絶対略奪宣言

「リオ、飯食おうぜ」


 昼休みに入ってすぐ、そう言って教室に現れたのは志摩だった。

 クラスのどよめきなどものともせずに、彼はまっすぐリオの方へと向かってくる。

 食事が済んだら自主練にでも行くのだろう。彼は背中に竹刀袋を、右手にはお弁当が入った巾着袋を携えていた。


「志摩……。マジかお前」

「何だよ五十嵐」


 半笑いで口を開いた五十嵐を志摩は睨みつける。


「今そいつのこと誘った?」

「誘った」

 だからなんだと言う志摩に対し、教科書を閉じた五十嵐は、ふーと長いため息をつく。

 

「あのさあ、色々言いたいことはあるけど、お前剣道部の次席だろ?なのにリオ誘って飯食うって、ちょっと外聞悪いんじゃねーの?」

 リオが撫子にしたことは全校生徒が知ってる。と、五十嵐はそう言いたいのだろう。

 しかし志摩はどこ吹く風だった。


「は?意味わかんねぇこと言うな」

「いや分かるだろ」

「お前も一緒に食いたいなら食えば」

「そういう話してねーけど!?」


 志摩は五十嵐を無視してリオの前の空椅子を引き、そこに腰掛けた。

 五十嵐はぶつくさ文句を言いながら机にサンドウィッチを投げ出している。通りがかった男子たちが驚きの声を上げる。

「あれ珍し。五十嵐今日教室でメシ?」

「いつもの女の子たちは?」

「全員断られたっつーの!!」

 どうやらこの学校で今一番Deseo襲来の被害を受けているのは彼かもしれない。


「なあリオ。お前、今日は部活来るんだろ」

「え?うん」

 唐突に話しかけられ、リオは机の上の筆記用具を片付けながら頷いた。

 剣道部には二度と関わらないという固い決意も、しかじかあるうちにほんの一瞬のものとなってしまった。なんとなく情けない。


「来たほうがいいぜ」

 志摩は巾着の口をほどきながら真剣な目で言う。


「さっき俺、王凱に試合申し込んできたから」


 どくんと、心臓が脈打った。

 思わず手を止めて志摩を見ると、顔を上げた彼が歯を見せて笑う。


「そんな不安そうな顔すんな。ちゃんと俺が勝つから」

「それは、そうだけど……」


 王凱の目は自分が覚ます、と志摩は言ってくれた。しかし怪我をするようなことにならないかだけが心配だ。

 今日はちゃんと部活に行こうとリオが心に決めた時、志摩が気になることを口にした。


「そういえばさっき、王凱あいつなんか変だったんだよ」

「変?」

「………うまく言えねえけど、なんかどっか、寝ぼけてみるみたいな」


 嫌な心当たりが胸をよぎる。詳しく聞こうと口を開いたリオの前で、突然志摩が腰を上げた。

「えっ」

 傍の竹刀袋を握り、彼がバチっと跳ね上げたのは――、ノーチェが握る30

 

