見つけた手がかり

 


「二人とも、準備はいい?」

「ああ」

「いや待って?」


 ストップを口にしたのは伊良波だった。時刻は7時前。場所は東京駅から数駅離れたとある駅の改札外である。


「絶対におかしい。おかしいよおかしいおかしい」

「何がおかしいんだよ」

 ぶつぶつ言っている伊良波に、溜息を吐いた廻神が尋ねる。


「おかしいでしょ……!僕生徒会なんか入った覚えないんだけど??」


 彼は今、見慣れた白衣ではなく帝明学園のエンブレムが入った腕章つきのブレザーを着ていた。つまりは廻神のブレザーだ。

 貸した本人は黒いパーカーにグレーのキャップを被り通行人Aを装っているが、どことなく溢れ出す品が只者ではないオーラを醸し出している。


「仕方ないだろ」

 廻神は肩をすくめて言った。

「休学中の学生の家に行くのに無名の女子生徒一人じゃ怪しすぎる。それに危険だ。お前なら世間に顔が知れてるし、入学の時そこそこ話題になったからちょうどいい」

「じゃあ君が行けばいい」

「俺だって出来るならそうするが、生憎今リオと行動してるのを誰かに見られるわけにはいかない。だからこうして変装もしてるだろ」

「あ。それ変装のつもりだったんだ。さっきから女子の視線が鬱陶うっとうしいんですが」

「お前の白髪のせいじゃないか?」

「はい、差別!理事長にチクってやる!」

「二人とも何ですぐ喧嘩するかな。仲良くしなよ」

「「馬が合わない」」


 ということで、廻神は駅前のカフェからの後方支援に回ってくれることになった。

「これ後方支援役いる?」という伊良波の問いかけに対しては、

「俺抜きで面白そうなことするな」と廻神本人からの回答である。



 駅から離れると景色は静かな住宅地に変わる。

「今日当たれるのは一軒だけかな。といっても、ここが大本命なんだけど」

 リオがポケットから出したメモを覗き込み、伊良波が顔をしかめる。


「それ一件一件あたるの?それこそ君んとこの情報網使ったほうが早い気がするんだけど」

「いやいやいや、これでも絞ったほうだから」

 リオがげんなりした顔で言うと、好奇心のアンテナをぴこんと立てた伊良波が耳を近づけてきた。

「ちなみに、どうやって絞ったか聞いても?」

「……犯罪歴のない一般人の情報探る方法なんか一つしかないじゃん」

「というと?」

「言っても引かない?」

「絶対引かない」

「端末ハッキングして検索履歴を漁る」

「ぎゃ〜〜〜〜!!」

「伊良波うるさい!」

「だって!」

 ばしっと高い位置にある頭を叩く。絶叫した伊良波は両手で頭を抱えて身悶えたまま、信じられないものを見る目で見てきた。

「想像だけで死ねるんだけど!!君男子高校生の敵すぎない?」

「仕方ないでしょ!全部当たってる時間ないし!親にも友達にも頼れない高校生が頼る先なんて、ネットの中くらいにしかないんだから」

 伊良波がはっとしたように真顔になる。


「……じゃあ、今から会いに行く子の履歴って」

「――――『死にたい』」


 リオはじんと痛くなる胸を押さえた。


「『自殺 痛くない』『警察行けない』『ヤクザ 逃げ方』『助けて』とか。だからこの子は、ほとんどビンゴなの」


 伊良波がふざけるのをやめて前を見た。

 そこには目的の家がある。

 豪邸だが、どこか人気がなく静かで、灯りがついている部屋は一つだけ。


「いくよ」

 リオがインターホンを鳴らすと、しばらくして女性の弱々しい声が「はい」と応じた。リオはなるべく人好きのするような声音で語りかけた。


「夜分遅くにすみません。帝明学園生徒会の伊良波とミゲルと申します。今日は少し、康二君とお話がしたくて」


 ブツッ

 と、唐突に通話が切れた。その後すぐに家の中から激しい足音がして、玄関が開く。現れたのは線の細い女性。今にも崩れ落ちてしまいそうなほどやつれた姿が痛ましい。


