ごめんね

 走るのは好きだ。けれども、別にこんな状況のことは言ってない。


<はーぁい!リオ!日本でのスクールライフはどう?>

「バレリア!」

<わたしもいる>

「ススピロも!わー、久しぶり!今カーサ?」

<サンフランシスコよ>

「え!仕事?」

<ええ。次のターゲットが絵画のコレクターでね。今から美術館襲うんだけど、昼間暇だったからヘイズバレーに行ってきたの。もう可愛いブティックがいっぱいで最高!ね、スー!>

<ん。リオとも行きたかった>

「次はバカンスで行こう!」

<そうね!……って、やだ、なんか息切れしてない?>

「全然してないけども!!」


 リオは携帯を耳に当てたまま背後を振り返る。数メートル後ろを顔を真っ赤にした男子生徒が数名、全速力で追いかけてきている。


「と、と、止まれやクソ女!!!ぜえ、はあ」

「朝は、よくもやってくれたな!!」

(しつこいなぁ、もう)


 殺し屋といえども別に超人的な足の速さは誇っていない。現役の体育会系男子の全力疾走に追いつかれない程度だ。しかし、いかんせんしつこい。

 彼らが今朝の一件の仕返しを企んでいることは明らかだ。


(そろそろ本気で撒くか)

 

 バレリアたちとの通話を切り上げ、リオはきゅっと廊下を曲がった。死角の多い階段は敵を撒くのにはうってつけなのだ。皆も覚えておくといい。

「……ほっ、と」

 人気がないのをいいことに、リオは一番上の段から飛び降り、壁を蹴って下の踊り場に着地した。これで3秒省略。

 突然人影が現れたのは、折り返しで同じことをもう一度やった時だった。

「あっやば!」

「は?」

 どうにか空中で身をよじり正面衝突は避けたが、リオはそのまま勢い余って踊り場を転がる羽目になった。


「……ミゲル先輩?」

「……何やってんだお前」


 志摩と瀬川だった。


 困った。どうしよう。と言葉に詰まっているうちに、階上からどかどか複数人の足音がして山口たちが追いついてきてしまった。リオを見つけるなり声を上げる。


「あっ、いたぞ!!」

「志摩!瀬川!そいつ捕まえろ!」


 リオは舌打ちして立ち上がり、呆気に取られている二人の横を駆け抜ける。


「クソ!逃げ足の速い奴だな!」

「早く捕まえろよ!昼休み終わっちまうぞ!」

「ぜってー逃さねえ!」


(もう!!ほんとにしつこい!!!)



**



 剣道が好きだと言ったくせに、瀬川に気があると噂になって。

 あんな見事な一本を取ったくせに、撫子に平気で暴力を振るう。


(あいつのことが分かんねえ)


「……瀬川。悪い。これ持っててくれ」

 立ち去っていったリオと数人の生徒を見送った志摩は、購買で買ったパンの入ったレジ袋を瀬川に渡した。

 瀬川はいつも通り感情の読めない目で志摩を見つめる。

「助けに行くんですか」

「……仕方ねえだろ。ほっとけねぇし」

「はぁ……志摩さん、そういうとこですよ」

「何がだよ」

「圭介!」


 二人が顔を上げると、撫子が笑顔で階段を降りてくるところだった。

「きゃっ」と最後の一段を踏み外して倒れ込む撫子を、志摩は咄嗟に腕を伸ばして支える。


「大丈夫か?」

「ご、ごめんなさい!大丈夫!」


 照れるように離れた撫子の痛々しい姿を見て、志摩は眉をひそめた。


「撫子。それ……」

「大丈夫。もう痛くないから」

 撫子は志摩が何か言うよりも早く首を振り、小さく微笑んで見せる。

 たまらなく庇護欲ひごよくを掻き立てられる仕草に志摩は言葉に詰まった。


「昨日は部活休んじゃってごめんね!今日は行くから」

「……無理すんなよ」

「してないよ!私も早く馴染みたいし……そうだ!もしよかったら、今から一緒にお昼食べない?剣道のこともっと教えて欲しいの。瀬川くんもよかったら」

「……いいですけど」


 瀬川がちらりとこちらをみてくる。


「だめかな……?圭介」

 そっと袖をひかれ、志摩は暫く考えて頷いた。

「……そうだな。行くか」

 撫子がにこっと笑う。

 

