らしくない彼女

 撫子から渡された封筒に入っていたのは、椅子に縛り上げられ、ぐったりとうなだれる男女の姿だった。おそらく彼らが撫子にだと誤認されている二人だろう。

 不思議なのはDeseoの誰も、人質となる彼らの姿に見覚えがないことだった。


「はあ〜?助けに行かせた?ジルに?」

「うん」


 リオたちが拠点としていたホテルはDeseoの幹部全員が急遽訪れたために手狭になったが、そこはさすがのアルバ。同じ系列のさらにグレードの高いホテルを押さえ、自分はさっさとそちらに移った。

 リオはノーチェに写真を渡しながら、思案げな面持ちを伏せる。


「だって人違いで捕まってたら不憫じゃん」

「ほっとけよ。どうせ知らねーやつなんだし」


 ぽいと写真を投げ出したノーチェ。

 身内以外に彼が情を向けることはほとんど無いが、その言い種はいくらなんでもあんまりだ。唇をへの字に曲げてノーチェを見れば、赤髪をかきながら彼はべーっと舌を突き出した。


「俺、リオのそーいう偽善者ぶったとこきらァい」

「私も。ノーチェの他人に全然優しく無いとこきらい」

「殺し屋だぜ。殺し生業なりわいにしてんの。お前意味わかってる?」

「殺さない人には優しくしたっていいでしょ!バカノーチェ!」

「てめっ言ったなリオ!!」


 がしっと頭を掴んできたノーチェの頬を引っ張って対抗する。「何やってるお前ら」「喧嘩かー?ほどほどにしろよ」 と、買い出しから戻ってきたファロとアドルフォは、掴み合う二人を見てやれやれと肩をすくめた。

 ほどなくして、ノーチェはリオを睨みながら続ける。リーフグリーンの瞳はバカにするような色をそのまま彼女に向けていた。


「こっちはいーっつも、お前がバカみてーにお人好しなせいで迷惑してんの。そこんとこ分かってる?」

「……」

「今回だって、ガキの頃のダチかなんかしんないけど、そんな奴のためにお前が体張る必要ある?ねーじゃん。そいつだってどうせお前のことなんか忘れてるよ」

「忘れてない」

「どーかな。つーか自分よりクソザコに弱い奴らから罵られたりしてお前よく我慢できんね。俺だったとっくに全員殺してる。Deseoのプライドねーの?」

「いい加減止めろっての。ノーチェ」


 アドルフォの仲裁が入り、ノーチェはようやく口をつぐんだ。

 リビングが静まり返ると、ホテル備え付けのキッチンからバレリアとススピロの和気藹々とした声が聞こえてくる。リオに久々のスペイン料理を食べさせてくれると意気込んでいるのだ。


「………アルバのこと、呼んでくる。このあと打ち合わせでしょ」


 リオは唇を噛み、それだけ言って部屋を出た。

 残されたノーチェもまた苦々しい顔で、頭の後ろに手を組んで天井を仰ぐ。


「……何だよ。俺別に悪くなくね?リオは甘いって、アドだって思うだろ」

「ああ。あいつは殺し屋向いてねーよ」

 ほらな、と鼻を鳴らしたノーチェは、次のアドルフォの問いかけに再び黙り込む羽目になる。


「じゃあ聞くけどお前は、リオのこと手放してやれんのか?」

「………」


 そんなことができるなら、とっくの昔にリオはDeseoから追い出されている。

 優しくて優柔不断で、命を正しく命として扱うあの少女が、戦場で死なないよう必死で守り抜いてきたのは、どう足掻いても、自分たちがリオを手放せないと分かりきっているからだ。


