弔いの教室

「今から皆さんに大切なお知らせがあります」


 震える声で口を開いた教師の声が、朝のHRに響く。


「うちのクラスの紅葉朱音さんが、今朝、亡くなりました」


 音はなかった。

 しかし確かに、その一瞬、クラスに大きな動揺と恐怖が走ったのがリオには分かった。


「私は今から緊急の職員会議があります。皆さんは、先に図書館へ向かってください。そこで学年集会が行われる予定になっています」


 青ざめたままそれだけ言い、教師は足早に教室を出て行った。

 静まり返る教室。

 誰も動かない。

 口を開く者もいない。


 不釣り合いに穏やかな春の日差しの中で、リオだけが、微かな笑みを浮かべて窓の外を見ている。

 こんなにも静かなのに。

 彼らの心の声は手に取るように聞こえてくるから不思議だ。



 ―――嘘だろ、まじかよ!?

 ああ、どうしよう…!!!

 ほんとに死ぬと思わなかったんたけど!

 遺書とかに名前書かれてたら……!?

 これって私たちに責任ある??

 警察とかに捕まる???

 名前が公表されたら、俺の将来どうなんだよ…

 まじで最悪なんだけど!!!あいつっ

 まさか死ぬなんて、

 絶対自殺だよな、警察来るのかな

 俺悪くねーよな!?だってこれ、全部……。



「………みんな」


 がたんと。

 席を立ったのは撫子だった。


「私、先生のところに行ってくるね」


「藤野、さん……?」

 東の弱々しい声に、振り返った撫子は小さく微笑んだ。まるで聖女のように。まるで、自分があなたたちを救うからと、心からの安堵を与えるように。


「みんなは心配しなくていいよ。だって、朱音ちゃんから酷いことされてた時、皆は私を守ってくれたでしょ……?」


 撫子が胸の前で手を握り、クラスメイト全員を見回す。

 少しずつ、彼らの表情に希望の光が宿されていく。大義名分を取り戻して。


(そうだ。私たちは悪く無い)

(俺たちには、あいつを攻撃する理由があったんだから!)


「馬鹿だな、撫子」

 立ち上がった五十嵐が撫子に近づき、その両手を握った。撫子の目が潤み始める。


「俺もいく。この目で見たもんは、はっきり伝えなきゃいけねーもんな」

「ミナト君」

「……僕も行こう」

「清四郎君まで……!」

「藤野さんを一人にはしないよ」


 ああ、どうして誰も気づかないんだろう。


「――みんな、ここは私たちに任せて、信じて待ってて」


 クラスメイトの訃報を聞いて、青ざめもしない。声が上ずることも震えることもない。動揺もない。

 当たり前だ。

 藤野撫子は、紅葉朱音の死に対して、何も感じていないのだから。


 撫子は微笑んだ。


「今度は私に、皆のことを守らせて」

「――守るって、何から?」


 誰もが、はっと息を呑んだ。

 それはこの場にいるはずもない人間の声。

 彼らの視線がゆっくりと一箇所に移る。


「これねー。机の中に入ってたんだ。誰かのいたずらかと思ってたけど、ほんものの遺書だったなんて、びっくり!」


 再び静まり返った教室に、リオの声だけが響く。

 彼らの視線の先にはリオがいる。

 机に肘をつきながら、可愛らしいピンク色の封筒をくるくると回している。

 リオだ。間違いなく彼女だ。

 しかし、その仕草は。

 声のトーンや、口調や、そのすべては――。



「ね、何から誰を守るの? 教えてよ。撫子ちゃん」




 紅葉朱音。本人だった。



**



うんだよ。そいつの魂全部」


 老若男女、誰にでも化けられる暗殺の天才、ノーチェは、変装の極意についてそう語った。


「喰う?」

「そう。朝起きてから夜寝るまで、そいつの人生をそいつとして生きるだけ」

「そんなことできる?」

「簡単だぜ?まずは徹底リサーチ。そいつの寝相は?寝癖はどんなの?朝食は食う派?恋人はいる?好きな食いもんは?嫌いな曜日は?そうやって、標的の人生をどんどん取り込み続ける。ひたすら。そうしてるとさ、そのうちに思考回路まで似てくるわけ」

「……それって頭おかしくならない?」

「残念。もともとおかしいとなんねーんだな」


 ノーチェはからから笑って言った。


「最後はそいつの家族や恋人と1日一緒にいて、バレなきゃ完成。もう、そいつ殺して成り代わっても、一生誰も気づかねーよ」



(……朱音)


 これまで重ねた数年分の手紙のやり取りが、朱音の日常を容易く思い描かせてくれる。リオは知ってる。寝相は悪いほう。寝癖はつかない。恋人はいない。好きな人はいる。好きな食べ物はお母さんのラザニア。好きな曜日は水曜日。体育の授業があるから。犬は苦手。猫は好き。季節は夏よりも冬が好き。化学は苦手。数学は意外と好き。お気に入りのどら焼きは小豆クリーム。海より山派、だけど海も嫌いじゃ無い。音楽は聴くのが好き。歌うのも好き。学校が好き。クラスメイトたちは楽しいし、大好きな彼と、近い席になれたから。



