愛の言葉のかわりにナイフを

 西棟三階のとある教室の廊下には、休み時間になるたびに女子生徒が集まってはきゃあきゃあと黄色い悲鳴を上げた。それはまるで、学校中の女子が一堂に会したのではと思われるほどの賑わいだった。


「何かあったのか?」

「あっ!廻神様」


 通りがかった廻神が尋ねると、声をかけられた生徒は慌てて髪を整え、廻神に向き直った。


「はしたなくて申し訳ありませんわ。その、留学生の方々がお見えになったと聞いて」

「留学生?」

 廻神はぴくっと眉を持ち上げた。

(妙だな……。彼らの来校は月曜からだと聞いていたのに)

 進行方向を隣のクラスに変えた廻神は、そのまま人波をかき分けて中へ進んだ。


 たしかにその教室内には、明らかに華やかなオーラを振り撒く一角があった。


 女子生徒達はしきりに思わしげな視線をそちらに送ってはいたが、どうやら彼らには容易く近付いてはいけない雰囲気があるらしく、話しかけるには至らず二の足を踏んでいるらしい。


 そのうちの一人、黒髪をゆるく三つ編みにまき、肩へ垂らした男は廻神に気付くと、腰を上げて近付いてきた。


「君が廻神くん?」


 人好きのする笑顔で声をかけられ、その日本語の堪能さにも驚く。リオもそうだったが、スペインでは日本語の教育でも進んでいるのだろうか――。そんなことを考えながら、廻神も笑みを浮かべ、差し出された右手を握った。


「生徒会長の廻神だ。すまない、出迎えが遅れたみたいだな」

「いいんだ。本当は来週からの予定だったのを、うちのリーダーが無理を言って今日にずらしてもらったらしい。校長は知ってるよ」

「そうか」


 話しながら、廻神は妙な居心地の良さを覚えていた。

 話のテンポがぴったりあうというか、歩調が合うというか……。まるで旧友と再会するような空気感に、やや空寒さを覚える。

(……こいつ。相当なやり手だな)

 見れば、にこっと笑顔を浮かべるファロに、廻神も合わせて微笑んだ。


「後の二人を紹介するよ」

「ああ。ありがとう」


 三つ編みの男、ファロに続いて窓側の一角へ寄れば、今度は腹に一物抱えていそうな彼とは正反対――清々しいほどに敵意丸出しの顔で近付いてくる人物があった。


「よォ、お前かよ。理事長の息子。学園の覇者。?」

「……」


 廻神は足を止め、応じるように顎を上げる。

 金髪の男はポケットにつっこんだままの両手はそのままに、やや腰を折って廻神の視線に合わせた。まるでキスでもしそうな距離感に、どこかでまた黄色い悲鳴が上がる。


「うちのリオが、世話んなったみたいだな」

 アドルフォが低く言うと、廻神は軽く目を見開いた。


「……彼女の知り合いか?」

「まあな。けど、もっと深い」


 金髪の男、アドルフォの目の中に静かに燃える怒りを感じ、廻神はかすかにたじろいた。しかしここで一歩でも引けば、何か大切なものを奪われる――。そういう予感から、廻神は微動だにせず、アドルフォを睨み返す。