「……ゼッテー無理。つーか嫌」


 黒真珠のような瞳をきらきらさせた少女がDeseoのあの薄暗いアジトを訪れてからこっち、彼らはずっと少女に囚われているのだから。


「だろ?無理なんだよ。だからもう諦めて俺らが守るしかねーの」


 ばりっとチップスの袋を空けて中をつまみ出したアドルフォの横で、ファロも小さく笑う。


「それに、今さっきノーチェに言われたようなことはリオ本人だって気にしてるぞ。非情で非道になりきれない自分が、あいつは嫌で仕方ないんだから」

「………そうなって欲しいとか、別に言ってねーし」

「ならあいつ戻ってきたらちゃんと仲直りしろ」



 どうせアルバんとこでベソかいてるぞ、とけらけら笑ったアドルフォの読み通り、リオは愛しい恋人のベッドにもぐりこみ、その硬い腹に顔を擦り付けて声にならない鬱憤を吐き出し続けていた。



「〜〜〜〜〜〜〜」

「……うるせぇ」


 呆れたような声が落ちてくるが、今ばかりはどうか許して欲しい。

(ノーチェのバカノーチェのアホノーチェのバカノーチェのアホ……!!!!)

「とっとと話をつけて来い。邪魔くせぇ」

「ひどい!」

 アルバはリオが不貞腐れている原因をすでに見通しているらしい。

 顔を上げると、ベッドの背もたれに背を預けた彼は高級そうなブランデーを傾けていた。窓一面に広がる東京の夜景を肴に。うん、本当に昼まで学生やってた人だろうか。


「……アルバも……」


 尋ねようとして途中でやめる。

 殺し屋に向いてないと思う? だなんて分かりきった問いかけを口にしたところで、鼻で笑われるだけなのは目に見えている。

 物心ついた頃からやってきた彼らから見れば、自分など呆れるほどの甘ちゃんなのだろう。



「朝も言ったが」

 おもむろに、アルバが口を開いた。

「お前にできねぇことは、俺やアイツらがやればいい。お前は、俺たちにできねぇことをしろ」

「……アルバたちにできないことって、何?」


 思いつく限り、彼らにできないことなんかないように思える。戦闘力は全員もれなくずば抜けているし、語学も堪能。交渉術はファロやバレリアが、医療はススピロがいてくれる。

 あと空いている枠は料理人くらいのものだが、特別な料理下手もいない。むしろろくな料理を作れないのはリオくらいだ。

(え。どうしよ、確かにこれじゃ足手まといもいいとこかも……)

 今からでも料理教室に通おうかと青ざめながら悶々悩んでいるリオの、艶のある黒髪を弄びつつ、アルバは人知れず口角を上げた。



「……リオ」


 呼びかかければ澄んだ瞳に自分が映る。

 もうずいぶん長いこと同じ世界を生きているのに、この目の曇りのないところには、毎度驚かされるのだ。

 それが、今朝はひどくくすんで見えた。

 あのカス共のせいで。


「……もう傍を離れんな」


 リオははっと目を見開くと、そこでようやく自分が家出同然にカサレスを飛び出したことを思い出したらしい。しおらしく眉を下げ、ごめんなさいと謝った。


「うん。もう勝手に飛び出したりしないね」

「千回聞いた」

「そんな家出してないけども!?」

「バレンシア」


 う、とリオの顔色が変わる。海辺のビーチにアルバを置き去りにして逃げ出したことを思い出した。


「……あれは、その、アルバが綺麗なお姉さんたちに言い寄られてて嫌で」

「ポンフェラーダ」


 今度は目が泳ぎ始める。近場にあった貨物車に飛び乗って地の果てまで連行された時のことだ。


「追っ手がバイクだったからやむなしと……」

「ビトリア」

「………大聖堂が見たくて」

「ア・コルーニャ」

「猫ちゃんが……」

「マラガ」

「あれはふつーに迷った」


 まだまだ出てきそうな様子のアルバにじとっと見られ、リオは再び彼のシャツに顔を埋めた。

「……なんか自信無くなってきた」

「安心しろ。地球の裏側に逃げても見つけ出してやる」

「こわいよ」


 その後、アルバと共に戻ったファロたちのホテルで、仏頂面のノーチェから黒焦げのスペアリブを差し出された。お詫びの印に焼いたらしい。やっぱり狙うべきは料理人枠かもしれない。

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