明かされる正体

(おかしいわね)


 パステルカラーで統一された部屋の、天蓋付きのベッドに転がりながら、撫子はタブレットをついついと指でなぞった。

 画面には単色のマップと、赤いピンがくるくると動き回っている。路地裏や店先、公園、時にはビルの隙間なんかも……。

 こっそりと忍ばせた発信機は、途中で気付かれて野良猫か何かにくっつけられてしまったらしい。


「撒かれちゃったかなぁ」


 言いながらも、口角は嬉しそうに上がっている。

 どれだけ調べさせてもはっきりしない滞在先。気付かれた発信機。彼らが一般人でない証拠は次々と手元に入ってくる。


(でも、名前でサーチかけても出てこないのよねぇ。中東くらいまで広げないとダメかしら)


 唇を尖らせて頭を悩ませている撫子の耳に、扉の向こうからドスドスと足音が聞こえてくる。間も無く、扉を開けて現れたのは、藤野家主人のあざみだった。

 でっぷり重そうな体を揺らしながら、目を異常に輝かせて、ひどく興奮した様子だ。


「撫子!」

「……もぉ、パパ。ノックしてっていつも言ってるじゃない」

「ああ、すまない撫子、でも、聞いてくれ!」


 すごいことが起きたんだ、と興奮しきりで語る薊に、撫子は仕方なく体を起こして聞く姿勢をとった。


「うちの懇意にしてる情報屋からとんでもない情報が入った!」

「とんでもない情報?それ、私に関係ある?」

「あるとも」


 薊の口元の肉が引き上がり、歪な笑みを浮かべてみせる。その笑みの深さが自分と似ていることに撫子はまだ気付いていない。


「――北半球一の殺し屋兼、特殊傭兵部隊〝Deseo〟 」

「Deseo」

「その幹部たちが今、日本の、とある学園に潜入しているらしい」


 どくんと心臓が鳴る。

 頭で理解するよりも早く、撫子は立ち上がっていた。


「お前の通う帝明学園だよ……。撫子!」

「……嘘」


 薊の太い指に肩を掴まれ、撫子は震えた指先を口元に当てる。


「おまえが裏でしてくれている例の仕事が、いよいよ実を結んだんだ!奴らは日本に来た……!お前とのパイプを得るためにな」


 撫子は全身の震えを抑えるのに必死だった。

 薊は、それは恐怖のためのものだと勘違いしたらしい。赤子に向けるような優しげな表情を浮かべ、言い聞かせるように語った。


「いいか撫子。たしかに奴らは危険だ。だが、もしこの取引が成立すれば、藤野組はこれまでになく財を成すことになる。小日向組など、それこそ視野にも入らないほど大きな組織に生まれ変わることができる!」

「……」

「お前は動かず、毅然とした態度で、奴らが言い寄ってくるのを待つことだ。必ず向こうからのアクションがあるから」


 いいね?

 と念押しされ、撫子は口元を隠したまま何度も頷いた。

「私は薬の追加の製造を急がせる。奴らからコンタクトがあったらすぐに私に連絡しなさい」

 それだけ言って部屋から出ていこうとする薊を、撫子は咄嗟に引き留めた。

「リオ…………、リオ=サン・ミゲル」

 どくどくと心臓がうるさい。

 もしこの予想が当たってしまえば、自分はとんでもない人間を相手にしてしまったことになる。


「Deseoの幹部の中に、その子、いる?」


 薊がゆっくりと振り返る。

 男の表情は、心底怪訝そうなものだった。


「Deseoの幹部として名が上がっているのは6名だ。そんな名前は見なかったが、その人間は何か関係があるのか?」

「…………いいえ。ないわ……。ちっとも、関係ない……」


 肩をすくめた薊が部屋を出ていくと、撫子はそのままベッドに倒れ込んだ。

 口元を抑え、身のうちから湧き起こる興奮を悶えるようにして押し殺していたが、やがてたまりかねたように、バタバタと足を暴れさせはじめた。


 ――Deseo。

 Deseo、Deseo、Deseo ……!!!!???

 ええ、ええっ、もちろん知ってるわ。超一流の殺し屋集団。数名の幹部と数名の構成員のみで成り立っている、ということ以外、ほとんどの情報が伏せられた謎の組織。おとぎ話かと思ってた。ほんとに実在するの?じゃああの、美しい獣のような彼が、アルバが、その首領……?


 彼は、私に会いに来たの?


 ぽた、ぽた、とベッドに赤いシミが垂れる。酩酊したように恍惚とした微笑みを浮かべた撫子は、その鼻から溢れる鼻血を拭うこともなく、ひたすらに妄想を膨らませた。


 スペインの白い街。

 あの眉目秀麗な部下たちが自分の前に道を開ける。

 が振り返り、そっとこの右手を取って口づける。あの甘く、慈しむような眼差しはただ一人、自分だけのものになる。

 リオ=サン・ミゲルが一般人であることは決まった。

 彼女はただ、スペインで彼らが偶然知り合い、口休めのように、ほんの一瞬その人生を通り過ぎただけの他愛無い存在に他ならない。


「彼は、必ず、私の夫にするわ」


 彼がこの手を取った時、衆目を欲しいままにする自分の姿を想像し、撫子はとうとう、叫ぶような嬌声をあげたのだった。










「そういうわけで、向こうの情報屋に俺たちの情報をリークした。今頃藤野にも伝わってるはずだ」

「………あーあ。狂喜乱舞する撫子の顔が目に浮かぶ」

「あいつな。ゼッテー今頃「Deseoは全員私のものよ〜」とかって浸ってそう。頭お花畑って羨ましいよな」「ほんとそれね」

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