩谷の罪を追求する時にでも役に立つだろう、と、その程度の気持ちしかなかった。


 まさかアルバがこんなに怒るとは思っていなかった。

 彼は失望したのかもしれない。

 リオがそれを、アルバに捧げなかったから。

 あんな男の目に晒されてしまったこの身体は、汚いと思われてしまったかもしれない。

 血の気の引いた顔で、リオは唇を強く噛んだ。血の味がじんわりと口の中に広がる。


「ごめん、なさい」


 泣くな、泣くな、私が悪い。

 そう強く念じても、心に反して、目からは熱いものが絶え間なく溢れた。

 肩から滑り落ちたシャツを握りしめながら、嗚咽の隙間に必死に謝り続ける。

 考えなしでごめんなさい、

 アルバの嫌がることなんか、一つだってするつもりはなかったのに。

 今なら、リオにも分かる。


「ご、ごめ、んなさ……っ、アルバ」


 アルバの前でこういう姿になる時、それはもっと幸せだと思っていた。

 幸せで、少し恥ずかしくて、でも嬉しいのだと思ってた。


 彼だってそれを望んでいたのかもしれない。


(最低、私………)

 白くなった指先をファスナーにかけ、ゆっくりおろす。


「アルバ、き、きらいに、」

 きらいにならないで、

 最後まで言い終わる前に、リオは強い力で引き寄せられていた。



「………もういい」

 どこか痛みを押し殺したようなアルバの掠れ声が、耳のすぐ後ろに落ちる。それを聞いて、またじんわりと涙が滲んだ。

 なんで謝るの。アルバが謝る必要なんかひとつもないのに。

 アルバに抱きしめられる腕の強さがぎゅっと強まる。



「………てめぇを嫌いになんざ、なれるわけがねぇ」



 こんなにも、お前を想うたびに、思考も全部掻き乱されてならねえのに。

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