地獄の鬼ごっこ2
志摩は足が速かった。たぶん、小学校ではそれでクラスの人気を総取りしてたタイプだ。
けれどもリオも負けてない。
「うわ!」「きゃあ」「何だ!?」
生徒たちの驚きの声の間を駆け抜ける。障害物がある中の全力疾走は戦場で慣れているが、窓から下へ飛び降りたり、あまりに非凡すぎる動きは怪しまれてしまうのでできない。
「あ」
「えっ!?」
前方の教室から折りたたみの長テーブルを運び出していた生徒が二人、全力で走ってくるリオを見て慌てている。
(これくらいなら良いかな)
リオはそのままの勢いで地を蹴った。
重さを極力かけず、机に片手をついて体を反転。向こう側に着地する。そのまま走り出したリオの後ろで、志摩はどうやらスライディングでその机を避けたらしい。
「おいお前ら!忘れろよ!」
と、リオではなく何故か後ろの二人に向けて怒鳴っている。忘れるって何だ。疑問に思った瞬間、リオの中にひらめきが落ちた。
(今日スパッツ履いてきてないや!!)
アクロバティックな逃げ方は今後控えることにした。
「リオさん?」
「瀬川!?」
降った階段の先を左に折れると、見知った人物とぶつかりそうになる。瀬川だ。どうやらここは一年の階であるらしい。
「いいところに!お願い!志摩の足止めしといて!」
「は?」
「宜しく!」
びゅんと風のようにリオが走り去ったあと、階段を駆け降りてきた志摩もまた瀬川とぶつかりそうになる。
「あ!?瀬川」
「志摩さん」
「悪ィ!急いでんだ」
駆け出していった志摩のあとを、瀬川は間髪おかずに追いかけた。
(まずい)
彼に彼女を追わせてはいけないという予感が、早くも瀬川の中では鳴り響いていた。なんせ瀬川は、リオに孤独でいてもらわなければならないのだから。
「一体何事ですか?こんなの王凱さんに見つかったらただじゃ済みませんよ」
「知るかよ!あいつが逃げるせいだろ」
志摩は前方を走るリオの背中をひとえに目指し続ける。瀬川は重ねて尋ねた。
「そもそも、どうして追いかける必要があるんです。あの人は藤野先輩を追い込んだ酷い人じゃないですか」
「あいつはやってねーよ」
はっきり言い切った志摩の横顔を、瀬川はまじまじと見つめた。
「あの時、部室で撫子と何があったか知らねーけど、少なくともあいつは簡単に人を傷つけるようなやつじゃない。それに」
一切迷いのない志摩の顔が、ふっと笑みに崩れた。
彼の視線の先には教科書の束を持ってふらつく年配の教師と、それに声をかけ、教科書類丸々奪い去って走り出したリオの姿が映っている。見て見ぬ振りができなかったらしい。
「俺はあいつを信じることにしたんだ。だから、もう迷わねえ」
瀬川は胸に鈍い衝撃を受けたように足を止め、走っていく志摩の背中を黙って見つめた。
手にも足にも、まるで力が入らないのは、いつも自分が空っぽだからだろうか。
(………志摩さんは、いいな)
**
受け取った教科書の束を室内に運び入れ、再度音楽室を飛び出そうとしたところ、部屋の外には志摩が仁王立ちで待ち構えていた。
ここは四階の突き当たり。これ以上の逃げ場はない。
スパッツを履いていたらとっくに撒けてたというのに、と、リオは見当違いなことを悔やんだ。
「俺の勝ちでいいよな」
「……」
無言で周囲に視線を巡らし、活路を探すリオを警戒したらしい。ずかずかと歩み寄ってきた志摩の両手が、バン、とリオの顔の横に付かれた。猫のような大きな吊り目に、間近で見つめられる。
「俺の勝ちでいいよな」
「……」
「約束なんだからもう逃げんなよ」
「………わかったよ」
リオはとうとう観念して肩を落とした。
ため息をつき、目線を志摩の胸元あたりに固定する。
