教師の正しい使い方
教室に戻ったリオをまず迎えたのは、水浸しの机だった。くすくす聞こえてくる声に思わずため息が溢れる。すでに授業は始まっているため担当の教師は来ていたが、遅刻して現れたリオに目を向けることはない。
「先生、机が濡れてます」
「……濡れているなら拭きなさい」
なるほどね。つまり、彼はこのイジメを黙認しているわけだ。きっと朱音の時もそうしていたのだろうと分かる。
怖いのはこの学校にいる生徒達――つまり、その親である権力者たちなのだと瞬時に理解した。
(情けない)
朝の五十嵐との一件もあり、リオは憤然とした心持ちを静かに燃やしながら教卓へと進み出た。
「おいクズ!授業の進行とめんなよ」
「遅刻しといて何様??」
「俺たちに迷惑かけんじゃねーよ!」
飛んでくる野次は全て無視し、途中で足元に差し出された足は力一杯踏み潰す。「うぎッ」と聞こえた悲鳴には「あら失礼」と一瞥もくれず返した。なめんな。
「雨が降ったわけでもないのに、私の机だけ、濡れているんですよ、先生」
「……」
「まるでイジメみたいじゃありません?」
怯えの滲んだ顔がはっと上がる。30代前半若い教師だ。
クラスメイトたちは一つ、大きな勘違いをしている。家柄を笠に着てふんぞりかえって生きてきた彼らは知らないのだろう。
ネットワークが発達し同調圧力で人が死ぬこの現代社会の、勧善懲悪が尊ばれるこの日本で。
大人が本当に怖がるのは世間体だということに。
「由緒あるこの学園でこんなことが起きてると世間が知ったら、どう思うでしょうね」
「……!!!」
「先生の名前も、尋ねられたら答えてしまうかもしれません。私」
白々しくそう言ってみせる。
あからさまに、教師の顔が青ざめた。
「……そ、そんな脅し」
「脅しじゃなくて心配です。先生が解雇されたらご家族が困るんじゃないかなって……」
リオは微笑した。
「例えば、先生のご就職を泣いて喜んだお母さんとか。来年結婚する予定のパートナーさんとか?」
今度こそ、教師は絶望に言葉を失った。
よくある例えに聞こえるように言ったが、ご両親ではなく「お母さん」。婚約者でなく「パートナー」なのだ。彼の場合は。彼が片親で、セクシャルマイノリティであることは入学前から調べをつけてある。
彼だけではない。撫子の所属するクラスに関わるすべての人間の情報は、マドリードから羽田に到着するまでの23時間51分の間に全て頭に入れてきた。
情報を制する者が戦いを制する。
(殺し屋なめんなよ)
今や真っ青を通り越して真っ白になっている教師を、リオは無表情で見つめた。
「先生。誰かが間違って水をかけてしまって、その人がきれいにしてくれるなら、私は何も言いませんけど」
「っ、や、山口!平田!今すぐ掃除しなさい!」
情けなくひっくり返った声が教室に響き渡る。
名を上げられた二人は暫く抵抗するように座り続けていたが「今すぐだ!」と教師にせき立てられ、舌打ちをしながら立ち上がった。
リオは自分の席に近づくと、窓枠に腰掛けて二人を見下ろす。はあ、と聞こえよがしにため息も落とした。
「皆の貴重な授業の時間がどんどん減って可哀想。迷惑かけないであげてよね」
とんでもない顔で睨み上げられたが知ったことか。それと、彼は剣道部でもリオに突っかかってきた。きっと撫子のことでも好きなのだろう。
「一昨日ぶつけたところは大丈夫?もし使いものにならなくなっちゃったらほんとにごめんね」
意趣返しにそこまで言ってやると、とうとう山口がブチギレた。
床を拭き回した汚い雑巾で机をビチャビチャに拭くと、立ち上がってリオに言い放つ。
「ほら、綺麗になったぜ!!!これで満足かよ!!!」
「先生。やっぱり気が収まらないので、山口くんの机と交換してください」
「は?」
「山口、交換しなさい」
「は!?!?」
「お前が悪い!!早くしなさい!!」
血走った目で机を入れ替えた山口が、八つ当たりのように椅子を蹴っ飛ばして席に戻っていく。
リオはことんと椅子に座った。
(まあ今日はこんなところで許してやるか。朱音の机は夜にでも綺麗にし直して回収しよう)
「……お前、なんか性格変わった?」
五十嵐がドン引きした顔でこちらを見たので、リオは中指を立てておいた。
性格が変わったんじゃない。
全員敵と思うことにしただけよ。
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