(これでいい)


 どうせ、リオは間もなく退部扱いになるだろう。こんな事件を起こした奴を部に置いておくほど、王凱は甘くない。

(もう考えなくて良い)

 理解できない奴を無理に理解する必要なんかない。

 そんなことより、今は自分に一番大切なものを極める時だ。

 剣の、道を。


「……」


 しかし志摩は、いつまで経っても足を踏み出すことができなかった。不思議そうに自分を見上げる撫子の指を、ゆっくりとほどく。


「悪い、撫子。瀬川と先に食っててくれ」


 そう言うが早いか駆け出した。

 後ろから撫子に呼ばれた気がしたが立ち止まらなかった。


 安心したのは、一歩踏み出すたびに、自分の胸がすっきりと晴れていったことだ。身体がそれでいいと言っている。そうであるべきだと。


「やっぱ、うじうじ考えてんのなんて俺らしくねえよな!」


 そうだ。わからないなら聞くべきだ。正面切って。

 あの日、王凱に運ばれていく撫子と、一人俯いているリオを見た時、俺の胸に湧いたのは違和感だった。その答えはあいつが持っているのかもしれない。


 昼休みの生徒でごった返す校内で、志摩は周囲に目をやりながら走り続けた。


(つっても、あいつらどこいった?)



**


 その頃、リオは校舎裏にいた。


「ようやく追い詰めたぜ」

「手間かけさせやがって」

「……」


 正しくはリオがこの場所に彼らをのである。もちろんジルの仕掛けたカメラの範囲内だ。

(ここなら多少反撃しても目撃者は少ないだろう)



「リオちゃんさぁ」


 リオが手のひらの中で手頃な石を握りしめたことも知らずに、すっかり勝者の気分でいる山口が口を開いた。さわさわと心地のいい風に反して、彼らの笑みは歪んでいる。


「いつまで気丈に振る舞うつもりか知らねーけど、お前の味方なんかクラスにも剣道部にも一人もいねーからな?王凱部長もお前を勧誘したこと後悔してるみたいだったしよ」

「……」

 少しだけ、傷んだ胸には気づかないふりをした。

 山口は続ける。


「瀬川もお前みたいなのに言い寄られて迷惑してんだろ?あと志摩な!あいつだけは、絶対お前の味方にはなんねえ。これは断言できる」

「……どういう意味?」


 前の二人とは違う嫌な言い方にひっかかり、リオは尋ねた。

 彼らはにやにやと顔を見合わせている。


「あいつんち、たいしたことない中小企業なんだけど、撫子の家に出資してもらってんだってよ」

「マジそれさっき聞いてビビったよな〜!」

「いや、でも俺は腑に落ちたわ」

 うんうん、と頷いて続ける山口。


「あいつ、この学校には推薦で入ってきただろ?皆あいつの中学時代の剣道での功績のせいだって思ってるけど、あれは絶対撫子んちに頼み込んでるわ。実際あいつの実力大したことねーもん」

