踊り場にて

 クラスメイト達からの視線が集まる中で、撫子は――――突然泣き出した。

 ぽろぽろっと。

 はっとした東が撫子を庇うように前に立つ。


「……リオちゃん。私、わざと言わないようにしたんだよ。リオちゃんがあのあと、起きあがろうとした私を何回も突き飛ばしたこと。なのに、こんな、酷い」


 顔を歪めて涙する撫子に、再び同情の視線が集まり始める。宮城は目が覚めたようにはっとすると、一瞬揺らぎかけた自分が許せないのか、おそろしい形相でリオを睨んで片手を振り上げた。

 リオは冷静に思考する。


(あーあ。ダメだな、こりゃ。全員完全に思考放棄しちゃってるもん。理屈で説明するには、彼らの中の撫子が神格化しすぎてる)


 心に召喚したバレリアに謝りつつ、リオは頬に振り下ろされる手のひらを目を閉じて待った。

 ぱしっと音がする。

 痛みはない。


「……え?なんで……五十嵐、くん」


 うっすらと目を開けると宮城の腕を受け止めていたのは五十嵐だった。


「――わり。お前ら。こいつ借りるわ」


 リオの手をとった五十嵐は、そのまま人垣を割って教室を出た。頭上で予鈴が鳴り響くが、足を止める気はないらしい。

 リオが連れてこられたのは屋上の手前、4階の踊り場だった。


(……まずい)


 ここはカメラの設置外ポイントだ。もし五十嵐が撫子について何か知っていたとして、確定的なことを言われた時の証拠を残すことができない。屋上にはカメラがあるので、そちらに誘導すべくリオは適当な話題を振った。


「そういえばこの学校、屋上に入れるって聞いたけどどこから行けるのかな」

「嘘つくな。お前昨日、屋上いただろ」


 すっとリオの血が冷たくなっていく。

 五十嵐を見ると、彼は表情の読めない顔でリオを見つめていた。


「……なんで」

「撫子の病院に付き添ったあと、学校来たんだよ。俺。あんたに一言言いたくてな。そしたら偶然屋上に向かってく姿見かけて、追いかけてきたら聞こえた」

「……何が」

「――――朱音って、言ったよな。


お前、もしかして、あいつが言ってたペンフレンド?」


 二人の間に沈黙が広がる。

 リオは、心底絶望していた。

 アルバや他の面々にもさんざん言われてきたが、どうやらリオは、殺気の絡まない人間の気配にはとことん疎いらしい。こればっかりはそういう世界に身を置く時間の長さがものを言うのだろうか。

 とにかく、一番ばれたくない相手に、朱音と関係を知られてしまった。


「……朱音は、私の友達」


 ここでしらばっくれるのは逆効果だろう。

 朱音が彼に自分のことをどこまで話したのか。それが問題だ。


「……ふーん。なるほどな」


 五十嵐の返答を待っていたリオは、彼の瞳の中に嘲りの感情か浮かんでいくのを見て、ほっとした。「怯え」ではなかったのだ。つまり、朱音はリオの家業については何も話していない。


(つくづく、信頼できる親友だな)



「なーんかおかしいと思ってたんだよ。初対面の時といい、俺に対する態度普通じゃなかったもんな。じゃあ何、リオちゃん、あいつの復讐でもしにわざわざ転校してきたわけ?」

