変化の天才“ノーチェ・カペル”
まず動いたのはススピロだった。
「……リオ」
細くて柔らかい指先がリオの前髪をかきあげる。先程アルバがやったのと同じように、両頬を手で包み、リオの顔にある小さな傷跡を一つ一つ確認した。
「………こことここ。アザになってる」
「ススピロ」
「顔に傷つくっちゃだめって、アルバに言われたのに」
「でもこれ、わざとじゃなくて」
「言い訳。だめ」
どうやらススピロは撫子の存在を完全に無視することにしたようだ。
「そーだぜ、リオ」
にやっとしたノーチェが乗ってきた。
リオの後ろに立ち、豊かな黒髪をひとふさ指にかけて持ち上げる。
「なんか髪もちょっと傷んでね?」
「え、そうかな」
「お前かわいーんだから、身だしなみきちんとしてないとまた首領――じゃねえや、アルバにどやされるぜ?ほらゴム貸して。俺が結ってやるから」
リオの髪を結い始めたノーチェ。
傷を把握し終えたススピロは、リオの片膝に座って最近お気に入りのホラー動画の紹介を始めた。
まるで撫子がいないかのように振る舞う転校生二人に、目を釣り上げて近づいていくのは宮城と二人の女子生徒。自称撫子親衛隊の数人だ。
「ねえアンタ達さ、態度悪くない??」
「撫子が校内見学付き合ってあげるって言ってんじゃん!」
「無視するとかほんとにありえないんだけど」
「……」
すっとリオから離れたノーチェが三人の前に立った。
ひょろりと高身長で、笑っていなければ何を考えているのかまるで読めない彼の姿に、三人はじりっと後ずさる。
「ノーチェ」
リオには、彼が凶器を取り出してたやすく三人の息の根を止めてしまう未来が簡単に想像できた。
「……リオ。大丈夫」
それを阻止したのはススピロだ。
ほとんど唇を動かさず、囁きよりも小さな声でリオに告げた。
「ノーチェに任せて」
「へえ。もしかしてマジで親切で言ってくれてたの?」
警戒する宮城の前で、不意に腰をかがめたノーチェがからっと笑った。
その屈託のなさに彼女達は拍子抜けしたようだ。
「ごめん、ちょっと俺勘違いしてたっぽい」
「……え?」
「そっちのあんたも。ナデシコ……だっけ?ごめんね」
ひょこりと首を傾けて撫子を覗き見るノーチェ。
撫子ははっとしたように笑みをとりつくろい、控えめに笑って首を振った。
「ううん、大丈夫だよ」
「俺ノーチェ。よろしく!」
「ノーチェ君、よろしくね」
差し出された手を嬉しそうに握る撫子。すると、ノーチェは撫子の手を握ったまま彼女をじっと見つめ、やがて「わあ」と声を上げた。
「撫子ってスッゲーかわいいね」
「えっ!?」
かあっと顔を赤らめる撫子。
ノーチェは今度は宮城たちの近くへ行き、彼女達に対しても歯の浮くようなセリフを言ってのける。
「君らもすげーレベル高いし、もしかして日本って可愛い子多いの?」
「そ、そんなことないわよ……」
「照れてんの?日本の女の子がオクユカシイってマジなんだ。かわいー」
「も、もう、やだ!ノーチェ君たら」
(………こっ……わぁ)
到底正気とは思えないノーチェの姿に思わず両腕をさすると、そのリオの膝の上でススピロもぶるっと震えていた。顔は、古いオートミールに湧いた虫を見た時と同じだった。
「それでね、ノーチェ君、さっきの話なんだけど」
自分に意識を戻そうと、撫子が三人とノーチェの間に体を滑り込ませる。
「どうかな?うちの学校広いから案内役がいたほうがいいと思うの。みんなも一緒の方が楽しいだろうし」
「そーだよ!ノーチェ君!撫子に案内してもらいなよ!」
「もしよかったら私たちもついてくしさ」
「っていうかノーチェ君の目すっごく綺麗だね〜!」「日本語も上手!」
すっかり気をよくした宮城たちがノーチェに迫って声を上げている。
撫子の目が、邪魔をするなと言わんばかりに彼女たちを睨みつけたのにもちっとも気付いていないようだ。
「あー、悪いんだけどさ」
ノーチェが申し訳なさそうに先を続けた。
