浄化中
アルバの手のひらから、折れた竹刀の欠片がぱらぱら落ちた。暫くの間、二人は互いの視線を交わし合っていたように思う。
「部外者の入室を認めた覚えはない。貴様、何のつもりだ」
そう発した王凱から視線を離し、アルバはリオを振り返る。彼女が庇うように腕で覆っていた志摩を見た。
「そいつは」
短く問われ、リオは答えた。
「友達、なの」
うずくまるようにして浅い呼吸を繰り返す志摩に、手の震えが止まらない。やっぱり止めるべきだったのだ。王凱と彼がぶつかり合う必要なんて本当はなかったんだから。
おかげで、志摩はこの様だ。
「どうしよう、アルバ……」
目に涙をいっぱい浮かべて言ったリオに、アルバは一つ、大きなため息をついて立ち上がった。依然としてうめき続ける志摩を、ひょいと小脇に抱え上げる。
「うちの部員をどこへ連れて行く」
問いかけを無視して道場の入り口へ向かうアルバの前に、王凱が立った。
アルバは心底億劫そうに口を開く。
「校医に引き渡す。失せろ」
アルバの憮然とした物言いに、王凱の眉がひくりと動いた。
しかし彼が何か言葉を発するより早く、「けーすけ!!」と声をあげて飛び込んでくる影があった。言わずもがな撫子である。
彼女は涙をはらはらこぼしながら、必死の表情でアルバを見つめた。
「アルバ、さん!お願いです、早く圭介を保健室に……私が案内します!」
「……」
ちらりとリオを見たアルバに頷き返す。
今は何より志摩の身の安全が第一だ。
ざわつく道場に背を向けながら、リオは一度だけ、背後を振り返った。
何かに耐えるように、無表情でじっと床を見下ろす王凱の姿が、リオの目にしばらく焼きついて離れなかった。
**
志摩がそのまま救急搬送され、保険医に事情を説明したリオが保健室を出ると、そこには壁に寄りかかって待つアルバがいた。
その隣には、にこにこと嬉しそうに笑う撫子の姿も。
「あ!リオちゃん!」
今気がついたというように顔を上げた撫子が手を振ってくる。
「今ね、アルバさんとお話ししてたの。ちょっとわかりにくいけど、優しい人だね、アルバさんって」
「こ」
「こ?」
………おっとっと危ない。うっかり本場仕込みの殺すぞを口にしそうになってしまった。アルバじゃあるまいし。
そのアルバはといえば、仏像のように凪いだ目を虚空に向けている。
「今病院から学校に連絡があって、志摩、一週間くらい絶対安静で入院だって。肋骨ヒビ入ってたみたい」
「そっかぁ。心配だね」
本当に心配ならアルバにチラチラ向けているその思わしげな視線をやめてほしいものだ。
苛立ちが乗らないようにゆっくりとため息をついて、リオはアルバに向き直った。
志摩が入院することになったのは、全てが悪い話ではない。少なくとも、病院の中は安全だ。到底普通ではない王凱とこれ以上接触せずに済むのは、ある意味よかったかもしれない。
「アルバ、王凱から庇ってくれてありがとう」
「……」
「それに、志摩のことも運んでくれて……」
「……」
「……アルバ?」
何も言わないどころか目も合わないアルバの顔を覗き込む。
「――どうしたの?」
静かに持ち上がった視線が、リオを捉えた。
次の瞬間、彼女に向かって伸ばされた右手が、引き寄せるようにそっとその肩を抱き寄せた。
「えっ」
何事かとぎょっとしたリオの左手は、今度は彼の義手によって優しくすくい上げられた。
さらにアルバは、そこにキスを落としたのだ。
絶句したのは撫子だけではない。
リオもまた言葉をなくし、湯気がたつほど全身真っ赤に染まり上がった。
その姿を見たアルバが、そこでようやくふっと口角を和らげ、彼女を腕の中から解放した。
「ガキ共を迎えにやる」
一緒に帰ってこいということだ。
ガキ共はノーチェとススピロだろう。
アルバの言葉の続きを頭の中で補完しながら、リオはぼぼっと火照る頬を両手で包んで俯いた。
こんなに甘いアルバは、とうてい普通じゃない。
一体どうしたというのだろう。
混乱したまま動けずにいるリオをそのままに、アルバはさっさと廊下の向こうへと歩み去って行ってしまった。
「………は……? は?? なんなのよっ、あれ……!!あんた、見せつけてるつもり!?むかつく、ムカつくムカつく……!!!!あんたみたいな普通の女の、どこがいいわけ!!?? 認めない、絶対認めないから……!!」
声にならない声でヒステリックに喚き続ける撫子のことも、今は全く気にならない。
(………もう、いいや。帰ったら聞こ)
熱い顔を冷ますように煽ぎながら、リオは再び道場へと足を向けた。
延々と甘い声でされるくだらない話を無言で無心にひたすら無視し続けていたアルバが、耐えきれずにリオに触れて浄化されたかっただけの話。
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