「……」

「ふっ。まじかよ、すっげー行動力」


 けらけら笑う五十嵐に、リオの中の殺意が積もっていく。

 目に浮かんだ涙を拭い、階段にどかっと腰を下ろした五十嵐。次第にその目は、リオを品定めするようなものへと変わっていく。


「ふうん。じゃあ、俺が皆に二人の関係話したら、けっこーまずいことになるんじゃねーの?」

「……」

「ハハ、まあ別にするつもりねーけどさ。だからそんな怖い顔すんなって」

「……何か望みでもあるの」

「別にないって。ああ、でもさ」

 五十嵐が綺麗な顔で怪しく笑う。


「俺の彼女にしてあげてもいーぜ」


 リオはゆっくりと、奥歯を噛み締めた。


「俺と付き合っとけば今みたいな表面的なイジメはとりあえず回避できるだろ。生徒会の看板ってこういうとき便利だよな」

「……」

「そんで復讐とかはもうやめとこうぜ?流行らねーし。実際あいつにそんな価値ないから。だってあいつが撫子にしてきた散々なこと聞いたら多分引くからな?俺も長年のダチだからすっかり騙されてたんだけどさ、明るみに出てからはもうドン引きで」

「飛び降りたの」

「――――は?」

「朱音、そこの屋上から。一人で飛び降りたの」


 まっすぐと扉の向こうを指すと、五十嵐の顔がゆっくりと青ざめていく。

「じゃああいつ、……」その先はためらうように口を閉ざしたが、暫くして口を開いた彼は、罪を押し流すようにふてぶてしく開き直っていた。


「それで俺が罪悪感とか抱くと思ってんの?全部あいつが蒔いた種だろ。そんなの自業自得じゃん」


 ……ああ、もうだめだ。

 リオはゆっくりと身体から力を抜いた。

 彼に少しでも期待をかけた自分が馬鹿だった。


「だからさぁ」

 と五十嵐はすでに話を戻している。

「撫子にも謝りに行こうぜ。あいつ、優しいから、話せば絶対許してくれるし。俺が一緒に行ってやるからさ」

「……よかった」

 その言葉を聞いて、ほっと微笑んだ五十嵐。リオも微笑んで続ける。


「あなたみたいなクズのものに、朱音がならなくてよかった」

「は?」

 次の瞬間、リオの握りしめた拳が五十嵐の頬をとらえた。

「ほぐっ!え……?は……?」

「はっきり言わせてもらうけど」

 頬を抑えながらぽかんとする五十嵐に向け、リオは躊躇いなく続けた。


「私、あなたが嫌い。恋人になんか死んでもならない。どれだけ綺麗な顔をしてても、心が腐ってる人からはドブの匂いがするもの」

「……ド、ドブ」

 五十嵐がショックを受けた顔でふらふらと後ずさった。


「朱音とのことも、言いたければ言ったらいいでしょ。その時はあなたのこと男の風上にも置けない卑怯者だって思うけどね」

「てめ」

「それから、付き合ってあげる、一緒に行ってあげるって、一体何様?」


 わなわな震える五十嵐を、リオは華麗に鼻で笑った。


「本物のいい男なら、あなたと恋できるなら死んでもいい――、って、それくらい言わせたら?」


 言い切ったリオに、五十嵐は真っ赤になってひくひく頬を引き攣らせた。


「何なんだよ!!」


そう吐き捨てる。


「あの馬鹿女に騙されてて可哀想だから助けてやろうと思ったのに、お前がそのつもりなら、もう知らねえ!今後誰にどんだけ甚振いたぶられても俺はもう二度と助けないからな!」

「頼んでないし」

「チッ……!ほんとかわいくねー女!!」


 ずかずかと歩き去ろうとした五十嵐が、思い出したように急ブレーキをかける。

 振り返った顔は、赤いながらも真剣そのものだった。


「……それと、撫子傷つけんのだけはマジでもうやめろよな!昨日は、それを言いたくて探してた」

「……」

「あいつはそこらへんの女とは違う。人を見かけで判断しない。絶対守らなきゃいけない大切なダチだ……。だから、次撫子になんかしたら、俺もお前を許さない」


 どうやら五十嵐もまた、心の底から撫子を信頼しきっているらしい。撫子に影で下僕呼ばわりされていることを知ったらどうなってしまうのだろうか。


(まあ、関係ないけど)


 立ち去る五十嵐の足音を遠くに聞きながら、リオは、小さく唇を突き出した。

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