ロサンゼルス上空にて
その日、生徒会室では放課後の静かな時が流れていた。
各々が任された仕事に打ち込む中、不意に腰をあげたのは東だ。
「会長。今よろしいですか」
半年先の学園祭に向けて各部に振り分けられる予算を確認していた廻神は、書類から顔を上げた。
「どうした?東」
「……その」
相手が誰であろうとも常に毅然とした物言いをする彼にしては、珍しく言葉を探している。廻神はペンを置き、改めて聞く姿勢をとった。
「何か言いにくい話なら場所を変えるが」
「いえ、そういうわけでは……」
「どうせあいつのことだろ?」
東がばっと横を向く。学園祭のパンフレット用に写真を選別していた五十嵐がなんの気無しに言う。
「リオ=サン・ミゲル。お前今日の美術の時間以降ずっと上の空だったもんなー。もしかしてあいつに
「……」
「お。この子かわい」
つかつかと五十嵐に歩み寄った東が、バン!と勢いよく机に手をつくと、五十嵐の手から写真がいくつもこぼれた。おそろしいほどの剣幕で東が口を開く。
「そんなわけが、ない」
「……お、おぉ。そんなマジんなんなよ」
「ふざけたことを二度と言うなよ」
身をひるがえした東の顔が、いつもの
(何か変化でもあったかと思ったんだがな……)
「会長。僕が聞きたかったのは、どうして監視対象であるあの女が今この場にいないのかということです。今日剣道部は休みのはずでしょう」
「……さっき直接連絡が来た。家庭の事情で休むそうだ」
リオが志摩を連れて地下室へ戻ってくる前に、廻神は伊良波から昨日の出来事について大体のことは聞いていた。
昨日彼らが訪れた先の休学中の生徒は、やはり藤野撫子からの被害を受けていたらしい。その怯え様はこちらの想像をはるかに超え、かなりの心的被害が伺えると。
「――彼だけじゃないんだろうね」
伊良波は試験管を傾けながら言った。
「みんなあの女の演技に騙されて、良いように使われてる。人心掌握の完成度が桁違い。君も、油断してると食われるんじゃない?」
怖い怖いと、伊良波はまるで他人事だったが、廻神はそれを「まさか」と一蹴できなかった。
かつて自分もその仮面に惑わされかけていたこと。
そして今現在、生徒会を支える支柱の二人が既に取り込まれていることを思えば、当然の話だ。
(あいつは侮れない女だ。これはリオ一人に任せていい問題なのか……?だが、今は……)
「家庭の事情ですか。会長はそれを信じたんですか?」
「……何が言いたい。東」
「、……いえ」
非難めいた問いかけを受け、つい高圧的に応じてしまった廻神は、東の顔色がさっと青ざめたことに気付いてすぐに語調を和らげた。
「相手が誰だろうとこの学園に通う生徒の家庭環境は、普通とは違う。それを忘れるな」
「……はい」
東が自分を慕っていることは彼の態度からよく分かる。
俯いて項垂れる東に向け、廻神は諭すように続けた。
「家業を持つ者もいれば放課後別のスクールに通う生徒もいる。俺たちの仕事は、彼らの学園生活を充実させること。だから、ミゲルが家庭の事情だと言うのなら、それを信じて優先させる」
「……」
「まあ、そうだよな。俺も一時期モデルの仕事頼まれてた時は撮影とかでしょっちゅう学校抜けてたし」
「……たしかに。そうかもな」
五十嵐の言葉をきっかけに、東も気持ちを切り替えたらしい。
廻神に対して頭を下げた。
「出過ぎたことを言いました。申し訳ありません、会長」
「謝らなくて良い。お前なりに思うところもあるだろ」
その時だ。今まで黙り込んでいた二人、伊良波家の双子のうちの片方、
ぎょっとしてそちらを見る三人。
「せつな」
すかさず
「……何だ?」
「喧嘩、でしょうか」
「それにしては抱き合ってね?あ、やべ、那由多まで泣き出しやがった」
顔を見合わせた東と五十嵐は、しかたなさそうに端の席に歩み寄った。どちらかといえば生意気で小賢しい二人が、こんなふうになることは珍しい。
「なあ、何だよ。何かあった?急に泣き出して。優しい先輩らに話してみ?」
「ひっぐ、み、ミナト先輩にはいわないぃぃ」
「何で???」
「……泣くな。伊良波」
腕を伸ばした東が、ポケットから取り出した白いハンカチで少女の目元を優しく拭った。特徴的な白い髪と同様に、涙の粒が乗る睫毛もまた白いらしい。だからこそ余計真っ赤な目元が目立つ。
