後悔先に立たず
時は少し遡り、アルバとリオがガラスケース内のライオン捕獲に奮闘していた頃。
モール内にはリオのよく知る彼らの姿もあった。
「買い出しとかマジかったるいよな〜。廻神のやつ、人のこととことんコキ使いやがって」
デートの約束してたのに、とぶつくさ溢すのは、両手一杯にカラー画用紙をかかえた五十嵐である。
「仕方ないだろ。会長はお忙しいんだから」
買い出しリストにチェックをつけて漏れがないかを確認しつつ、東が答える。
彼らは二人とも私服だったが、来週末に控える交換留学の歓迎セレモニーに向け、現在休日返上で買い出し中であった。
「俺さー、あの失礼な奴らのためにセレモニー頑張る気起きねーんだけど」
唇を突き出してこぼす五十嵐の気持ちが、東も分からないではない。
廻神理事長が選んだと噂のスペインからの留学生たちは、誰一人として普通ではなかった。
東たちのクラスに振り分けられた男子生徒、ノーチェ・カペルは早くも教室で他クラスの生徒と乱闘騒ぎを起こし、
もう一人の女子生徒、ススピロ・アロは協調性皆無。
クラスの誰が話しかけても誰とも口をきかない。
三年生の三人は東もまだ会ったことがなかったが、どうやら一人は絵に描いたような不良で、一人は女たらし。最後の一人は彼らのリーダーであるという。
(……それで、あいつの恋人)
ちくり、と傷んだ胸に気付かないふりをして、東はリストをポケットに押し込んだ。
「よし、必要なものは大体揃った。帰るぞ」
「え!まさか現地解散??」
「馬鹿。学校戻って制作手伝いに決まってるだろ」
「だよなぁ……」
パンッ
パンッ
何かが破裂するような短い音が二度。聞こえてきたのはその時だ。
五十嵐と東は顔を見合わせる。
「……今、何か音がしなかったか?」
「あー……。なんか銃声、ぽかったような……?」
まさかな、と冗談めいて言った五十嵐が硬直したのはその直後だ。
押し寄せる濁流のように、悲鳴を上げた山ほどの人間が右へ左へと逃げ出し始めたのだ。
人々の叫びの中に、「テロだ!」「人が撃たれたぞ!」と絶望入り混じる声が聞こえた気がしたが、まさか――そんなことありうるのだろうか。この日本で。
「東!!」
事態が理解できず呆然としていると、五十嵐に肩をゆすられる。
「と、とりあえず、俺らも逃げるぞ!!」
「あ、ああ……」
「あらぁ?可愛い男の子たち発見〜!つかまえた」
かちゃ、と額に添えられた冷たい感覚に二人して青ざめる。全ての動きを止めざるを得ないその物体の威圧感に、東と五十嵐はそろって息を呑んだ。
「こんにちは」
首を傾げるようにしてひょこりと二人を覗き見たのは、吊り目で鼻の大きな女だった。年齢は四十代くらいに見える。
血に塗れたその洋服に、二人はこれ以上ないほど血の気を失わせた。
額に押し付けられているのは、銃だろうか。
「2人とも高校生かな?メガネの君は、お勉強ができそうね。肌も白くて、耽美系ってやつかしら。素敵」
「………」
「こっちの君は、モデルさんかな?学校でもすごくモテるんじゃない?彼女いる?」
「い、……ない、デス」
「よかった。うふふ、じゃあ、お姉さんといらっしゃい?大丈夫。こわいことなんてしないから」
言葉の穏やかさとは裏腹に、逃げ惑う人々の流れを逆流させる強さには有無を言わせぬものがある。それぞれの背中にあてがわれた銃口に従うように、二人は震える足取りで歩き始めた。
**
女に連れて行かれたセンターホールでは、フロアに座らされた人質がざっと50人ほど、震えながら円形にまとまっていた。
それを囲うように武器を装備した目出し帽の男たちが30人ほど。
女はそこそこ立場のあるポジションらしく「あの子たちあたしのだから触らないでね」と周囲の黒服に命じて頷かせていた。
「……とんでもねーことに、巻き込まれちまったな」
他の人質たちと同じように床に座らせられた五十嵐が、東の横で呟く。小さく頷きながらも、東はこの時には少しだけ冷静さを取り戻していた。
(慌てるな。こんな状況だからこそ、思考するんだ)
「五十嵐」
そっと隣の五十嵐を呼びかけた。
真っ青になってはいるが、こいつもまた正気は保っているらしい。
大声で泣き続けている子供のおかげで、声を抑えれば多少話していてもバレることはないだろうと判断し、東は再び口を開いた。
「携帯は没収されたから警察に連絡は取れないが、ここにいるのは、来場者の1割くらいに見える」
「他の客は逃げた、ってこと?」
「ああ。これだけ大規模な商業施設を襲ったんだ。もともと人質の数は制限するつもりだったんだろう」
「じゃあマジで、俺たち不運すぎんだろ……」
深いため息をつく五十嵐の横で、東はじっと思考を巡らせた。
これだけ大きな騒動が警察に知られていないはずがない。それに、携帯を没収される直前、東は廻神に一通メッセージを送っていた。自分の信頼するあの人なら必ず動いてくれると信じて。
それまではただひたすら、奴らを刺激しないように、じっと待つしかない。
