ありふれたデート

 瞼の向こうが透けるように明るくなり、リオはうっすらと目を開けた。

 待ちに待った土曜日。今日は学校に行かなくていいんだ、とほっとして、あんなにもスクールライフを楽しみていた過去を悲しく思う。


(……まあ、いいや、今日は撫子のことなんか忘れて一日中のんびり過ごそう)


 差し込む朝日から避れるようにシーツをかぶったところで、無情にもそれはバサリとはがされた。


「起きろ」


 この太々ふてぶてしくもどこかセクシーでアンニュイで低くてすてきな声はアルバだ。

 これは起きるしかない。

 眠たまなこを擦りつつ身体を起こせば、細身のパンツにライトブラウンのロングTシャツを着たアルバが目に入った。珍しく私服。とても素敵だ。かっこいい。昨日は外していた義手をもう付けている。


「どっか、いくの………?」


 掠れた声で尋ねると、一言「ああ」とだけ返ってきた。

 リオはまた少し項垂うなだれる。

 昨夜、学校での立ち回りや今後の動きを確認しあった後は、ススピロたちが作ってくれたパエリアやアヒージョなどスペイン料理を堪能しながらの飲み会が始まった。黙々とお酒を傾けるアルバの隣にくっついていたり、バレリアたちと踊ったり、それはそれは楽しい夜だったけど―――、もしできるなら、アルバと穏やかな時間を過ごしたいと思っていたのだ。


「……そっか、きをつけてね」


 しかし何か用事があるならば仕方ない。護衛にはファロかアドルフォがついていくんだろうから心配もないはずだ。

 眠いことは眠いので、リオはもう一度シーツにもぐってアルバに微笑んだ。


「かえりにパニーニ買ってきてほしいな」


 ふかふかの枕に埋もれたところで、すぐまた引っがされた。なぜ。


「てめえも来い」


 若干お怒りである。

 どこに行くんだろ、昨日そんな話してたっけ、と首を傾げていると、アルバはこちらに何かを投げ渡してきた。

 それは三つ折り仕様の施設マップだ。

 ぼんやりそれを見つめていたリオは、数秒後、ベッドから転がり落ちるように飛び起きて光の速さで服を脱ぎ捨てた。眠気はとうに吹き飛んでいる。

(これは!)

 嬉しさと困惑と動揺がいっぺんに込み上げて、さぞかし変な顔になっていたことだろう。とにかく。とにかく。



(で、で……デートのお誘いだ……!!!!)





**




 我らが首領は基本的にインドア派だ。

 休日はどこかに出かけたりするより家にこもっていることが多い。朝から夕方までずっと眠っていることもあれば、本を読んだり、思い立ったように足を向けるのは人気のない海岸や、人通りのない路地にあるバーだったりする。



「…………………アルバ、どうしよう、私」


 アルバがちらりとこちらを見下す気配がする。

 しかしリオは目の前の光景から目を離すことができなかった。


「うれしくて泣きそう」


 そこは都内で有名な大型ショッピングモール。

 ファッション、フード、アミューズメントと、それぞれの規模が他のモールとは桁違いに大きいらしい。


 依然カーサでぼんやり観ていた日本特集の番組で、この施設が映し出されたのはいつだっただろう。

 恋人や家族と休日を過ごす人々の笑顔。

 その平和な光景に、リオはつい「いいなぁ」と呟いたのだ。

 まさかそれをアルバが覚えているとは思わなかったけれど。


「……」


 ぎゅうっと切なく疼く胸を抑えながら、目に映る景色に、じわじわ込み上げる感動を噛み締めた。

 アルバとこういうところに来るのは初めてだ。

 前にアドルフォとファロが出不精の彼を無理やりショッピングに連れ出したことがあったが、二人とも帰宅後はげっそりやつれていた。(次の日の新聞で複合施設全焼の記事を見たが、それ関係があるのかは怖くて聞けてない)



 所狭しと並ぶきらびやかな店舗。

 どこからか鼻腔を掠めるおいしそうな香り。

 耳を澄ませなくたって、あちこちから聞こえてくる楽しそうな笑い声。


 ありふれた景色だ。


 命を脅かされることもない、平穏を絵に描いたようなふつうの家族連れやカップルが行き交うその空間に――――アルバと二人。並んで立っていることが、リオは嬉しくてたまらなかった。


「わたし……」

 小さく呟くように口を開く。

「………今度戦場に出て、瓦礫の中で眠る時……今日のことを思い出すと思う」


 そうして眠る夜は、きっと穏やかに明けていくはずだから。



「リオ」


 不意にぐいっと腕を引かれる。

 見上げると、片方の口角だけ上げたアルバと視線がぶつかった。


「今日はお前に付き合ってやる。したいことは何でもしろ。欲しいもんも全部買え。俺が許す」

「……アルバが優しすぎて怖い……」

ほどこしだ」

 うっかり失礼なこと言ったリオの頬を摘んで伸ばしつつ、アルバは言う。


「単騎で数日耐え切ったお前へのな」


 今回の任務のことを言っているのだろうか。

 勝手に出て行ったのはリオだが、それはさておき、そういうことならここは何としてでも受け取っておかなければいけない。

 アルバとのデートなんて、こんなチャンス二度あるとは思えないからだ。


「Gracias!アルバ!」


(これは、全力で楽しまないと!)


