本性

「撫子」

「圭介とリオちゃんが追いかけっこしてるって聞いて、気になってきちゃった。何のお話ししてたの?」

「それは……」

「私の名前、出た気がしたんだけどな」


 言い淀む志摩に、撫子は笑みを浮かべたまま近付いていく。


「……もしかして圭介、私より、リオちゃんのこと信じたくなっちゃった?」

「……撫子」

「あ、いいの!私は一人になっても大丈夫なんだけど、ただ……ちょっとだけ、寂しいなって思っただけ」


 ふ、と顔をかげらせる撫子。相変わらず人の良心をくすぐる匙加減が絶妙だ。

 リオが志摩に目をやると、彼は困り顔で撫子に語りかけているところだった。


「撫子……俺はただ、本当のことが知りたいだけで」

「あそこであったことが、本当のことだよ!?リオちゃんが私を突き飛ばしたの。すごく、すごく痛かったのに……圭介は信じてくれないんだね」

 いまだに痛む傷に触れるような仕草をする撫子。

 志摩がかすかに労わるような目をした瞬間を見逃さず、撫子はばっと彼の胸に飛び込んだ。

「ねえ、お願い圭介。騙されないで。いつもの、優しい圭介に戻って……!」


 どっと、志摩が撫子を突き飛ばしたのはその時だった。


「……やめろ」

「え?」


 よろりとした撫子が数歩下がる。

 信じられないというような顔をしていたのは志摩も同じだった。

 体は自然と、肌に浮いた鳥肌を鎮めるように腕をこすりはじめている。「悪い、撫子」 志摩は呆然と言った。


「なんか、俺………今、お前だめだ」


 それだけ言って早足に歩き去ってしまった志摩を、撫子はしばらくの間見つめていた。

 志摩が階段の向こうへ姿を消すと、とうとう本性が現れる。



「あ……んたぁがぁ……!?」



 ぐりんとこちらに向いた凶相は、もはや先程しおらしく俯いていた少女と同じものだとは思えない。胸ぐらに掴みかかってくる撫子を、リオは薄い微笑で迎えた。


「圭介に、何したのよ……!!!??」

「何もしてない」

「何もしてないわけないじゃない!!今までだったら、一も二もなく私を抱き返してくれたのに!!あんたが何か入れ知恵したに決まってる!!」

「まさか。ただ、におったんじゃない?」


 リオはくすりと笑みを浮かべて言った。右手でそっと鼻先を覆うのも忘れない。


「あなた、すごく胡散臭うさんくさいもん。彼、勘も鼻も効くから、たぶん異臭でもしたんでしょう」



 撫子の顔が赤を通り越して紫色になっていく。

 振り上げられた手は、ぎりぎりのところで振り下ろされなかった。かわりに、撫子は唇をめくりあげ、歪で残忍な笑みを浮かべる。


「あなたの家族を捕まえたって、さっき部下から連絡をもらったんだぁ、私」


 不意に、リオの表情に不安の影が横切った。

 それを見て撫子は嬉々と笑う。


「ずいぶんうまく逃げ隠れさせてたみたいだけど、残念だったわね。丁重に扱うから安心していいわよ? ……あ、でも残念だけど写真は期待しないでね。だって、顔の皮や爪をはがされた写真がフォルダに入ってるのって気持ち悪いでしょう?」

「……」

「ママたちの居場所を教えて欲しいなら、まずは誠意を見せてもらわないとね」


 撫子は愛らしく微笑んだ。


「私、これから圭介探して仲直りしてくる。今日は部活も休みだから、放課後誘い出して新宿に行くわ。あなたは私が指示する場所に行ってちょうだい」

「……」

「そこに適当な中年男を向かわせるから、あとは仲良くやってほしいの。できるだけ濃密にお願いね。私たちはそれを見られたら十分だから」


 つまり、今度はリオに援交の疑いでもかけようというわけだ。やる事がいちいちえげつない。


「……ねえ。どうしてそんなに彼に固執するのよ」


 リオは思わず尋ねてしまった。


「あなたが欲しがるようなもの、権力も、名声も、志摩は別に持ってないじゃない」

 キャハハッと撫子が甲高く笑う。


「やだぁ、勘違いしないでよ!私が圭介にそんなの求めてるわけないじゃない!」


 撫子は階段の方へと向かいながら後ろでにひらひら手を振った。


「私はただ、私以外に目移りしない、バカな忠犬みたいに強い男の子が近くにいたら気持ちいいだろうなぁって思ってるだけ。あんなの恋人候補ですらないんだから」




 志摩を探しに去っていった撫子を見送ったあとで、リオは長いため息をついた。



(…………ここまで聞かせるつもり、なかったんだけどな)


 階段を。そこから先にあるのは屋上だけだが、ここは施錠が施されているので普段は誰も立ち入らない。

 リオに、ここで待つように言われた彼以外は。


「……志摩」


 一番上の段に腰掛けていた彼の、ほのかに赤くなった目が、ゆっくりリオを捉えた。

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