安寧

「ただいまぁ」


 ルームキーを解除して室内に入ると、ふかふかの床が出迎えてくれる。ソファにもたれてテレビを見ていたアドルフォが肩越しにこちらを振り返った。


「おー、リオ。今日は災難だったな」

 すでに色々と筒抜けらしい。

 リオはため息をつきながら室内を見回す。

「ファロは?」「女んとこ」

 らしい。


 ピルピルと携帯が音を立て、液晶を見たリオは一気に舞い上がった。

「アド!しばらく部屋入ってこないでね!」

「首領か?」

「そう!後味最悪なグミ食べちゃったみたいな日だったけど、アルバのおかげでいい日になりそう!」

 言うや否やぱたんと寝室の扉を閉めたリオ。

 物言いたげなアドルフォの様子に彼女が気付くことはない。


(アルバも監視カメラの映像全部見てんぞ……ってすっかり言い損ねたな)






『十五文字で説明しろ』

「まんまとおとしいれられました……」

『間抜けが』


 簡潔に言おう。怒られている。


「ごめんなさい。ちょっとだけナメてました。まさか自らガラスの破片が散らばってるところに倒れ込むとは思わなかったんです……」

『おかげでテメェ暴行犯扱いだろ。ざまあねえな』


 アルバは既にベルリンに戻ったらしい。

 まさか怒られるとも知らずに「テレビ電話しよう!」などと嬉々として誘ったリオは、画面に映ったアルバの顔が機嫌最悪どころか氷点下に突入しているのを見て、潔く最悪の状況を悟った。


『せめて言い訳の一つでもしろ』

「無理だよ……あそこにいたの全員ただの高校生だよ?血まみれのマドンナと、ぽっと出の新参者、どっちが信用に値するかなんて考えるまでもないじゃんか」


 騒ぎを聞きつけてやってきた王凱たちは状況を見て唖然とした。

 リオが何か口を開くよりも早く、彼らの首領である王凱に縋り付いた撫子はさすがだった。


「先輩助けて……!リオちゃん、剣道部はもう私のものだからお前は出てけって……!でも私、自分に任された仕事はちゃんとしたくて……。そうやって断ったらすごい剣幕で怒鳴られて、ガラスに……っ!」


 そこまでべらべら話していた撫子は、ハッとしたように口を覆う。


「あ、あ、私、稽古の邪魔しちゃってごめんなさい。大丈夫です、自分で保健室に――きゃ!お、王凱、先輩?」

「掴まってろ。藤野」


 撫子を抱え上げる王凱の、あの失望こもった眼差しときたら。


「……ミゲル。処分は追って伝える」





「ジルに調べてもらったんだけど、部室に残ってた血痕は全部血糊ちのりだったって。用意周到すぎて逆にソンケーしちゃうよね」


『そのガキ殺してさっさと帰ってこい』


 野営でもしているのだろうか。アルバの額を照らすオレンジ色の灯が揺れている。伏せられた視線の先でナイフか何か磨いているらしい。反射した光が時々彼の鼻先を掠めるのを、リオはぼんやりと見つめていた。

 そういえば、向こうの状況はどうなんだろう?

 劣勢は覆ったのかな。

 絶対アルバたちの任務の方が危険なのに、ただの小娘にまんまと出し抜かれちゃって恥ずかしいな。

 それにしても、火に照らされるアルバも素敵だな。

 まずい、もう会いたい。


「すき」


 なんてことを考えていると、ついつい口にまで出てしまっていたようだ。


『……』


 ちろりと、赤い瞳が持ち上がる。

 まるで同じ場所にいるような気持ちになりながら、リオはどきどきもう一度想いを口にした。

「好き、アルバ」

『…………てめえな』

 呆れた声と一緒に、じろりと睨みつけられる。


『他のガキに目移りしてたくせに、よく言いやがる』


 目移り?え?一体いつ?誰が?

 と真剣に首を傾げていたリオは、暫くして「あっ!」と声を上げた。防具の身につけ方を志摩に教わっていた時、思いの外顔が近くにあって驚いたのだ。あの時はたしかに赤くなってしまった自覚がある。

 リオはバツが悪くなって目を逸らした。


「だって、しかたないじゃん……アルバ以外の男の子とあんなに近付いたことないんだもん……」

『ならとっとと耐性をつけろ。あんなザマじゃ他の野郎に』

「……他の野郎に?」


 え、まさかアルバ、嫉妬してくれてる……?