 満面の笑みを浮かべたリオは、そのままアルバの手を引いて歩き始めた。







「まずはこちらからお願いします!」


 リオがはじめに足を踏み入れたのは、モールの映画館だった。

 眉をひそめたアルバがさっそく首を傾げている。


「家で観りゃいいだろ」

「もー、アルバったらわかってないな!」

 映画館で観るのと家で観るのとでは全然違うと力説するリオに、てきとうな相槌を返していたアルバがこちらを向く。

「お前、外で映画観たことあんのか」

「ないけど?……あっ痛い痛いはだつばまないで!」

「無駄な講釈をたれやがって」

「だから、ないから行ってみたいんだってば!恋人とポップコーン食べながら映画鑑賞ってやつやってみたいんだもん」


 だめ?アルバ?とうるうる見つめてみる。

 正直大型スクリーンも一流の音響機器もカーサにあるのだ。だからこそ、外で映画なんて彼が乗り気な今しかチャンスはない。

 アルバはしばらく黙っていたが、掲示してある映画のラインナップをちらりと見ると少しだけ顔を変えた。


「……鑑賞が目的なら、特別観たい映画はねぇんだな」

「え?うん。なんでもいいよ」


 リオにクレジットカードを手渡したアルバは「アイスコーヒー」と言って、自分は発券機の方へ歩き出してしまった。どうやらチケットを買ってきてくれるらしい。

(珍しいな。アクション系の新作あったし、それかな)

 自分も映画の放映表を眺めたあとで、リオは弾むような足取りでフードコーナーへ向かった。なんにせよ、映画なんて久しぶりだ。楽しみ。チュロスも買おう。ホットドックも。



「えっ!!??」



 アルバと映画というシチュエーションに浮かれていたリオは気付かなかった。

 ちょうどいい時間帯にやっている映画が、かつて絶叫した末三日三晩眠れなくなったホラー映画の続編であることも。

 前回それを観て号泣したリオを、アルバがさも楽しげに笑っていたことも。




**


 


「…………うっ……うう、ひどい。アルバの馬鹿……。いじわる……今日もう絶対眠れないんだけど」


 二時間後。

 目を腫らしてゲートから出たリオは、くっくっ、と隣で笑い続けているアルバをじっとり睨んだ。

 タイトルコールの段階で蘇った恐ろしい記憶に大慌てで逃げ出そうとしたリオだが、あっけなくアルバに捕まり、それから二時間。カップルシートで震えながら過ごすはめになった。

 時折口に運び込まれるポップコーンやらホットドックやらの味なんて何一つ覚えていないが、アルバに抱えられながら時折見上げた彼の顔が、思いの外映画を楽しんでいそうだったのは、よかったことだと言える。リオは全然楽しくなかったが。


「お前の言うとおり、あの臨場感は家じゃ出せねぇ。今日は来てよかった」

「ひどい」

「ジャパニーズホラーは嫌いじゃねぇ」

「ひどい!!」

「ふ」

 アルバは膨れっ面のリオの目元を撫で、とびきり優しく囁いた。


「ほら。機嫌を直して、服でも買え」

「……服?」

「俺も選ぶ」



 それから何軒かショップを回り、アルバはリオに似合いそうな夏モノの服を片っ端からカートに入れてホテルに送りつけた。それはもう腰を抜かすくらいの量である。映画の怖さもふつうに吹き飛んだ。



「そんなに着れないよ!!!」

「いらなきゃ捨てろ」

「もっとできないって……!!」


 いくら言ってもアルバが返品しようとしないので、こうなったらとリオも彼へのプレゼントを探しはじめた。

 しかしアルバはどれを充がっても恐ろしく似合ったので。助っ人に来た店員ともども悩みに悩みすぎ、結局最後は飽きたアルバに引きずられるように店を出ることになった。


「ああれ欲しい!!」

「……ガキが」


 続いてリオが指差したのは、巨大なクレーンゲームのガラスの向こうで鎮座しているライオンの人形だ。なんとなくアルバに似てる気がする。

 リオはポケットから出した100円玉数枚で挑んだが、あっという間に全て吸われて撃沈してしまった。面白かったのは、その後交代したアルバもまったくと言っていいほど成果を得られなかったことだ。

 何度アームに捕えてもライオンは重みで逃げ出してしまう。

「………」

「…………んふっ、」

 アルバにじろりと睨まれた。これはかなり熱くなってる。

「両替してこい」

「だめだめ!引き際が肝心だっていつもファロが言ってるじゃん」

「いや。狩るまでやる」


 その後、駄々をこねる彼の腕を引っ張って、ようやく彼をゲームセンターから連れ出せたのが午後2時のこと。アルバは2万円ちょっとライオンに貢いだのですっかり地獄の番人みたいな顔になってしまった。


「おなかへったね。なんか食べない?」

「肉」

「顔こわ。子供泣くって」


 わあああああああん。

 ほらね、と顔を上げたリオは、その瞬間真っ青に青ざめた。


 泣いている子供と、その横で、血を流して倒れる女性。

 彼らの背後にいた覆面の男たちが、天高く挙げた銃を撃ち鳴らしたのはその時だ。



「恐れ慄け愚民ども!!俺たち〝竜星の光メテオ・シャイン〟が、このモールを占拠した!!!!」





何でこうなるのか。

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