東は子供に語りかけるように優しく尋ねた。
「ちゃんと話してくれないと分からないだろ」
「……ひっく、あ、東、先輩」
それを横で見ていた五十嵐は、特大のため息をつくと、生徒会室に備え付けのティッシュから十枚ほど紙を引き出して那由多の顔に押し付けた。
「ったく、何で俺が男の涙拭いてやんなきゃいけねーんだっつの」
「……雑」
「文句言うな!そんで、何があったんだよ」
ティッシュで顔を拭った那由多が、赤い目を五十嵐でじっとり五十嵐を睨んだ。
「……五十嵐先輩、どうせバカにするでしょ」
「しねーって。ほら、言ってみ」
ぽんぽんと頭を撫でられた那由多は、ぽそりと弱々しい声で呟いた。
「……兄さんが、ミゲル先輩を助けたって」
ああ、と五十嵐と東は同時に納得する。塩谷と一悶着あったあの時のことを言っているのだろう。
兄絶対信仰の二人にとって、これほど衝撃的だったこともないだろう。
さぞかし真っ青になって慌てふためいたはずだ。
「兄さんとあの人が、知り合いだったなんて知らなくて、僕らけっこう、酷いこと言ったから……」
「だから、お、お兄ちゃんに先に謝ろうと思ったら、昨日……帰ってくるなり部屋にこもっちゃって、だ、誰とも話したくないって……!!」
ぽろぽろ泣き出した刹那。
「私たちのこと、嫌いになっちゃったのかもしれない……っ」
「……」
ここで、バツが悪くなっているのは廻神だ。
(たぶんそれは、リオへの恋でバーストしたドーパミンを研究にぶつけてるだけだと思うが……)
なんであいつのフォローなんかしなきゃいけないんだ、とうんざり思いつつ、廻神は口を開いた。
「伊良波と俺は友人じゃない。だがあいつが一度、直接俺のところに来たことがある。去年の暮れ……二人が入学する少し前。自分の弟と妹が生徒会に入りたいらしいから、もし入れたら、その時はよろしくと」
双子の赤い目が驚きに染まる。
「あいつが自分から俺に話しかけてきたのはそれが初めてだ。つまり、お前たちはあいつにとって、そう簡単に嫌ったりできる相手じゃないってこと……。もうこのくらいでいいか?あとは家に帰ってからあのヤドカリを引っ張り出して直接聞いてくれ」
「……っはい!」
輝くような笑顔で顔を見合わせる二人。
ちらりと腕時計を確認した廻神は、短身が16時を回ったことを確認し、手元の資料をひとまとめにして傍に置いた。
本題はここからだ。
廻神がリオの件にのみ注力できない主な原因について。
「今日はもう一つ、別に重要な議題がある。座ってくれ」
廻神の言葉で全員が席についた後、彼らのもとに一枚の紙が回ってきた。
「『交換留学制度の実施について』?」
「ああ」
「って、これ去年の11月の資料じゃん。たしか来週からはじまるやつだろ?イギリスから数人招いて1年間の交換留学っつー」
「先週、うちからの留学生と引率の教師たちは出国していきましたよね。これがどうしたんですか?」
東の問いかけに、廻神が重い口を開いた。
「実は、イギリスからの留学生チーム全員が疫病にかかった」
「「え!?」」
「……俺も今朝聞いた話だ。入国が一ヶ月先延ばしになるらしい」
廻神の言葉に絶句する面々。
当然だ。帝明学園では彼らの来校に伴い、盛大な歓迎セレモニーを企てていただのだ。若い世代のグローバル化を促すこの交換留学の取り組みと合わせて、既にメディアからの問い合わせも殺到している。
「セレモニーは延期、ですか」
「いや、無理だろ。これ以降の年間スケジュールは大体埋まってるし、業者とも契約しちゃってんじゃなかったっけか」
「まさか、中止……?」
「でも既に色んなところで話題になっちゃってるし、これ、
「その通りだ。したがって、延期も中止もしない」
言い切った廻神の目にはふつふつと闘志が燃えている。
この
「父の昔の交流のおかげで、エンフォレックスのマドリード校から数名、イギリスチームが入国するまでの期間限定でうちに招けることが決まった」
「マドリードって、スペインの?」
「ありがたいことに日本語も堪能だそうだ。一月程度なら問題なく学園に馴染んでくれるだろう。その彼らを、既に今日、顔合わせのためにここに呼んでる」