「そうなん?俺クラス一緒だけどいっつも剣道剣道言ってるぜ?」

「そういうパフォーマンスなんだって。女の子に頼み込んで入学とか、バレたら超だせーじゃん?」

 ぎゃはは、と笑い合う彼らは、どうやら志摩をよく思っていないらしい。

 出資の件はリオも知らなかったことだ。しかし彼らが「つい今し方」仕入れた情報だと言うのなら、それはきっと――――。

 リオは静かに息を吐いた。


「左手に、たこができてたの。小指と薬指の根本にね」



 リオがそれに気付いたのは、あの中庭で竹刀を握りなおさせられた時だった。

 その位置に豆ができるのは竹刀を上手く振れている証拠。その豆が何度も破け、なお繰り返される鍛錬の日々が、彼の手に硬いたこを作った。

 彼らに馬鹿にされるようなことだろうか。



「あの手は、剣道が好きで好きでたまらない人の手だった」

「……あ?」

「あなたのやわらかい手のひらと違ってね」


 かっと赤くなる山口に、目を細めて笑ってみせる。

 心底お前を見下していると、彼に正しく伝わるように。


「志摩圭介の努力を前に、あなたなんか手も足も出ずに負けるに決まってるじゃない」


 そこまで言って、リオ自身初めて気がついた。

(あ……そうだったんだ。私)


 ――一緒に全国目指そうぜ。


 リオがあの志摩の言葉に心を揺らされたのは、志摩の剣道への一途さに感動したからだ。少しだけ、傍でその道の行末を見たいと思ってしまった。

 任務のことを差し置いてしまうほどに。

(……私もまだまだだな)


 小さく自嘲したリオの前に、山口の巨体が立ち塞がる。

「マジでお前、女だからって許さねえ!!!」

 リオが応戦体制をとった時だ。


 

 振りかぶられた山口の拳が、頭上で別の手に遮られた。

 全員の視線をその身に受けたのは、軽く息を切らした志摩である。

「……やめとけ山口」

「……」

 山口は驚き顔を即座に歪め、志摩の手を勢いよく振り払った。


「ヒーロー気取りしてんじゃねーぞ!志摩!」

「……」

「そいつが撫子に何したか分かってんのか!?何でそんなやつ守ってんだよ!」

「お前らこそ、王凱が何言ったか忘れたのかよ」

「……」

「――――何もするな、って。あいつ言ったよな」


 志摩の気迫に面々がたじろいているのが分かる。

 彼らの中で、誰がなのか、リオは改めて理解した。


「…………ちっ、わかったよ」

 もう一度リオを睨みつけた山口は、最後に志摩のことも一睨みして去っていった。


「怪我、してねえか」


 後に残ったリオに志摩は尋ねる。

 リオが頷くと、彼は一つ、長いため息を吐いた。

「……あのな」

 志摩の緊張混じりの声を聞きながら、リオは、志摩の言葉の続きが手に取るように分かる気がした。

 言わないでと、

 つい願ってしまう。

 耳を塞げるなら塞いで、逃げ出してしまいたい。結局、それよりも志摩の言葉が届く方が早かったのだけど。



「あの時何が起きたのか。お前の言葉で聞かせてくれ。

 俺は、それを信じたい」



(……ああ、最悪)

 リオはきつく歯を噛み締めた。

 こんなふうに言われて嬉しくないわけがないのに。

 撫子の本性も自分の正体も何もかも打ち明けて、彼のまっすぐな心に応えられたら、どんないいかと思うのに。

 ――――そんなこと、できるはずもないのだ。



「噂は全部本当のことだよ」


 志摩の目が見開かれていくなか、リオは続けた。


「私が撫子を突き飛ばして怪我させたの。あなた達の剣道部を私のものにしたかったから。失敗しちゃって残念」

「……お前」

「言っとくけど、剣道も別に好きじゃないから」


 撫子からまだあの薬を奪えていない以上、今彼らを撫子の「敵」にするわけにはいかない。

 それに、山口達に志摩の家と自分の家の関係を吹き込んだのはおそらく撫子なのだ。リオに伝わるよう巧妙に仕向けた。つまり、ここで志摩を引き入れたら、彼の家に何か甚大な被害が及ぶ。


「あなたの望む答えじゃなくてごめんね。志摩君」


 ゆっくり失望に染まっていく瞳と向き合うのが嫌で、リオは俯くように目を伏せて笑った。

 ごめんね。

 心で、何度か呟いた。

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