駄菓子屋での約束
帝明学園の裏門を抜け、住宅地に隣り合った細い小路を数本曲がったところにその小さな駄菓子屋はあった。
駄菓子屋の軒先に置いてあるチープなベンチに腰掛け、リオはソーダ味のアイスをくわえ直す。
瀬川は隣で、ばりっと菓子パンの袋を開けている。
「デートってこれ?」
「これですけど」
(……………深読みしすぎた!)
赤面を禁じ得ない。
朝から毒を浴びきっていたこともあり、瀬川の唐突な「デートしませんか」を「ちょっとツラ貸せ」だと判断したリオは、にっこり笑ってこう答えたのだ。
「女の子を誘うなら、もっとロマンチックに誘ってほしいわ」
穴があったら入りたいとはまさにこのこと。
リオの返しを受けた瀬川は、目をパチパチさせ、ええとと口ごもった後「素敵な場所に行きませんか」と言い直した。
正直この辺りで何か変だと思った。
しかし、それ以上突っ込まれたくない様子で瀬川が歩き始めてしまったため、リオは訳もわからずついて行くしかなかったのだ。
やがて辿り着いたのが駄菓子屋で、リオは潔く、自分の過ちを認めたというわけである。
「ここ、俺の行きつけなんです。ロマンチックじゃなくて悪かったですね」
「……(疑ってごめんなさい)」
内心で猛省していると、お店から出てきたご婦人が「あらぁ」と声を上げた。さっき店頭に立っていた方の奥さんだろうか。
花柄の前掛けや口元にしっかり刻まれた笑いジワから、善良なオーラが滲み出ている。
「まあまあ、千紘ちゃん。学校はどうしたの?」
「サボり中」
「あらぁ、だめよぉー?ちゃんと行かなきゃ!勉強おくれちゃうわよぉ?」
「これ食べたら行きますよ」
「困った子ねぇ」
どうやら本当に常連のようだ。奥さんはリオを見ると、まあぁ〜!とさらにワントーン上がった声を上げた。
「千紘ちゃんたら彼女と逃避行〜?やるわねぇ!」
「先輩ですけど」
「まあすごい!先輩とお付き合いしてるのねぇ〜」
なんだか力が抜けていく会話だ。
瀬川ももう否定が面倒になったらしく、無言でパンをちぎり始めた。
「それ食べたらちゃんと戻るのよぉ」と駄菓子屋の奥さんが店内へ戻っていくと、再び沈黙が訪れる。
さわさわと優しい風がくるぶしをくすぐった。
「先輩」
瀬川がようやく口をひらく。
「剣道部、やめるんですか」
「……」
「辞めないでくださいね」
「え?」
沈黙したリオの答えを待たず、瀬川は淡々と続きを紡ぎ始めた。それも思いがけない言葉ばかり。堰を切ったように。
「藤野先輩ってなんか
辛辣な不満をつらつら並べたてる瀬川。
思いがけない言葉の連続に、リオはついぽかんとしてしまう。
まさか瀬川はそれを言うためにリオを待っていたのだろうか。授業をさぼってまで。
「……ありがと」
リオがつい礼を口にすると、瀬川は素っ気なく「いいえ」と返した。もしかしたら照れているのかもしれない。無表情な彼の思いがけない一面に驚きながら、リオは小さく微笑んだ。
「あの、気持ちは嬉しいけど、私の味方はしなくていいからね」
「……後輩は頼りになりませんか」
「そうじゃないけど、絶対王凱たちがうるさいから」
リオはげんなりと斜め上に目をやる。うちの部員をたぶらしおって!!と鬼の形相で迫る王凱の姿がもう目に浮かぶのだ。
確かに、と瀬川も微かに眉をしかめた。
「……けどもし山口先輩たちがミゲル先輩にちょっかい出してきたら?見て見ぬふりしろっていうんですか」
「その時は自分でどうにかするよ」
「舐めすぎです。あの人仮にもうちの部員ですよ」
腰を上げた瀬川は、ベンチに腰掛けるリオの前にしゃがみ、彼女の手首を両手で掴んだ。
「これ。振り解いてみてください」
「…………ッ」
言われた通り振り解こうと力を込めたが、リオの腕はぴくりとも動かない。高校生の腕力を振り解かないはずないのに。本当に鍛え方が違うのだろう。
正直驚いたが、それよりも、
(……こいつめ)
これが優った。
「ね。これが男女の腕力の差です。ああ、俺は別に力強い方じゃないですからね。山口先輩なんかガタイもいいんだから、もうちょっと警戒心を持った方が」
「瀬川こそ。私を舐めすぎ」
「え」
ぱっと両手を開いたリオは、手首を返して素早く瀬川のほうへ踏み込んだ。「うわ、」油断して驚く瀬川の腕をテコにして掴まれた両腕を引き抜く。
バランスを崩して尻餅をつく彼の、立てかけた竹刀袋をその鼻先に突きつけてやったのはおまけのついでだ。
ぽかんとしている瀬川に、リオは勝者の微笑みを向けた。
「スペインでは小学生も護身術を習うのよ!
