ちゃんと触って?
「嘘でしょ、あいつまた学校きたの?」
「ありえない。どういう神経してんのよ」
リオはテーブルの上に一限目の教科書を出しながら、耳障りなこそこそ話には耳を傾けないようにした。有象無象にかかずらっている時間はない。
実は昨日、学校での一連の出来事を知ったアドルフォがイライラとキレ散らかして大変だったのだ。
「リオ。お前バカだな、復讐のやり方も知らねェのかよ。まず全員廊下に並べるだろ。そんで右のやつから順番に」
「だから、朱音が戻って来れる場所にしておきたいんだって言ってるじゃん!ってかそのやり方でできるのは復讐じゃなくて軍隊でしょ」
「生まれたことを後悔はさせられる」
「撫子の本性暴露したら全員精神的に大打撃受けるんだから、それでいいの」
「ぬるすぎだろ!肉体的にも殺せよ!」
「肉体的に殺したら死んじゃうんだよ……」
俺が代理で行ってやる、とアサルトライフルを担いで学校に乗り込もうとする彼を止めるのには、それなりに苦労した。
だから今日はなるべく穏便に過ごす予定なのだ。なるべく、穏便に。
「あっ、撫子さん」
教室が再びざわめく。
そちらに顔を向けると、顔に大きなガーゼを貼り、指先や太ももなど、人目に触れるところにわかりやすく包帯を巻いた撫子の姿があった。
撫子を守るように一緒に登校してきたのは東と五十嵐。
側から見たら完全に「姫」の扱いだが、彼らのファンたちはどうして撫子には嫉妬の炎をぶつけないのだろうか。甚だ疑問だ。
「撫子、座れるか?」
五十嵐が甲斐甲斐しく尋ねる。
撫子は申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんね。ミナト君。昨日も病院付き合ってもらっちゃって」
「つまんねーこと気にすんなよ。つーか……一番に連絡きて、俺も嬉しかったし」
鼻先をかいて目を逸らす五十嵐。
ふふ、と微笑む撫子に、面白くなさそうな顔を向けるのは東だ。
「藤野さん、うちの病院に来てくれたらよかったのに」
「え。東君のとこって、お父さんが働かれてるの大学病院じゃない」
「兄がやってる私院もある。だからもし傷の治りが遅かったら、今度はうちに来て。ちゃんと綺麗に治すから」
「大丈夫だよ!何針か縫ったけど、いつか傷跡も消えるって」
何でもないような顔で笑う撫子。
彼女の周囲できた人だかりから、昨日よりもいっそう強い侮蔑と嫌悪の視線が突き刺さる。
「……ねえ、聞いたよ、それあいつにやられたんでしょ。最低じゃん」
「ガラスの破片が散らばってるところに突き飛ばされたって……」
「マジで信じらんない!」
「大丈夫、撫子……?」
「うん、大丈夫だよ!それにあれは事故だったの!リオちゃんは悪くないから」
悪くないならあからさまに名前を出さないでほしいものだ。
その包帯やガーゼの下に傷一つないことは分かりきってるし、撫子が行った病院の医師が藤野組の息のかかった人間であることにも調べはついている。
そもそも、帝明学園の窓は全て強化ガラスを使用されているので、割れても生徒が怪我をしにくい仕様になっているのだ。
そんな、うっすら包帯に血が滲むほどの傷になどなるもんか。
「ねえ。撫子来たけど?」
リオの机の横にやってきたのは宮城だった。あのプレゼントの一件からすっかり撫子派の筆頭になったらしい。
「謝りに行くのが筋じゃないの?」
「……いや、行かないけど」
見上げてはっきり告げると、宮城の顔が信じられないと歪んだ。
「撫子にあんな傷負わせといて、あんた悪いと思わないわけ!?」
「うん。私別に何もしてないし」
「この後に及んで……!」
「宮城さん。いいよ」
自分の鞄に机を置いた撫子が、おずおずとこちらに近付いてくる。勇気を出して話しかけているのが一目でわかるような、細やかな演出も忘れずに。
「……おはよ、リオちゃん」
震える声で言いながら、顔には微かな笑みを浮かべる撫子。
「……あのね。一昨日、実は王凱先輩にうちまで送ってもらったんだ。先輩おんぶしてくれたんだけど、重くなかったかちょっと心配で」
「……」
「えっと……それでね、私。あの日は色々誤解があったかもしれないんだけど、やっぱり、リオちゃんと仲直り、したくて」
「撫子……」 と彼女の優しさに心打たれているクラスメイトたち。
全員馬鹿なのだろうか。
「こんな奴に歩み寄る必要ないよ。藤野さん」
「東君……」
「僕はこいつが帝明学園に在籍していること自体我慢ならないんだ。会長にも退学を勧めてるが、やっぱり強行は難しいらしい」
「退学……!?だめだよ、そんなの……!」
「いいや、こいつがやったことは、十分それに値する」
東の言葉にクラスメイトたちもそうだそうだと同調する。撫子も止める素振りは見せているものの、こちらにやる視線には隠し切れない優越感が浮かんでいた。
「……」
そろそろ面白くないのはリオだ。
脳裏に蘇る、いつかバレリアとした会話。
あれはまだ、リオがアルバに片思いしていた時の話。
「――いい?リオ。気になる彼の視線を奪いたい時は、小物を使いなさい」
「こもの」
「そ。例えばあそこに猫がいるでしょ?彼が見てる時にあの猫と戯れるの。それも、とびっきりの笑顔でね」
「それ何の意味があるの?」