「………急に何すんだ、お前」

「へえ。なんか生意気そうな奴がいると思ったら、ちゃんと腕も立つんだ」

「ノ、ノーチェ?あんた何して」

「ちょっと付き合えよ」

「ッ!!」

「ノーチェ!!!」


 あまりに突然志摩に襲いかかったノーチェに、リオは思わず声を上げた。

 教室に残っていた生徒たちも悲鳴をあげて彼らから距離を取る。


「あはっ、お前マジでやるじゃん!!」

「……ッ」

「それも避けんだ。じゃあこれは?」


 武器としての機能などあるはずもない定規だが、ノーチェの手の中ではまるでしなやかに湾曲する刃のような鋭さで、たびたび志摩の前髪や服の袖を裂いた。

 志摩もまた本能的な身の危険を感じ、本気でそれを受け止め、弾き上げる。


「ちょ、ちょっと二人とも」


 二人の間に入るタイミングを探っていたリオは、服の裾をひっぱられてそちらに目をやった。そこにいたのはススピロだった。


「リオ。ごはんたべよ」

「ススピロ!?ごはんって、今それどころじゃ」

「大丈夫。ノーチェ、遊んでるだけし」

「それは分かるんだけども……!」

「午前の授業、つまんなすぎて爆発しそうになってたから。そこにあの子が来たから、我慢できなかったんじゃない」


 志摩の発する武の気骨か何かがノーチェを刺激してしまったらしい。

 ノーチェもアドルフォに負けず劣らずの戦闘狂なのである。

 しかし巻き添えを喰らった志摩はたまったものじゃない。やはり助け出してあげねばと彼を見れば、いつしか志摩の方も嬉々とした顔で応戦していた。


「ははっ!そんなんで俺から一本取れるわけねえだろ!本気で来いや!」

「へー、マジで生意気!」


「ほら、あの子も楽しそう」

「………じゃあいっか」


 こういう時こそ生徒会が止めるべきなんじゃないだろうか、とクラスを見回せば、東は教室にいなかったし、五十嵐は逃げてた。あいつ。

 リオははっとする。

 教室の隅で、野次馬に混ざった撫子が、ノーチェの戦いぶりをじっと見つめている。心なしか頬は紅潮し、目はきらきらと輝いている。


「ススピロごめん、ノーチェがやりすぎたら止めて。志摩が怪我する前に」

「……いくの?」

 ぷうっと頬を膨らましたススピロに頷いて見せる。


「うん。これ以上、あいつに見せていたくないから」




**



「あの動き、あの殺気、やっぱり、ただものじゃなかった!!あなたも見たでしょ!?」


 教室から連れ出した撫子は、普段は面談などに使われる空き教室に入るなり荒々しい声で言った。どうやらすごく興奮しているらしい。口角には笑みが浮かんでいる。


「私の思った通り、彼ら………絶対裏社会の人間よ!!たぶん、マフィアとか、そっち系に関わってるんじゃないかしら!」

「………あなた何言ってんの?」


 マフィアじゃなくてギャングだけど、とは言わず、リオは撫子の発言を馬鹿にするように鼻で笑った。


「彼らは私の前の学校のクラスメイトよ。マフィアなわけないじゃない」


 リオのその言葉を耳にした瞬間、口をつぐんだ撫子。彼女はゆっくりとリオに背を向けた。


「…………そう。あなたは、知らないの」


 ぞっと背筋を嫌なものが駆け上がってくるのを感じる。

 空き教室の天井の隅には、薄型のテレビが備え付けられている。今は何も写していないその真っ黒な液晶に、撫子の笑みが写った。

 両方の口角は目の下まで吊り上がり、興奮と喜悦をないまぜにした、おぞましい笑み。


 撫子がその笑顔を隠すのには、二〇秒ほどの時を要した。

 振り返った時、彼女はほのかに恥じらったような笑みを浮かべている。


「私ったら、その稼業にいるものだから強い人はそういうふうにしか見られなくて、恥ずかしい。取り乱しちゃってごめんなさいね」


 撫子の考えることなど手に取るように分かる。


 彼女は、リオを出し抜くつもりなのだ。彼らのトップシークレットをひっそりと暴き、人知れずコンタクトを取り、手中に、収めるつもりなのだ。


 あのアルバのことさえも。


「はい。これあげる。あとでゆっくり見てね」

 硬直するリオに、撫子はブレザーのポケットから取り出した一枚の封筒を渡した。それから機嫌良さそうに教室の出口へと向かっていく。


「それと、今日は部活にもちゃんと来てよね?昨日私が圭介と話せなかったせいで、彼、まだあなたのこと気にしてあげてるみたい。喜んでたら申し訳ないけど、それも今日までだから」

「……」

「王凱先輩と廻神先輩はもうオトしたも同然だし、東も五十嵐も私の味方。ちょうど攻略対象がいなくなっちゃって暇だなって思ってたから、ちょうどいいわ」


 振り返った、撫子が笑う。


「あなたの愛しい彼に愛されるのは、私なの」


「未来でアルバの隣に立ってるのも、彼が命をかけて守るのも、豪華なクルーズ船で膝の上に乗せるのも、彼の住む豪邸に招かれるのも、ベッドの中で甘く囁かれるのも、全部全部、私なの」


「だからごめんなさい。あなたは全て諦めて、全部私に奪われてね」





 撫子の去った後の教室で、リオはしばらくじっとしていたが、やがて弾かれたように走り出した。

 彼女が向かうのは、西棟三階。

 帝明学園三年生の生活する教室棟だった。

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