「俺たちのリーダーでアルバって人がいてさ、その人が大勢で群れんのすげー嫌いなんだよね」
「えー!」
「さっきの勘違いってのも実はそれでさぁ」
ノーチェは「うんざり」という顔でため息をつきながら、彼女達に語り始めた。同情してくれよ、という雰囲気で相手の心の中に入り込むのが抜群にうまい。リオはついつい変化の天才と呼ばれる彼の技に見惚れてしまった。
「俺たちさ、スペインで同じ学校通ってたんだけど、アルバ目当ての女子にすげー絡まれるんだよ。しかも、全員リオ無視すんの」
ひやりと、周囲に緊張が走った気がした。
ノーチェは気にせず話し続ける。
「まあ、あのアルバが心底惚れ込んで、絶対他の男近づけねーって噂すら立つほど溺愛されてる女の子なんかそうそういねーもんな。だからか分かんねーんだけど、たまに『私の方が絶対アルバに釣り合ってる』って勘違い女が沸いてさ〜、リオと並んで勝てるわけないのにな。それがマジめんどくて。
……で、さっきもそれかと思って無視しちゃった。勘違いしてごめんな?」
「………ううん、全然気にしてない」
撫子は、顔に笑顔を貼り付けて首を振る。
「リオちゃんかわいいもんね。その、アルバ?って先輩が、好きになっちゃうのもわかるなぁ」
「やっぱ!?撫子さすが見る目あるな!こいつ前の学校でもすげーモテてさー、俺たち大変だったんだぜ」
リオのそばまで戻ってきたノーチェがうりうりとリオの頭を撫でる。
リオはと言えば、次の瞬間何が起こるか全く想像できず嫌な汗をかきながら硬直していた。
何度でも言おう。
Deseoの中で誰よりも倫理観に
「リオに声かけた男子が次の日から学校来なくなるとかザラだし、アルバが毎日送り迎えするから放課後遊びにも行けねーし。俺とかが一緒に帰ろうとしてもすげー睨まれるから。な、ススピロ」
「………リオはアルバの最愛だから」
「ほんとそれ。まじでアッチーよな」
当然そんな過去はないが、ススピロは平然と合わせていた。
「そ、そうなんだ。でもさ、ミゲルさんってけっこう男子と仲良いから、彼氏いるとは思わなかったな〜」
一人の女子が口を開くと、待ってましたとばかりに同調の流れができはじめる。
「あ!!それ思った!!」
「あとけっこう乱暴なとこあるよねえ。この間なんか、ほら」
「あ〜山口!殴られてたっけ」
「さすがに野蛮すぎるっていうか」
「え?それまじ?」
ノーチェが真顔になってリオを見つめる。
誰もが非難の言葉を期待した次の瞬間、リオはノーチェにいっそうわしゃわしゃと頭を撫でくりまわされていた。
「やっぱアルバの女ならそれくらい強くねーとな。やるじゃん、リオ」
もはや何を言ってもリオのマイナスイメージには繋げられそうにない。クラスメイトたちの間で静かにそんな予感が走った時だった。
「………ねえ、ノーチェ君。アルバさんって、リオちゃんのどういうところが好きなのかな?」
「……撫子?」
五十嵐が、耳を疑うような声を出す。
彼だけではない。
誰もが撫子の言葉を信じられない思いで聞いていた。
リオもゆっくりと目を見開く。
(まさか)
撫子は笑っていなかった。
その表情を見て、リオは初めて、撫子がアルバに対して抱いている感情に気がついた。
ぞっと、腹の底から怖気立つ。
どうやら撫子は、自分の失言にも気付かないほど本気でアルバに執心しているらしい。
「あー、それなんか前に聞いたことあるかも」
ノーチェの唇が冷酷な笑みを浮かべた。
まるで、撫子からのその問いかけが出るのを待っていたというように。
「顔も身体も、
手も足も、
髪も血も。
――リオを構成する全てが、心を掻き乱して仕方ねぇ、って。言ってたぜ」
がちっと、
撫子の奥歯が欠ける音が聞こえた気がした。
(え?なんでわざわざ煽ったのかって?)
(お前みたいな身の程知らずがリオに並ぶのも
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