「それで、言いたいことって何?約束だからね。なんでもどーぞ」
投げやりに言いながら心の中で防御壁を張るのは忘れない。
リオは、志摩から
(何言われても仕方ない。これは、私が自分で招いたことなんだから)
唇を引き結んで俯くリオの前で、志摩がゆっくり口を開く。
「……俺は確かにお前に失望したんだよ。あの時。お前が、噂は全部本当だって言ったから。中庭であったことも、言ってたことも、何もかも信じられなくなった」
「……」
「でも昨日は、それよりもっと失望した――。俺自身の馬鹿さ加減に」
「……え?」
志摩は膝をかがめ、リオに視線を合わせた。
「ごめん」
その素直な謝罪に、リオは目を瞬かせた。
かわりに目を伏せたのは志摩の方だった。
「最近の俺の不調は誰のせいでもない。俺が未熟なだけだ。八つ当たりして、悪かった」
「……いや」
「あと……お前を誘わなきゃよかったって言ったけど、あれも訂正していいか」
志摩はリオを見つめ直して言った。恥を打ち明けようとするように、心の内側にある深い感情を
「自分以外の誰かのせいで、自分がこんなにも掻き乱されるなんて知らなかったんだよ――。でも、もう分かった。
俺がずっと迷ってたのは、ただ、お前を信じていたかっただけなんだって」
訥々と語られる想いに、リオは何と返したらいいか分からなくなる。できるなら彼の謝罪に応えたい。けれど、
「………志摩、私は」
「いい」
リオの唇に志摩の手のひらが触れる。ふに、とほんの一瞬。
志摩はぱっと手を離して顔を逸らした。耳の先まで赤い。
「お前が喋るとややこしくなるからもう聞かねえ!それに、何言われても、俺はたぶん揺るがねえから」
「……」
不覚にもじんときてしまったリオが黙ると、志摩は急に顔を上げた。思い出したと言わんばかりに。
「それから、撫子の親父さんがうちに出資してくれてるって話だけどな――、あれ受けてねえからな!」
「………え!?」
リオは思わず声を上げる。
志摩は、やっぱりという顔で事の次第を話し始めた。
「去年くらいにもらった話だけど、うちの親父も頑固だからよ。人様から金を借りるくらいなら店潰したほうがマシだってバッサリ。別にその後も撫子とは普通だったから、そんな噂どっから流れたのか不思議なんだよな」
リオはついその場に膝をつきそうになった。
あの後、ジルに調べさせた藤野財閥の出資先に志摩の両親が運営する店が含まれていたのは、あれは出資先候補という意味だったのか。
(……よかった)
言葉なくため息を吐くリオに、志摩が労わるような言葉をかける。
「……俺と撫子の関係が悪化したらまずいって、ああしてくれたんだろ。なのに俺、勘違いしてお前に酷いこと」
「も、もういいって」
「いいわけねえだろ!だから、今日は言いにきたんだよ」
志摩は自分の発言を心の底から悔いてるらしかった。唇を噛み、リオにもう一度頭を下げる。
「お前が許したくなかったら、別に許さなくていい。部にも、居心地が悪いなら来なくていい……。だから、頼むから、もう忘れろとか、そういうのは言うな」
まっすぐな懇願。
リオは、とうとう頷いてしまった。
「……もう言わない」
リオがそう言って微笑むと、志摩もようやく強張りが解けたらしい。微かに笑って肩を下ろした。
「でも、撫子のことはちゃんと説明してくれ。今何が起こってんのか。あの時何があったのか」
「……彼女は」
「私のことなら私が説明してあげるのに」
二人同時に振り返る。
そこには、朗らかな笑顔の撫子が立っていた。
「圭介。リオちゃん。二人で何してるの?」
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