「……この学園で起きたことの責任は、俺が取る」

「お前みたいなガキが、どうやって」

「さあな」


 廻神の答えに、今度目を瞬かせたのはアドルフォだった。


「俺はできることをするだけだ。自分の信念に背かず――、誠実に」


 己の心に実直であること。

 その方法を廻神に教えたのはリオだ。おかげで、廻神はあの日以降、自分の視野が格段にひらけ、何事も柔軟に思考できるようになったことを感じている。


「……お前」

「――アド。うるせぇ」


 一声。アドルフォはぴたっと口をつぐみ、道を開けるように身を退かせた。

 彼の後ろには、また一人の男がいた。廻神は本能的に彼が彼らのリーダーであることを察する。

 黒髪に、野生の獣のように鋭い瞳。


「………」


 一体なんと声をかけられるのかと身構えていた廻神だが、いつまで経っても一言もなく、それどころか一向に目も合わない。


 机に頬杖をつき、窓の外に視線をやったまま大欠伸をかき、アルバは会話の続きを完全に放棄しているらしい。


 つまりは、ただうるさいから、うるさいと言っただけ。

 会話を引き継ぐつもりなどない。

 それに気付いた廻神は呆然とし、やがて呟いた。


「……………暴君か?」

「「ぶはっ」」


 二人の側近が同時に噴き出した時だった。

 教室後方の引き戸が開き、一人の少女が現れた。スカートから伸びる長い足で、つかつかと真っ直ぐアルバの元へ向かっていく。


「リオ……?」

 廻神の言葉は彼女には届いていない。当然だ。リオには、アルバしか見えていない。しかしこちらが不安になる程、リオの表情からは何の感情も読み取れない。 

「アルバ。私と来て」

 そう言うなり身をひるがえしてさっさと教室を出て行ったリオ。アルバは腰を上げ、アドルフォに右手を差し出した。



を寄越せ」




**



 キィンッ、ギン!!!

 霞がかった春の青空に、不釣り合いな金属音。帝明学園の屋上では今、二人の暗殺者が互いの急所を狙いあった剣戟を繰り広げていた。


「はぁ、はっ……!」

「そんなもんか」

「ッ」


 めまぐるしく繰り返されるリオからの攻撃を、アルバも巧みなナイフさばきで弾き続ける。リオの手には柄から刃に至るまで黒塗りのサバイバルナイフが。アルバの手には、ごくありふれたナイフが握られていた。

 どちらも相手の命を奪うに不足ない鋭さである。


 体術も交えながら繰り出す技はアドルフォに仕込まれた。

 実戦で磨きつつあったリオの腕も中々のものだったが、やはりまだ、殺しの天才と呼ばれるアルバには遠く及ばないらしい。

「あっ」

「踏み込みが甘ぇ」


 リオの振り下ろした切先を義手の関節に差し込んで捉え、アルバはそのまま少女の手からナイフを弾き出した。

 すかさずもう一方の手で予備の小型ナイフを引き出し、アルバに振り下ろしてみたが、それもまた容易く逆の手で腕ごと阻まれてしまう。


 なすすべなく動きを止めたリオをじっと見下ろし、アルバはゆっくり尋ねた。

 真上から降り注ぐ日差しが彼の影に遮られ、リオの目は、眩さも知らずにアルバを見つめ返した。


「――気は済んだか」

「……はぁ」


 言うまでもなく、完全敗北である。

 アルバは依然として腕を解放してくれない。おそらく、リオが口を割るまでこのままのつもりなのだろう。

「……アルバは」

 仕方なくリオは、唇を突き出しながらぼそぼそと言葉をこぼした。


「…………アルバは、船酔いするから、豪華なクルーズ船とか絶対乗らないし」

「……あ?」

「豪邸にも住まない。カサレスの、あのお日様のよくあたる家が好きだもの。ベッドの中は…、まだ知らないけど、たぶん無口なんじゃない」

「………何の話だ」

「撫子に言われたの。アルバの全ては自分のものだって」


 珍しく絶句しているアルバに、リオははっきりと言った。声に力と決意を込めて。



「私、何一つ譲らないから」

 


 奪われるとは思わない。

 だけど、彼女がそれを頭に思い描くことも、今後はもう許さない。


「未来であなたの横に立っているのは。生涯、命をかけて守り続けるのは、この私――――小日向リオなんだから」



 言い終えるか否かのところでアルバに抱き寄せられたリオは知らない。

 彼女が愛しの首領が、どんなに幸福そうに目を細めていたかも。彼女が胸に抱くような不安など、毛ほどの心配もいらないと言うことも。




(それならナイフくらい、もっとマシに扱えるようになれ)(ぐう)

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