「どしたの?皆、そんなびっくりした顔して」


 きょとんとした顔で首を傾げる。

 その些細な仕草すら、もともとその席に座っていた彼女のそれを、容易く全員に想起させた。


 軽やかな口調も。

 真夏に木陰を流れるような、涼やかな風に似た声も。



 誰もが呆然とする中で、一番初めに動いたのは山口だった。

「――――――そ、れ、その遺書、こっち寄越せよ!」

「あっ、だめだよ」


 リオに近づき、手を伸ばす。

 リオはそれをさっと背中に隠した。


「これ大事なやつなんだから」

「……」

「っていうか、山口くん!顔どうしたの?痣だらけじゃん。目も腫れてるし、もしかして喧嘩?」

「……えっ」

「中学ん時も隣のクラスの子と喧嘩してたよね?だめだよ〜。もう剣道部入ったんだから、そっちで大暴れしないとね!」

「――――、もみ、じ……?」

「紅葉? 誰それ。私リオだよ」


 どこからか悲鳴が上がる。

 前方の席で、頭を抱えてうずくまっているのは宮城だ。


「もう嫌!!やめて、やめてよぉ!!」


 リオはたっと駆け出し、宮城の前に膝をついた。

「どうしたの?

「、あ、あ……、朱音…………」


 恐怖と混乱でぐちゃぐちゃになった宮城の頬をそっと包む。

 リオはイタズラっぽく笑った。


「相変わらず泣き虫だね。沙耶香のこと、気強いとか言ってたフッたあいつに見せてやりたい」

「……!」

「ね。泣かないで。今度またドーナツ食べいこ」



「…………」


(何が起きてるんだ)


 東はメガネを外し、強く顔を擦った。

 もはやこのクラスの誰もが、リオをリオとして認識できなくなっている。ただ、彼女が一言発するたびに、記憶が刺激されるように、との思い出が蘇ってくる。


(ありえない。紅葉朱音は死んだんだろ?今、そう伝えられたじゃないか!なのに)


「………朱音」


 ふらりと、リオの前に立ったのは五十嵐だった。

「お前……、お前は」

 言葉に詰まる五十嵐にリオは困ったように笑いかけた。


「どしたの?ミナト」


 それが決定打となったらしい。

 五十嵐は両手をリオの肩に置き、ゆすり、力無く尋ねた。


「……お、おまえ、まじで死んだの?うそだろ?」

「うそじゃない。飛び降りたの」

「……なん、で……」

「何でって、みんながそうしろって言ったの。忘れちゃった?」

「……ぁ、俺」

「あ!大丈夫だよ。撫子ちゃんを守るためだもんね。でもさ、ミナトくらいは、私の味方してくれてもよかったのに。幼馴染じゃん」

「やめろ!!!!」


 間に入ったのは東だった。

 リオが持っていた遺書を取り上げ、それを破る勢いで開く。


「皆しっかりしろ、こいつは紅葉朱音じゃない!転校生のリオ=サン・ミゲルだろ!紅葉同様に、藤野さんに危害を加えた悪人。この遺書だって偽物に決まってる!!これを、読めば」


 東の言葉は続かなかった。

 遺書に書かれていた言葉が、たったひとこと。




 ――――皆と卒業したかった

 




 それだけだったから。

 どこからか鼻をすする音が聞こえ始める。純粋に朱音を悼む想いが、教室中に浸透していく。


「えっ、ねえ、みんな、どうしたの……!?皆が悪いとか思う必要ないんだよ!?だってもとはといえば朱子ちゃんが」

「撫子」


 焦った声を上げ続けていた撫子がはっとリオを見る。リオは一本、立てた指を口元にあてた。


「あなたも弔いに加わって。

 ここは今から、私の葬列だから」









(ああ、馬鹿だなぁ)


 一歩、一歩、重い足取りで図書館へと向かう生徒たち。誰もが俯き、目から色は消え、言葉なく進み続ける。

 その列の最後尾を歩きながら、リオは、笑い出してしまいたかった。

 何が可笑しいのか分からない。

 でも、腹の底から声を上げて笑いたい。

 自分の張り巡らせた罠に、毒の糸に絡めとられて、身動きもできなくなっている彼らを嘲笑いたい。

 彼らの人権も尊厳も、何もかも踏みつけにして、この心地よさに浸りたい。


(こんなんじゃまだ、返しきれないよね。朱音)

(今日から少しずつ、こいつらに思い知らせてやろう。自分達の愚かさを。ごうの深さを。それで、それで、そしたら)




 あれ。わたし、どうしたいんだっけ。











「だから、早く俺を呼べと言ったんだ――。

 リオ」


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