反撃の狼煙を上げろ

 がたた、と隠し扉が動く音がして、廻神は本から顔を上げた。


「やっと来たか。」

「……」

 薬品の入ったビーカーを片手に、帳面にびっしり文字を書きつけていた伊良波も目線をそちらに向ける。ジルと入れ替わるように廻神が来て、すでに20分は経過していた。


「ごめん二人とも、待たせちゃって」

 ひょこりと上からリオの顔が覗いた。


「遅かったな。何かあったのか?」

「色々アクシデントというかなんというか」

「ん?」

 廻神が声を発したのは、リオの後からもう一人、地下室に足を踏み入れた人間がいたためだ。

 つんつんと短い髪に、やや吊り目がちな猫目。


「お前、志摩か?二年の」


 志摩は物珍しそうに地下室を見回していたが、廻神に声をかけられるとそちらを向いて軽く頭を下げた。

「……どうも」

「は〜〜!?」

 ずかずかと白衣を揺らして志摩ににじりよっていくのは伊良波だ。

「ちょっとちょっと、ここ僕の研究室なんですが?許可とった?」

「お前のじゃないだろ」

「ごめんね伊良波。やむを得ない事情が」

「すみません。俺が頼んだんです。リオに……。俺も、仲間に入れてくれって」


 静かに言い、目を伏せた志摩。

 なにやら訳ありな雰囲気に、伊良波と廻神は自然と顔を見合わせた。




**



「志摩。戻るフリして屋上の前にいて」


 撫子が現れた瞬間、リオは小声で志摩にそう告げた。

 ここで撫子を少しつついて、ボロの一つでも出させればと思っていたのだ。

(こんなに聞かせるつもりなかった……)

 座り込んだ志摩は、未だ力無く項垂れたままだ。


「……ごめんね。志摩」


 志摩がゆっくりと顔を上げる。

 その目には、疲労がうつろとなって浮かんでいた。


「……リオが謝ることじゃねーだろ。本当のこと、教えてくれっつったの俺だしな」

「けど……」

「それより、お前の家族は大丈夫なのかよ」

 志摩は真剣な眼差しをリオに向けて聞く。

「あいつ、なんかすげー物騒なこと言ってなかったか?皮を剥ぐとかどうとか」

「それは大丈夫」

 リオは間髪入れずに答えた。

 聞かれた以上、絶対にそこは突っ込まれるだろうなと予測はしていた。


「私のお父さんもお母さんもとっくに死んじゃっていないの。だから撫子が言ったことは、全部ハッタリ。志摩も気にしないでね」

「……そっか」


 志摩は何を言っていいか分からないように目線を下げ、やがて、はーと長い息を吐いた。


「まさか撫子にあんな一面があったなんて、言っても、誰も信じねーよな……。つーか見ろよこれ、俺、手、震えてんの」


 ダセェよな、と差し出された両手は確かに小刻みに震えていた。それが怒りのためなのか、はたまた本能的に抱いた恐怖のせいなのか、リオには分からなかったが、志摩はそれを抑えるように固く両手を握り込んで呟いた。


「リオ、お前、一人でよく頑張ったな。すげーよ……すげー」

「志摩……」


 志摩はしばらく黙り、やがて「あ゛〜〜〜〜〜くそっ!」と悔しそうに、悪態をついた。


「俺、あいつに頼られるの好きだったんだよ!一番気許してくれてる、ダチだと思ってた。けど、」


 志摩が口を引き結んで言葉を止める。

 撫子に言われた言葉を反芻はんすうしているのかもしれない。


「………けど、知れてよかった」


 肩から力を抜いた志摩が、くしゃりと悲しげな笑顔を浮かべる。

 痛みに耐えるのを諦めたような顔で。


「これ以上リオや、他の奴を傷つけちまう前に分かってよかった。うちの親父が、ちゃんと人間見る目があったんだってことも分かったしな」

「……志摩」

「ん?――――えっ」


 リオは半身を折り曲げて、志摩の額に唇を寄せた。ちゅ、と軽やかなリップ音が響く。

 驚きに目を瞬かせた志摩に見上げられながら、リオははっきりと言った。


「志摩は、大丈夫よ」


 それは心からの言葉だった。

 今目の前で弱りきっている彼に向けた正直な想いが自然と溢れる。


「あなたが私を信じると言ってくれた時、本当はすごく嬉しかった。うまく受け止められなくてごめん。きっと志摩には、まっすぐなお父さんの心根が受け継がれてる」

「リオ……」

「今は悲しいかもしれないけど、大丈夫。あなたの周りには絶対に、その想いに応えてくれる人が現れるから」


 どうか元気になってほしい。

 どうか、こんなことで気を落とさないでほしい。

 そんなリオの想いが伝わったのだろう。ふは、と志摩が吹き出した。


「何だそれ、すげー自信」

「私が保証する。あなたはすごい」

「……サンキュ」


 リオが言い切ると、ようやく、志摩の目に生気が戻ってきた。「っし」と声を上げて立ち上がる。


「んじゃ行くか」

「行くってどこに?」

「決まってんだろ。撫子んとこだよ」

「え!?」

「ちゃんと顔見て話しつける」


「こんだけやる気もらっといて、いつまでもしおれてちゃダセーからな」

 


**


「というわけで、志摩が今にも一騎打ちに持ち込みそうだったからどうにか止めてここに来てもらったってわけ」

「男気のかたまりすぎて怖……。僕とは違う人種かも」

「伊良波先輩ってここに住んでんすか?」

「そんなわけなくない??悪意なく言ってそうなところが嫌」


 っていうか地下室が似合わなすぎるから出てってほしい、などとブツブツ言う伊良波の横で、廻神が志摩の肩に手を置いた。


「〝志摩圭介〟の大会での活躍は生徒会でもよく聞く。現代に生きる武士さながらの潔い太刀筋だと――。その通りの男だったわけか」

「……大袈裟ですよ」

 志摩は恥ずかしそうに鼻を擦ると、すぐに廻神を見つめ直した。


「リオから二人の話は聞きました。こいつの復讐を手伝ってるって。俺も協力したい」

「協力?」

「……つっても、撫子には何もしない。俺は王凱の目を覚ます」

「無理でしょ」


 はっきり言ったのは伊良波だ。


「ちょっと見れば分かるけど彼、折り紙つきの石頭じゃん。圧倒的柔軟さ不足。君みたいに藤野撫子の本性でも見ない限り信じないと思うけど」

「……それは俺も同意だな。あいつのことだ。周りに言われれば言われるほど意固地になるぞ」

「別に関係ない」

 廻神の言葉に志摩は強い目で返した。


「俺が王凱を負かし続ければいい」


 志摩は気付いていた。

 自分の太刀筋の乱れもひどかったが、王凱も、到底普通ではなかったことに。

 思えばリオと出会ってからの王凱は、これまでとはどこか違っていた。

(――たぶん、あいつも……)


「志摩」

 呼びかけられた志摩はリオを見た。

 はっとしたのは、まっすぐこちらを見つめてくる瞳に、はっきりと期待が込められていたから。


「王凱に、勝つの?」


 王凱は天才だ。勝てなくて当然。二番手で当然。そういう周囲の眼差しに慣れすぎていた志摩の心が、音を立てて奮い立った瞬間だった。

 今なら、誰にも負ける気がしない。


「――おう。絶対勝つ」




(………なあ。あいつ、頼もしすぎじゃないか?)(二年のくせにね)

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