「え……っ」
廻神が生徒会室の扉に目をやると、五十嵐、東、刹那、那由多の四人もまた、緊張感に満ちた眼差しで彼の視線の先をなぞった。
「入ってくれ」
ぎいっと音を立て、生徒会室の重厚な扉が開いた。
「Guau, en serio!? Sr. Noche, es usted demasiado duro con la gente!!!」
「……は?」
そこにいたのは、ラフなTシャツにショートパンツ姿の、観光客さながらの男。背中には巨大なバックパックを背負い、スペイン語でテンパり続けている。
全員の怪訝そうな目を受け、彼は思い出したようにポケットからしわしわになった紙を取り出した。書いてあるのは日本語らしい。
咳払いして読み上げ始める。
「Haー、じめま、して。わたしは、かれらの、おつかいのヒューゴ。かれらが、かおあわせに、まにあわないため、かわりにきました。わたしのことは、イヌ、もしくは、あわれなブタ、とよんでください。すきなたべものは、NATTO」
「……なんかすごいテキトーなこと喋らされてっけど、つまり、こいつは代理人ってことか?」
「……そうらしいな」
一歩進み出た廻神が、警戒心を露わにしながら尋ねた。
「Dónde están los cinco estudiantes y su maestro?(生徒5名と、引率の教師が来るはずだが)」
流暢なスペイン語に、代理人――ヒューゴは、助かったとばかりに両手を上げた。
「Tú! Puedes hablar español?!(あんた!スペイン語話せるのか!?)」
「hablemos ahora mismo.dónde están?(早く答えろ。彼らはどこにいる)」
身内でも生徒でもない人間にかける情はない。
冷ややかに尋ねた廻神に対し、ヒューゴはしばらく考えるように黙り、やがて言った。人差し指を上に立てて。
「Probablemente esté sobre Los Ángeles.(たぶん、ロスの上空くらいかな)」
***
――――バララララ。
ヘリのスラップ音が低く響き渡る中で、「まじかよ!」とアドルフォが歓声を上げた。
「おい聞いたかファロ!?」
「何を?」
操縦席に座っていたファロが、ヘルメットのバイザーを持ち上げながら振り返る。興奮気味のアドルフォはコックピットに身を乗り出して捲し立てた。
「アルバ、ベルリンのあの過激派クソ宗教組織ぶっ潰してきたってよ!!俺らも呼べよな、そんな面白そーなイベント!!!」
「ああ、アザールのとことやってたのか……。強かったか?」
「ゴミだ」
「やっぱすげーな、俺らの首領は」
「……つーかさ、アドたちだけ日本でサボっててずるくね?俺もそっちが良かったんだけど」
シャツのボタンを止めながら訴えるのはノーチェだ。燃えるような赤毛をネットに押し込み、黒いウィッグをかぶって変装の準備をしている。彼が羽織っているのは、帝明学園のブレザーだ。
「別にさぼってねーっつの!ちゃんとリオの世話してたしな」
「だからそれがご褒美だって言ってるの。ねえ、スー?私たちもリオといたかったわよね」
「……ん。アドずるい」
「なんだよ、ちゃんと仕事もしてたんだぜ?」
女性陣からの非難も受けてアドルフォは不服げに言う。
「リオに寄り付くゴミ虫追い払ったりとか〜」
ぱりん。アルバの手の中でショットグラスが砕けた。
――やべ、と口に手を当てたアドルフォだが、時既に遅しである。
「………ファロ。もっと飛ばせ。潜入前に何人か消す必要がある」
「無理だな。これ以上飛ばすと燃料切れで迂回しなきゃいけなくなる。悪いが我慢してくれ」
「………」
「ま、まーまー、安心しろって首領。リオのやつ、お前にゾッコンすぎて全く周囲の好意に気付いてねーから。この間なんか依頼人とこの息子に」
ばきん。
次は酒瓶が砕けた。
「……」
「アドルフォ……。お前もう喋るのやめろ」
「――ファロ。もう一度言う」
地獄の底から暗闇が這い出したような不吉さをもって、アルバは一言。
「落ちてもいいから飛ばせ」
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