地獄の鬼ごっこ1

<リオ様>

 無線からジルの緊迫感に満ちた声が響いてくる。

<リオ様、彼が来ます……!>


 昼休みを告げるチャイムと共に立ち上がったリオ。クラス後方の引き戸が音を立てて開いた。

「リオ」

 現れたのは志摩だ。

 まっすぐこちらに向かってくる気配を感じ、リオは走り出した。

 

 かくして、地獄の鬼ごっこははじまった。



**



「お前、志摩と何かあったの」

「別に」


 美術の授業を終え、教室に戻るなかで話しかけてきた五十嵐にリオはそっけなく答えた。(そういえば、廻神が五十嵐から連絡があったって言ってたっけ)


 別件だが、リオが殴り飛ばした山口は仲間達に抱えられて保健室に運ばれていった。美術担当の矢澤は教室に戻ったあとで事の顛末を知り、リオ以上の激昂ぶりを見せていたのでこの件でリオが学校側に咎められることはおそらくないだろう。


「実は昨日志摩から電話あってさ、すげー勢いで、お前がどこにいるか教えろって。何か怒らすことでもしたんじゃねーの?」

「……」

 心当たりならもうないけど。

 でも、昨日あれだけ心のうちを吐き尽くしてもまだ足りなかったのだろうか。


「あら」

 リオの顔に一瞬よぎった不安げな影に、五十嵐は目ざとく気付く。

「心当たりあるんだ」

「……ないってば。っていうかついてこないで」

「はー?何だよ。お前がボッチだから優しい俺が構ってやってんじゃん」

「邪魔すぎ」

「お前なんでこの状況でその態度突き通せんの?ふつうそろそろ折れね?」

五十嵐あんたに頼るくらいなら死を選ぶ」

「あ、そんなに?」


 からっと教室の引き戸を開ける。ちらほらと次の授業の準備をするクラスメイトたちの中に、

「あ。志摩」

 考える間もなくリオは逃げた。



 次の授業の後の小休憩もリオは女子トイレにこもり続けていた。

 その間もずっと、彼が教室後方にて腕組みをしながらリオを待ち続けていたことはジルから聞いて分かっている。

「えー!志摩君こっちの教室来てんの珍しいね!」「もしかして誰か待ってるの?」とここぞとばかりに志摩に近寄っていったミーハー女子たちは

「話しかけんな」

 と見事一蹴されて撃沈したそうだ。


「圭介、何かあった?」


 当然そんな美味しい状況を彼女が見逃すはずもなく、撫子は自然体を装って志摩の隣に立った。「あいかわらず計算高い女ですね」「計算?」無線からはジルと伊良波の声がしてくる。今日も一緒に監視カメラを鑑賞してるらしい。仲がいい。

「彼は女子にもてはやされるのが嫌いでしょう。そういう相手に対し、目線を合わせず話しかけるのは好手」「まさか――適度てきどにおざなりにされてる感!?」「Exactlyそのとおり」楽しそうだな。


「……話してくれたらいいのに。私たち友達でしょ」

「撫子」

「リオちゃんに何か言いたいことがあるなら、私からも言っとくよ?」


<ほらほら、見てご覧なさい。百戦錬磨のあの女の技にハマって、志摩圭介も―――おや>

「手助けはいい」

 志摩は一言こう続けた。


「これは俺が、あいつの顔見て、直接言うことだから」



 つまり、昼休みにこうなることはもはや分かりきったことだった。リオは全速力で廊下を駆け抜けながら無線越しにジルの声を聞いていた。


<リオ様、じき廻神がここへ来ますのでこれ以上の援護はできません。どうにか彼をいて地下室へ。武運を祈ります>ぷつっ

 リオは天を仰いだ。

 後ろからは志摩の怒鳴り声が聞こえてくる。

「おい!何で逃げるんだよ!」

「少しでいいから止まれって!」

「おい!」

「――志摩」


 ようやく目的の場所まで辿り着くことができた。

 リオは立ち止まり、ゆっくりと振り返る。


「私、もう二度と剣道部には関わらないって決めたの。だから志摩もこれ以上私に関わらないで。もう話しかけないで。目も合わせてこないで」

「……」

「これでもまだ、私に言いたいことある?」

「――ああ。ある」

 まっすぐ見つめられ、リオは口元を引き締めた。

「……あっそ。じゃあこの昼休みに限り聞いてあげる」

「!」

 リオはたっと一歩踏み出した。志摩の横を通り過ぎざま、鼻先で小さく笑って見せる。


「私を捕まえられたらね」


 志摩が振り返った時、すでにそこにリオの姿はない。

 ここは学生の戦場――ランチ時の購買である。

「帝国ホテルのコロッケパン2個!」「私生鮭といくらのおにぎり!あ、神戸牛サンドまだありますか!?」「ひつまぶし弁当完売でーす!」「広島風鯛焼き完売でーす!」 


 活気あふれる市場さながらの賑わいからすでに抜け出したリオがぺろりと舌を出す。ごめんね志摩。悪いけど今日の昼休みは潰れることに――。ドン。

 顔面から何かにぶつかり、顔を上げたリオは絶句した。

「……志摩、え、何で」

「舐めんな。こっちは毎日購買戦争乗り切ってんだよ。ほら」

「むぐっ」

 彼によって口に突っ込まれたのはほかほかの鯛焼きだ。しかも中身はつぶ餡じゃなく。しゃきっとした焼きキャベツの食感。口の中で目玉焼きがとろりと溢れてすごく美味しい。じゃなくて、これは。


「20秒な」

 自分もペロリと焼きそばたい焼きを平らげた志摩が、ブレザーから腕を抜きながら言う。

 リオはおずおず志摩を見た。


「早く逃げないと秒で捕まえるぜ」


 かくしてリオは、口いっぱいにたい焼きを詰め込みながらの全力疾走を強いられることになるのだった。

 落涙を禁じ得ない。思ってた展開じゃない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る