「あの」

 言いかけたリオははっとし、伊良波の前で両腕を広げた。

 女性が手にしていたカップを中身ごと投げつけてきたのはその時だ。

「リオ!!」

「大丈夫」

 血相を変えた伊良波に、リオは軽く微笑んで見せる。

 かけられたのは飲みかけのコーヒーだったようだ。さほど熱くもない。


「……康二くんのお母さん。私たち、彼に会いにきたんです。会わせてくれますか?」

「会わせるわけ、ないでしょう!!」

 女性は目に一杯涙を溜めたまま、リオを睨みつけている。


「誰のせいで康二が学校に行けなくなったと思ってるの!!??あんな学校に通わせたから、あんな学校にいかせたせいで、康二はおかしく」

「母さん!!!」

 突然家の中から悲鳴にも近い声が上がり、転がるようにして人が出てきた。

 ――彼だ。リオは直感的にそう思った。 

 黒く伸ばしっぱなしの髪。痩せた頬に、窪んだ目。

 見たことがある。

 脅かされている人間は、往々にして、こういう様相になっていく。



「誰か来ても外に出るなって言っただろ!?!?!し、死んだらどうするんだよ!!?父さんもまだ帰ってないのに!!!」

「こ、康二、ああ、ごめんなさい、もう閉めるから」

「康二くん、待って」

「!?う、うわぁあああああああああ!!」


 制服を着たリオを見た瞬間、怯えに怯えていた彼の瞳が、さらに揺れた。恐怖と絶望で。

 流石のリオも口をつぐんだ。


 絶叫し、頭を覆ってその場に崩れ落ちる彼が繰り返したのは、「ごめんなさい」と「助けて」の二言だけ。

 とその姿に耐えられなくなった母親が、とうとう口を覆って泣き崩れる。


「……リオ」

「………」


 リオは震えていた。

 言葉も出ないほどの怒りで。


「康二くん」


 彼は、こんなふうにおぞましい恐怖を植え付けるほどの、一体どんな仕打ちを強いられたのだろう。

 この女性も、壊れてしまいそうな息子の姿にどれほど泣き、苦しんだだろう。

 彼らの家庭と人生を粉々にする権利が、一体誰にあると言うのだ。


「……」


 リオはそっと敷居を跨ぎ、うずくまる少年の肩に触れた。

 悲鳴をあげ、それを払った彼が手当たり次第のものを投げつけるのを、黙って受け続ける。投げるものがなくなると、今度は彼自身がリオに飛び掛かってきた。

 固めた拳が、顔や頭に振りかかってくる。


「桑野 康二!」


 リオは拳の雨を受けながら腕を伸ばし、彼の顔を両手で掴んだ。ちょっとやそっとじゃ振り解けないような力で。暴れる少年を押さえつけて、その瞳を見つめる。


「あなたが守ろうとしてるものを、私は傷つけない」


 リオの言葉に彼の拳がやみ、その瞳はぐらぐら揺れた。

「……っ信じない!」

「だめよ。信じて」

「嫌だ!!誰も信じない!!母さんは、俺がッ」

「殺してあげる」


 リオの声は不思議な静寂を持ってその場に響いた。

 目を見開いた少年の瞳に、はじめてちゃんとリオが映る。



「怖いなら、ただ頷くだけでいいから。私に教えて」

「………」


 少年の腕を掴んだリオは、自分のブレザーの中にその手のひらをいざなった。

 彼は触わっただろう。リオが隠し持った、冷たく重い愛銃に。

 そこにいるのは、1人の殺し屋。


「……君、は」


 見開かれていく目を見ながら、リオは穏やかに微笑んだ。


「ね。教えて」


「あなたの日常を壊して、」

「あなたの平穏を脅かして、」

「あなたの大切な人たちを、命の危険に晒したのは、誰――?」


 ぼたぼたと、彼の目からとどめることのできなかった熱い涙が溢れる。たすけてと、掠れた声が訴えた。




「………、とうのなでしこ」

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