「……」
「ふふ、むすくれないで。いつも油断してる瀬川が悪いんだから」
「……覚えてろ」
「悪態つかないで、ほら」
促すと、瀬川はリオに差し出された竹刀を掴んだ。
大人しく引っ張り起こされるなかで彼は不服そうな目をリオに向ける。
「じゃあ俺は、部活でも学校でもあなたに話しかけちゃいけないんですか」
「……」
じっくり考えてみたが、結論は「やっぱり止めてほしい」だった。
思い返してみればリオがクラスメイトたちからの不評を買った最初の事件には瀬川が絡んでいる。彼と話しているところなど見られたら、それ見たことか!と集中砲火されるのが関の山だ。
「……じゃあ、ここでならいいですか」
「え?」
「この駄菓子屋なら、帝明学園の生徒は滅多に来ませんし。たまに放課後、俺に付き合ってくれるなら部活中は話しかけないようにします」
「でもここ通学路でしょ?人が通るんじゃ」
「……ならこれで」
瀬川は腕を伸ばし、商品の一つであるアクションヒーローの仮面を顔につけた。特徴的な突起物が額からぴょこんと生えている。リオは咄嗟に口を覆った。
「これなら俺だってバレないでしょ」
「っっ、」
「あ……意外と視界広いなこれ」
「ふっ、く………」
「ねえ、似合いますか?」
このあたりでリオの限界が来た。
「あーっはっはははは!」
お腹を抱えて笑い出すリオを、瀬川は無言で見つめている。かと思えば、突起を揺らして首を傾げた。
「……そんなに面白いんですか」
「うご、動かないで、てか、しゃべんないで!」
「……(ブンブンブン)」
「ひーっ」
店前の騒がしさに再び顔を出した老婦人は、爆笑しているリオと首を振り回している瀬川を見て「あらあら」と仕方なそうな笑みを浮かべた。
「仲よしなのもいいけど、二人とも、そろそろ学校に戻りなさいよぉ〜!」
「あっ、そうだった!」
リオは慌てて立ち上がる。
さっき廻神から「今どこだ」とメッセージが来ていたのだ。もしかすると朝の一件が耳に入り、ついでにリオが授業に出ていないことも聞きつけたのかもしれない。さすがにもう学校に戻らなければ。
リオはスカートのポケットからさっきもらったレシートを取り出し、自分の番号をすらすらと記した。
「はい、これ」
面白すぎる瀬川は直視しないようにしながらレシートを渡す。
「これ……」
「今日はありがと、瀬川。憂鬱な気持ちが吹き飛んだ気がする」
遠くで小さく学校のチャイムが鳴るのが聞こえてくる。それと同時に携帯が震えた。廻神、の表示だ。
リオはくるりと身をひるがえし、学校に向かって走り出した。
「ここ来る時はまた連絡して!行けそうなら私も行くから」
「……約束ですよ」
最後に一度手を振ってリオは再び駆け出した。
**
去り行くリオの背中を見送った瀬川は、つけていた面をゆっくりはずす。
そこにあったのは、いつも以上に感情の欠いた青年の顔。
「……そんな簡単に気許しちゃダメでしょ。先輩」
呟きつつも、瀬川は慣れた様子で携帯をタップする。
「もしもし。撫子さんの言うとおり、ちゃんと接触しましたよ。……ええ。はい。いつものようにすればいいんですよね。わかってます。それじゃ」
通話を終えた瀬川は、ふとリオが座っていたベンチを見つめた。
――今日はありがと、瀬川
「……」
一瞬胸によぎった「何か」の正体に気付かないよう、目を閉じてそれが過ぎ去っていくのを待つ。こうすれば、いつも必ず心が凪いでいくから。
(……よかった。もう何も感じない)
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