危険なドラッグと一人芝居

「リオちゃん。世の中にはね、知らなければ知らないまま、平和に安全に生きていける世界があるの……って、こんなこと急に言われてもよく分からないよね」

「……何の話?撫子」

「あ!その撫子っていうのももうやめてね。馴れ馴れしくてうざったくて、つい殺したくなっちゃうから。……できないと思う?ふふ。本当に馬鹿だね、リオ=サン・ミゲル。知らない間に、あなたはもう地獄の淵に立ってるのに」

「……」


 ソウナンダ。

 である。


(まさかこんなに簡単に尻尾を出してくれるなんて)


 リオは部室の片隅に置いてある超小型カメラに向けて小さくウインクを飛ばした。

 チカッ、チカッと微かな明かりが二度点灯する。ジルからリオに向けて「撮れてますよ」の合図である。


「この人ね。日本で一番恐れられている藤野組の組長、藤野あざみ。私のパパなの」


 撫子が差し出した携帯の画面に写る人物に、リオはげんなりとした気持ちになった。

 たっぷりと肥え、顎との境界がなくなった首。肉がつきすぎて細くなった目。左右に美人を引き連れて歩く姿が、低い身長もあいまってなんとも不格好だ。

 ジルが用意した資料に目を通していたファロが「これって、人によく似た豚か何かか?」と戸惑うように尋ねてきたことを思い出した。


「わかる。すごく醜いでしょう?」


 撫子の言葉に驚いて顔を上げる。

 少女は、頬に微笑を浮かべてリオを見ていた。


「でも私はね、そこが好きなの。こんなに醜くても金と実力と残虐さががあればどこまでものし上がれるんだって安心するから。まあ、あの容姿の何か一つでも私に受け継がれてたらとっくに死んでるけどね。ママが美人でよかった〜」

「……あなたのお母さん、亡くなったって聞いたけど」


 撫子が学園で、儚い一輪の花のごとく扱われているのは、その出自に寂しげな影が垣間見えるせいだとリオは思っている。


「うん、死んだよ?っていうか殺したの」


 そしてもちろん、その恩恵を彼女は望んで受けている。


「だってあの人がいると、パパの愛情全部持ってかれちゃうんだもん。だから浮気相手といる写真撮ってこっそり教えてあげたの。そしたらパパ号泣して怒り狂ってさ。浮気相手もろとも肉塊にして、東京湾に沈めちゃった」

 

「……」

 からから笑う撫子を前に、リオは手の甲をゆっくり撫でた。

 心底嫌悪する相手と対峙する時、なぜかいつもこのあたりがチリチリとひりつく。

 リオは自分が少しばかり、撫子をみくびっていたかも知れないと感じた。


「外道」

 言い放つと、肩をすくめられる。

「それ、たまに言われるけどよくわかんないな。

 だって私が歩いた道以外に、道なんかないでしょう?」


 パイプ椅子を引いて腰掛けた撫子が、愛らしく首をかしげる。手入れのされた黒髪がさらりと肩に落ちた。


「それでね、本題。リオちゃん、私が今、何に怒ってるか分かるかな」

「……」

「分からないなら教えてあげる」


 左手のひらをリオに向けた撫子が、名前をあげながら指折り数え始める。


「廻神彗、五十嵐ミナト、東清四郎、王凱仁、志摩圭介、瀬川千紘……。あなたが昨日今日と関わった男の子たちだけどね――。全員、わたしのものなの」

「……どういう意味?」

「つまり、これからゆっくり時間をかけて、奴隷にしてく子たちってことよ」


 撫子がおもむろに懐から小瓶を取り出した。

 ざらざらと中身の錠剤が揺れている。


「何かわかる?」

「……薬」

「うん。でも普通のクスリじゃないのよ。うちの開発チームが作った試作品」

 撫子の笑みが深まる。

「通称『HOPE』。エクスタシー系のドラッグなんだけど、これを飲むと人は欲望と執着心に歯止めが効かなくなる。それこそ普段の何十倍も、何百倍も……」

 リオは青ざめた。

「まさか、それを彼らに」

「ゆくゆくはね。でも今はまだだめ」


 撫子はHOPEの瓶をまた胸ポケットにしまった。


「まずは、彼らの最愛を手に入れなきゃ。私が絶対的で、唯一無二。心の底から、誰を殺しても、私が欲しい。私を手に入れたい――そう思わせた後で、じっくりと、甘いお菓子をあげるの。ご褒美だもん。口移しでもいいわよね」