「バカ!可愛いと可愛いが融合したら、ウルトラ可愛いに決まってるじゃない!その相乗効果を狙うのよ」
ええ〜、とリオは唇を突き出した。
「でもアルバが――じゃなくて!!私の好きな人がね!あのそのあの……その彼が、猫をかわいいと思ってるか分からない場合は、どうしたらいいんだろう」
「……(ああああんもう!リオったらすごい真っ赤!かわいい!かわいいわリオ!あなたがアルバに恋してることなんか皆知ってるのに……!!)」
「バレリア?」
「ごほん、そういう時は、そうね……」
結局あの日のバレリアのアドバイスは、アルバを意識しすぎたリオの演技が大根すぎたために凄惨な結果に終わったが、今ならばやれる。
なぜなら今この場にはリオの敵しかいないのだから。
「そんなに言うなら、現場検証してみましょうか」
立ち上がったリオは、隣の席の机を引っ張って自分の机とくっつけた。その上に腰を下ろす。
何を始める気だと、すでにクラスのほとんどの目はこちらに向いている。
「人は正面から衝撃を受けた時、必ず反射的に、腕や肘で受け身を取ろうとするでしょう。こんなふうに、身体を捻って………宮城さん、ちょっといい?」
「は?何よ」
思いっきり嫌な顔をする宮城。
リオはにっこりと微笑んだ。
「私と床の接地面がどこか、直接触って確かめてほしいの」
「触っ、……!?」
ぼっと宮城の顔が反射的に染まった。
手が汚れるから触りたくない、と悪意を込めて突っぱねられた時のことも考えていたが、彼女の人間性的に元来そこまで悪人ではないのだろう。
そんなことよりも、リオの「触って」発言に分かりやすく動揺している。リオは畳み掛けるように続けた。
「だって、実際に触ってみないと分からないでしょ?私が嘘をつくかもしれないし」
「……」
「やってくれたら撫子への謝罪も考えるから」
言葉の真意を探るように黙り込む宮城の腕を、リオはそっと引き寄せた。ふわりと花のような香り。
「ねえ」
心の中に当時のバレリアを召喚する。
まだ彼女と敵だった頃。
ワインレッドを基調としたエレガントなホテルの一室で、リオを捕らえたバレリアは言ったのだ。とびきり甘く、艶めいた声で。
「――ちゃんと触って?」
**
まるで毒でも吹き込まれたかのように、自分の腕がリオの身体に伸びるのを、宮城は信じられない思いで見つめていた。
初めに触ったのは、一番当たり障りない、リオが机についた右手。
「…………右、の……」
「うん。手のひらね」
顔を上げると予想外に優しげな微笑みとぶつかった。ちゃんとできてえらいね、という声まで聞こえてきそうで、宮城は慌てて頭を振る。どうしよう、顔も耳も全部熱い。何で。
「次は?」
促されるまま、手を伸ばす。
「左手……右腕と、右肘、と」
どうしても反対側の腕に触れる時はリオに覆い被さるようになってしまう。
別に女同士だし。やましいことはしてないし。
そう心で念じ続けているのに、黒真珠のように綺麗な彼女の瞳と視線がぶつかるたびに、宮城は爆発しそうなほど恥ずかしくなるのだ。
(もう、なんなのよこれ……!!こんなの今すぐ終わらせて、さっさとこいつに撫子に謝罪させるんだから!)
そう決意したのに、いざリオに触れようとするとどこに触れても危険な香りがして、妙にかしこまってしまう。なぜか、背中がぴりぴり痺れる。
(……ほんと、悔しいくらい、綺麗)
制服越しにもわかる。
ほどよく筋肉がついて、それでいて女性らしい曲線を描く美しい身体。骨のつくりから違うのだと思わせる長い手足に、細い腰。
誰かがごくりと生唾をのんだ音がした。
それがなぜか不快で、宮城はつい、リオの身体がなるべくクラスメイトの視界に映らないように自分の立ち位置を変えた。
「あとは……右の腰と……右の…………」
「だめ。ちゃんと触って」
リオを睨みつけつつ、宮城の指は、とうとうスカートの裾に触れた。その指先がリオの肌、太ももの裏あたりを掠める。
ばくばく心臓がうるさい。鼻血でも出たのだろうか、男子が数人ばたばた教室を出て行った。
「あ、とは」
宮城はわけがわからないほど赤くなりながら、ほとんど泣きたいような気持ちで、震え声を発した。
「右の、太もも……と……」
もうこれ以上勘弁して。そう白旗を振りかけた時だ。
リオの声から、誘い込むような熱が完全に消えた。
「……うん。ふつうは、そういう結果になるんだよね」
さーっと何か冷たいものが頭の中に流れ込んできて、宮城はふらふらリオから離れた。
「……」
額にペったり貼りついた髪が気持ち悪い。体の表面は熱いのに、高熱の時のように寒気がする。でも、これ、何だろう。胸がざわめく。ひどい、違和感がある。
宮城の視線は、リオからゆっくと、野次馬の奥にいた撫子に移る。
無意識に、尋ねた声は静まり返った教室に響いた。
「撫子……さん……その傷――
どうして、位置がばらばらなの?」
撫子の顔が青ざめた。
左の太もも前、裏、右足の脛、左腕、右手、顔……。
例えばガラスの破片の上で転がり回らなければ、決してそうはならないのだ。
リオの声がする。
「ねえ撫子。その怪我、ちょっと見せてくれない?」
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