死地にて③

(何でアルバが私のベッドに)


 事態を理解するのに少し時間を要したが……なんてことはない。

 リオたちは、無事にアジトへ帰り着くことができたのだろう。


「……っぅ」

 身を捩ると、息もためらうような痛みが腹部に走った。

 仕方なく起き上がるのは諦めて顔だけを横に向ける。鼻先がぶつかりそうな位置に、アルバの顔がある。

 狭い額。

 寝ても覚めても、微かに寄っている眉。

 静かな寝息に合わせて肩が上下している。

(生きてる)

 ……アルバ、生きてる。


「…………起きて早々べそかくな」

 ゆっくりとアルバの瞼が開いた。

 小さく鼻を啜った音でも聞こえてしまったのかもしれない。


「だって」

 リオは真っ赤になった目でアルバを見た。

「……今回…けっこう危なかったよ…」

「かもな」

「かもなじゃない……」


 嗚咽でもこぼそうものなら振動で傷が痛むので、リオはすんすんとなるべく身体に負荷がかからないよう静かに泣き続けた。

 アルバは右腕を支えに半身を起こすと、親指でリオの目尻を拭う。

 ここに来た時からことあるごとに泣くリオを慰めるため、アルバはすっかり彼女の涙の拭い方が上手くなった。


「任務は成功した。アキムも上手くイーゴリの後釜についたらしい」

(……ファミリーの二代目が黒幕だなんて、映画みたい)

「俺たちは逃亡中に爆撃を受け全員死亡したことになってる。Deseoの名も出してねぇから、これ以上の関与はない」


 つまり、東欧最大の犯罪組織SELsの次期首領が企て、Deseoが実行したこの壮大な組織改革――悪き時代の膿み出しとやらは、これでようやく終わったわけだ。


「……みんな生きてる?」

 微かに緊張して尋ねると

「しぶとくな」

 と返事が返ってくる。

 リオはここで初めて、心から安堵の息を吐く。

 これがいつもの流れだった。


 Deseoは任務遂行率95%以上だなんて謳ってるけど、このくらい全員が満身創痍になることも珍しくはない。慢性的に人手不足で、いつだって綱渡り。それが彼らの日常だから。


「一人につき1億ルーブル(日本円で約1億5000万)の契約だ。まさか全員生還するとは思ってなかったらしい。アキムの奴泣いてたな」


 リオの髪を指ですきながら、アルバは珍しく機嫌がいい。

 しかしリオがまったく反応を示さないので、不可解そうにこちらを見ろしてくる。

「嬉しくねぇのか」

「……嬉しくないってことはないけど」


 リオは唇を尖らせた。

 

「アルバは、何か欲しいものあるの?」


 そんなことを聞かれるとは――どころか、そんな質問がこの世に存在することすら、初めて知ったというような顔だった。

 アルバは黙り込んで考え始める。

 普段から特別何かに執着している様子もない彼だ。やはりそう簡単には出てこないらしい。

 眉間に皺を刻んで沈考するアルバに、リオはつい「うふっ」と噴き出してしまう。アルバはとっくにいつもの不機嫌顔に戻っていた。


「イテ…うふふ、おかしい、欲望デゼオのボスなのに」

「……うるせぇ」

「何か欲しいものがあるなら、私のお金も使っていいよ」


 頭を軽く叩かれる。いるか、だって。


「……お前はねえのか」

「ほしいもの?あるけど、別に一億円もしないもん」

「何だ」

「……カーサ

「家?」

 さらに怪訝そうな顔をされる。

 アジトで何が不満だと思っていそうだ。

 リオは目を閉じて、瞼の裏にその光景を思い描いた。


「三角屋根で、庭があって、皆の部屋があって、キッチンとリビングがある家。そこでみんなで暮らしてみたい」

「………」

「アルバ。だって、人生は一回きりでしょ。命も一人にひとつだけ。大事にしたっていいじゃない」


 アルバもみんなも、平気で命を危険に晒すのだ。今回のように。

 これはリオには止められない。悲しいけれど、彼らの一番辛く過酷だった半生に、リオは関わっていないから。


 でも、だからこそ家が欲しいのだ。

 そこにいる時だけは武器を持たず、何も警戒しなくていい、皆が思い思いに羽を伸ばせるような家が。


「……なら、俺も一口噛んでやる」

 アルバが、ふと口を開いた。


「え?」

「お前のバカみたいな量の本を並べる部屋を作る。どうせまだ増えるだろうから。2000万くらいならかけてもいい」

「……」


 リオは熱くなる胸をぎゅっと抑えた。

 一人でひそかに抱いていた他愛もない夢の中に、急に、アルバの存在が現れた気がしたからだ。

 その夢を叶えてもいいと、言葉なく告げられた気がしたから。


「……じゃあ、私、アルバがお昼寝する部屋を作るよ。日は当たるけど、風が通って涼しい場所に。庭には小さいピザ窯があって、お昼になったら、焼きたてのパンを食べよう」


 アルバは想像したらしい。微かに目元を緩め、


「……悪くねぇ」


 と呟いた。



「え〜!リオ家建てんの?」

 いつから機を伺っていたのだろう。鉄製の扉が軋んだ音を上げて開き、まずはノーチェが現れた。それに続いてアドルフォたちも。


「じゃあ俺、でっけー画面のゲーム部屋作ろーっと!あとは変装用のドレッサーとか置いてな。アドルフォはどうせ筋トレルームだろ?」

「ざけんな。なあリオ、ガレージ作っていいか?バイク置きてぇ」

「私実はグウェン・ステファニーの部屋に憧れてたのよね〜!家具探しに行かなくちゃっ!」

「リオ……私、二段ベッドで寝てみたい。買っていい……?」

「俺はそうだな。屋根裏を基地みたいにして、壁一面にフロリダ沖の海図を描く。18世紀に沈没したサンミゲル号の財宝を探す」

「「お前天才かよファロ!!」」


 わあわあと途端に賑やかになる医務室。

 アルバはうざったそうにため息をついたが、リオが心底嬉しげに頬を紅潮させていたので、仕方なく、手下たちを追い出すのは待ってやることにした。


 とある死地から戻った殺し屋たちの、ほんのひと時の日常の話である。

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