「バカじゃないの」


 うっとりと語る撫子に、もはやリオは嫌悪以外の感情を抱いてはいなかった。


「ドラッグを身体に入れたらもう元には戻れないって、誰でも知ってる。彼らの将来は地獄になるわ」

「それが何か問題?私が一生飼ってあげるんだからいいでしょ?」

「……」


 依頼を受けた時から、リオが藤野組を嫌厭している最たる理由は、これだ。

 彼らの悪事は「同じ業界」に留まらない。

 藤野組が名を上げ始めたのもまた、身寄りのない子供を攫い、悪質なカルト集団や特殊な性癖嗜好を持つ金持ちに売りつけはじめたことがきっかけだとリオは聞いている。

 今はリオの祖父、宗次郎率いる小日向組がその界隈を取り締まっているためそういった事件はかなり減ったらしいが、組の血は色濃くに引き継がれてしまったたしい。



 本当は今すぐ彼女を取り押さえてしまいたいところだが、これではまだ撫子が学園で薬を売り歩いているという証拠にはならない。

 もっと決定的な場面が必要だ。

(……やっぱり、これしかないか)


 黙考していたリオは、やがてふっと口角を緩めた。

「何かおかしい?」

 撫子の瞳に剣呑な色が浮かぶ。

「……ふふ。ごめんなさい。ちょっと思い出しちゃって」


 リオは口元に手を添えて微笑む。


「あなたがヤクザの娘だなんて、やっぱり信じられない。私のことからかってるんでしょう?あー、びっくりした」

「……は?」

「だって奴隷だなんだ言ってるけど、昨日の放課後も今日もあなた部屋の隅で空気みたいにしてたじゃない」


 撫子の顔からぶつんと表情が消えた。

 かわりに、リオの顔には嘲笑が浮び、わざとらしく首を傾げる。


「ええと、たしかあなたみたいな人のこと、なんて言うんだったかな……支配者とは真逆の……こないだ漫画で見たのよね、たしか、ええと……」

「……」

「そうだ、思い出した!


 ―――モブ」


 途端、全身燃えるような怒りに包まれる撫子。目は血走り、髪の毛すら逆立って見える。その荒々しい殺気を一身に受けながら、リオは一人涼しい顔でいる。

(これでいい)

 全てこちらに向けさせればいいのだ。怒りも、嫉妬も、全ての負の感情を。

 そうすれば、周りの取り巻きに色目を使っている暇も少しは無くなるだろう。別の劇薬をリオに使用する可能性もある。それならばそれでいい。

 

 リオは、仮にもに名の通った小日向組の、色濃い血を引く組長の孫娘なのだから。


(藤野組は一瞬で塵にされる)


「リオ=サン・ミゲル……!!あなた、本当に馬鹿なのね。今日は忠告だけで留めておいてあげようと思ったのに、私にそんな口を聞くなんて――!ただの一般人が裏社会の人間に楯突いて、無事に生きていけると思わないで!」

「ねえ。そのごっこ遊び、まだ付き合わないとダメ?」

「ッ……私はあなたの家族構成も何もかも知ってる!!!両親が無事じゃ済まないから!!」


 だから、そもそもその情報がフェイクである。

 リオの本当の家族はスペインにいるし、彼らに危害を加えたいなら軍隊でも動かしたほうが早い。

(まあ、このあたりで一つ怯えて見せるか)

 リオはわざと額に汗を浮かべた。


「……それは脅し?最悪、警察に言うわよ」

「バカね、ほんと!」

 ようやく望む反応が得られたからか、撫子がにんまりと嬉しげな笑みを浮かべる。


「ヤクザと警察が蜜月だって、あなたそんなことも知らないの?ためしに警察に駆け込んで、藤野薊の名前でも出してみれば?一瞬で全員青ざめるから」


 彼らがもっと青ざめるのは祖父の名前だろうけど。

 とは、言いたくても言えないので黙っておく。


「言っとくけど、あなたはもうお終いよ。私に楯突いたこと、地獄を見てから後悔したって遅いんだから」

「……どういう意味?」

「わからない?」


 撫子は狂気の滲む笑顔をリオに向けた。


「この学園で一番愛されてるのは、私だってことを思い知ってね」


 言うや否や、撫子はそれを力一杯窓ガラスに叩きつけた。

「えっ!」

 激しい音がして窓ガラスが砕け散る。

 あまりに突拍子もない行動に、流石に驚いて目を見張るリオ。これまで扉の向こうから聞こえていた部員たちのかけ声が止み、足音がいくつかこちらに向かってくるのが聞こえる。


「きゃあああああっ!!」


 ガラスの海に自ら倒れ込む撫子と、背後で開かれる扉の音を聞きながら、リオは呆然と思った。


(まずい。これは、予想してなかったかも)

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