 緊張半分、期待半分でじっと言葉の続きを待つ。

 リオの期待を全身に感じているであろうアルバは、やがて微かに口角を上げて馬鹿にした笑みを浮かべた。

 

『サカってると思われるぞ』

「さかっ……!」

 かあっと熟れた林檎のように赤くなったリオは、思わず携帯を枕に投げつける。

「そ、そんなわけないじゃん!!アルバのバカ!!」

 枕の下に埋まった携帯から「そういうところだ」とアルバのくぐもった声が聞こえてきた。

 リオは不服である。



「……そんなこと言うなら、アルバが慣れさせてくれたらいいのに」



 小さな声で呟いた。

 そうなのだ。

 アルバは、リオにキス以外のことはまだ何もしていない。


(私だってもう、十分大人なのに)



 一緒に眠る時、その腕に抱き寄せられる時、リオはアルバの逞しい腕や、硬くてきれいな鎖骨や、ごつごつした喉から目が離せなくなるのに。


 ナイフも銃も握り慣れた彼の右手が、リオの頬を撫でる時はひどく慎重になると気付いてからは、もう触れられるたびにリオの心臓はこぼれ落ちてしまいそうな跳ね回っているというのに。

 アルバはといえば、がっちりリオを抱き抱えたらいつもすぐにすうすう寝入ってしまう。


 一回意を決してをしてみたが、眉間に深い皺を刻んだアルバに「ガキは寝ろ」と一蹴されて終わった。あれは未だにトラウマだ。

 しかしリオだってもう17になる。

 そうは言っても、そろそろ手を出されていい頃だ。


「ごほん。あのね、アルバ」


 リオは咳払いをひとつ。居住まいを正して携帯に向き直った。

 もちろん画面は伏せてある。

 こんなこと正面切って言えるもんか。


「私バレリアに色々聞いたの。その、……ゴニョ、の時、どうしたら痛くないかとか、そういうのをね。だからあんまり遠慮しなくていいというか、そろそろ私も次のステップに進みたいというか。それで……………ねえ聞いてる?アルバ」


 携帯をひっくり返すと、画面に映った見慣れた赤毛。

 こちらに自分の携帯を向けて明らかに動画を回している。


「………………ノーチェ」

『あー。いいから続けて続けて。首領今夜襲やしゅう受けてブチギレて出てったとこだから、後でこれ見せとくから大丈夫』

「〜〜っ」

『そんで何だっけ?早く私とセッ』「ばぁかああああ!!!!!!!!」


 指がめり込むほど通話終了ボタンを押して、リオはそのまま布団の中に飛び込んだ。新品パリパリのシーツがあっという間に皺だらけになっていくが、知ったことか。これはひどい。


(ありえない!アルバのバカ!!私がこんなに一生懸命頑張ってるのに!!)


 ボフボフと枕を殴っているうちに、リオはだんだん不安になってくる。

 Deseoには美しさの象徴のようなバレリアがいる。普段は被り物で隠しているが、信じられない天使のような顔立ちのススピロだっている。


(……もしかして、私ってやっぱり、そういう魅力ないのかな)


 重い気持ちで項垂れていると、再び携帯が鳴った。

 もう今度は浮かれてなんかやらない。

「……何?ノーチェ」

 仏頂面で通話ボタンをタップしたリオは、耳元で聞こえた『勘違いするな』という低い声に思わずどきっと背筋を正した。

 アルバだ。

 ドォンッ、ドォンと、すぐ近くで聞こえた二発の銃声は彼が放ったものだろう。

 ややして、アルバの声がまた聞こえてきた。


『俺が配慮してやってるのは、お前にじゃなく、お前の国の法に対してだ』

「……えぇ」

『そういうのを気にするうるせえのが身内にいるだろうが』


 ああ、おじいちゃんのことか。リオはあっさり納得した。たしかに祖父はリオがアルバとこの歳でそういう関係になるのは許さないだろう。そういうところは意外ときっちりしているから。

『……あと1年』

 小さく唸るような声がする。



『あと1年黙って待てたら、余すことなくくれてやる』



 ぶつっと電話が切られ、リオはそのまま再び枕に突っ伏した。頭の先まで登った熱を冷ますにはまだまだ時間がかかりそうだ。


(……あと一年)

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