――何があっても。
そう心を固めた時だった。
「うっるさいわねえ!!そのガキ早く黙らせなさいよ!!!!」
いつまでも泣き止まない子供に、女が怒鳴り声をあげた。びくっと体を跳ね上げさせる人質の中で、子供の傍にいた年配の女性がおずおずと口をひらく。
「こ、この子、迷子みたいなのよ……。私ではどうすることも……」
「うるっさいんだよババア!!いいから早く泣き止ませろ!!」
女の剣幕にいっそう声をあげて泣き出す子供。
結局まだ三歳にも満たないであろう彼女は、どれだけ周囲の人間があやしても泣き止むことはなく、それどころかいっそう甲高い泣き声を上げ始めた。
女を含め、犯罪グループのフラストレーションが目に見えて溜まっていくのがわかる。
このままじゃ、と、誰もの頭の中に最悪の想像がよぎった。
「……絶対動くなよ、五十嵐。奴らを刺激しちゃだめだ」
「……わかってるっつーの」
声を押さえて言った東に、五十嵐も答える。
きつく眉を寄せる五十嵐の目は、老人の腕からむしりとられるように引きずり出された子供にだけ向いていた。
「ハァ、もういいわ」
ついに女がため息を吐いた。
「この子殺すわよ。
このままじゃこっちの頭がどうにかなっちゃうもの」
それは、まるで「ちょっと美容院にいってくるわ」とでも言いたげな、ごくあたりまえの調子で放たれた。
東の中で何かが切れたのはその時だ。
「!?おい!!東!!」
自分を呼ぶ五十嵐の叫び声が聞こえる。
気付いた時には、東は女から子供を奪い取り、抱え込むようにうずくまっていた。
子供は相変わらず泣き続けていたが、東がそれを離すことはない。
「……子供を、殺すな」
東は見てきたのだ。
幼い頃から病院で。
必死で命の灯火を燃やしては、燃え尽き、力尽きて死んでいく子供達の姿を。
「子供を、殺すなよ……!!」
声が震える。
次の瞬間、銃弾が自分の体を貫くのではと思うとおそろしくてたまらない。
自分の行いの愚かさには毎秒後悔しかなかったのに、東は心のどこかで、ほっと安堵している自分がいることに驚いた。
(……こんな行為、母さんたちが聞いたら気が狂ったように怒るだろうな。後継がバカな真似を――って)
でも、それでもいい。
頭の片隅をあの黒猫が駆け抜けていく。
「じっとしてろって言ったお前が、何まっさきに飛び出してんだ。バカ」
すぐそばで五十嵐の声が聞こえ、東は驚いて顔を上げた。
そこには犯人グループとの間で腕を広げて立ち塞がる五十嵐の姿があった。
「五十嵐……」
「自分ばっかカッコつけんな」
軽く笑って見せているが、その声は隠しようもなく震えている。
「あはははっ!!!」
あの女が心底おかしそうに笑い出したのはその時だ。
「あなたたちほんとにかわいいわねえ!君、死ぬのこわくないの?」
五十嵐の目前に拳銃をちらつかせた女が言う。
「こえーに、決まってんじゃん」
五十嵐の背中は、こちらから見てもわかるほど震えていた。女はうっそりと笑う。
「ふうん。怖いのに、お友達かばっちゃうんだ。いい子なのね?」
「……うるせーよ」
五十嵐は無理やり口角を上げ、いつものように、女子を口説く時の甘えた目をその女にも向けた。
「お姉さんさ、俺の顔好きなんでしょ?」
「ええ、嫌いじゃないわね」
「じゃあ俺なんでもするからさ。お願いだから、こいつらのこと見逃してくれない?」
「もちろん嫌よ」
即答した女に、その場の誰もが絶句した。
「だってほら」
女は没収した五十嵐の携帯を取り出すと、そのポケットから本人の学生証を引き抜いた。帝明学園生徒会役員の肩書がはっきりと入った学生証だ。
「あなたたち帝明の生徒だったのね。家柄もよく優秀な学生たちが集まる学校。しかも、かの有名な生徒会所属ですって?……こんなの、嫉妬しちゃう」
五十嵐の胸にきつく銃口が当てられる。
何人かの人質が悲鳴をあげて逃げ出したが、すぐに黒服の男たちに捉えられて引き戻された。
「五十嵐、頼む、だめだ、逃げろ」
掠れた東の声に、五十嵐は反応しない。
当てられていた。女の発する狂気に、もう足も動かない。
「私たちがどうしてこんなことしてると思う?この腐った社会のせいじゃない。あなたたち上流階級の奴らが、甘い蜜を吸って生きてるせいじゃない?ね?そうでしょ?だから、ごめんね」
女がゆっくり、引き金に指をかける。
「私、若い男の子は好きだけど、未来有望な子供は大っ嫌い」
五十嵐が数歩、慄くように後ろに下がった。次の瞬間、悲痛そうな顔が東に向けられる。
「……逃げろ、東。」
「――――五十嵐!!!!!!!!!!」
東の叫び声がセンターホールに木霊する。
風が吹いたのは、その時だ。
「――――――退いて」
春風のように彼らのそばを駆け抜けた何かが、銃を構える女ごと数人の男を蹴り飛ばした。
鼻腔を掠める花の香り。
呆然とする彼らの前に降り立ったのは、狐面をつけた一人の少女だった。
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