戦場からの贈りもの

「そういうわけで、生徒会も剣道部も、結局体験入部からってことで落ち着いてしまったわけなの」


 ホテルまでの帰路を辿りながら、リオは耳に当てた携帯に向かってため息をこぼした。携帯の液晶には「Noche」の文字が浮かんでいる。


「どう考えても100%生徒会加入に頷くべきだったのに、断りきれなくて」

『……っへー?』

「ノーチェはどう思う?」

『何が、……!ああっ!?クソ、カスの血ィついた殺す!』

「だって私どうせ仕事終わったらここ出ていく身なんだよ?本気でやってる人の中に中途半端に入ったら迷惑だと思わない?やっぱこれ辞すべきだよね」

『(銃声)』

「でも剣道は好きだし、部活っていうのも人生で一回はやってみたい……」

『(ものすごい銃声)』

「あ、でも、朱音は部活入ってなかったみたい。どうせなら同じ部活が良かったな」

『ハッ、マジで馬鹿なぁ、オマエら!弱い奴は何人集まっても雑魚なんだよ!』

『クソ、この餓鬼!』『殺せーっ!』

 どぉん、と何かの爆発する音が聞こえ、リオは思わず電話口から耳を離した。戦車とでもやりあってるのだろうか。


「……生きてる?ノーチェ」

『――げほっ!おぇ、ごほっ』

「よかった生きてた」

『勝手に殺すなっつーの!!』


 粉塵の中を走っているのだろう。びゅうびゅう風を切る音がする。


「忙しいなら出なくてもよかったのに」

『は?まじオマエ生意気。こんくらいヨユーに決まってんだろ』

 そうこう言ってる今も、彼の後ろではものすごい銃声がしている。

 彼は確かアルバと共にベルリンにいるはずだ。あの夜以来アルバからの連絡はないので近況はわからないが、まあ劣勢ということはないだろう。


『そんで、そっちはどーなんだよ』

「どうって?」

『セイシュン?だっけ。オマエがやりたいっていってたやつ、できてんの?』


 リオはハッとした。

 そういえば、朱音の一件はまだファロたちにしか話していない。


「……うん!やっぱ日本の学校はいいよね。穏やかだし平和だし」


 話そうか迷った末、結局やめた。

 どうせノーチェもファロやアドルフォ同様に「やり返さないそいつが悪くね?」などと言うに違いないのだから。


『うげ、何それ。つまんなそー』

「地雷仕掛けてくるやつもいないしさ」

『あれはオマエが導火線に火ついた爆弾投げ渡してきた仕返しだろ』

「加減がないんだよね、ノーチェには」

『……じゃ、今度からちゃんと手加減するから』

「え?」

『だから間違っても、これからそっちで暮らすとか、Deseo抜けるとか、そういうこと言うなよ』


 意地悪で性格の悪い彼らしからぬ不安そうな声に、リオは思わず足を止めた。


『言うなよな』


 念押しするノーチェ。

 リオは、ノーチェもまた電話の向こう側――内戦中のベルリンで、彼女と同じように突っ立っているような気がして、慌てて頷いた。


「言わない!Deseoは私の家だもん」


 ノーチェはリオがDeseoに入る少し前にアルバに拾われた。

 当初、誰よりもリオを家から追い出そうとしていたくせに、いつの間にこんなに大事にしてくれるようになったんだろう。

(何も言わずに出てきたから不安になったのかな)

 くすっと笑って、リオは再び歩き出した。

 東京の街はどこを歩いても賑やかで、まるでマドリードにでも来たようだ。


「ノーチェこそうっかり死なないように気をつけてね!」

 リオが言うと

「生意気」

 と、ようやくいつもの返事が返ってきた。


『――つっても、オマエ次第かも!』

 再び激しく鳴り出した銃声に紛れて、ノーチェの声がどんどん聞き取りにくくなってくる。

「あれ、ねえ、ほんとにそっち大丈夫?なんか押されてない?」

『だから、早く返せよっつー話!』

「返すって何を――」


 視線を上げたのは偶然だった。

 夕暮れの茜に染まる雑踏ざっとうの中に、リオは信じられないものを見た。


「…………え?」


 それっきり声を無くすリオのもとに、彼は迷いなく歩いてくる。

 ロングコートに黒のハイネックというシンプルな出立ちで、行き交う人々の視線を自分一人に釘付けにしながら。

 アルバは、リオの前に立った。



『ハッピーバースデー、リオ!優しい優しいノーチェ様からプレゼントだぜ』

 悪戯を成功させたような笑い声が電話から聞こえてくる。



 未だに事態が飲み込めず呆然としているリオの手から携帯を抜き去った彼が、何言かノーチェと会話を交わす。

 漏れ聞こえてくる単語が「劣勢」「ちょっとやべーかも」「ヒューゴ泣いてる」だったのに対し「耐えろ」の一言だけ言い放って電話を切った首領はやっぱり酷い。

 差し出された携帯を受け取りながら、リオは魂が抜けたように尋ねた。


「アル、バ……?」

「ああ」

「……ほんもの?」


 そっと右腕に触れてみる。――さわれた。

 黒髪の隙間からこちらを見下ろす目も。探れば、中身の入っていない左袖も。

 コートの内側に忍ばせている銃の位置さえいつも通り。


「嘘だ!」

「しつけぇ」

 不機嫌そうな声までそのままである。

「だって。信じられない」

 リオは震える声で言った。


「………9000キロだよ?」

「ああ」

「………………ほんとに、誕生日だから、きたの?」


 アルバからの返事を聞くより先に、リオの目には涙が溜まりつつある。

 自分の誕生日を忘れていたわけじゃない。でも、さすがに今回は祝われなくても仕方ないと思ってた。

 

 朝焼けを閉じ込めたように美しい瞳が、まっすぐリオを見下ろす。

 やがて、それがかすかにほころんだ。氷塊が溶けるように。ゆるりと。


自惚うぬぼれてろ」


 強い力に腕を引かれて歩きながら、リオはひたすら、これが夢ではないことを祈るのだった。





***



「藤野さん、待って!」

「来ないで!」


 人気のない放課後の廊下で、東は足を止めた。

 こちらに背を向けて微かに震える撫子に、一体どう詫びればいいのか分からない。


「ごめん。僕が勘違いしたせいで、君に期待させるようなことを……」

「ちがうっ、ちがうのっ」

「お願いだから、話を――」


 撫子の腕をとった東は、振り返った撫子を見てはっと口を閉ざした。

「……藤野、さん、それ」


 撫子の手の甲に真っ赤な引っ掻き傷が4本。

 慌てたように手を背後に隠した撫子に東は詰め寄った。


「それ、どうしたの」

「何でもないの……ほんとに」

「何でもなくないだろ!――お願いだから、俺に話して」

「……清四郎、くん」


 目に涙を浮かべた撫子が清史郎の胸にすがりつく。


「昨日リオちゃんと握手した時……」

「そんな……!」


 あの、誰もが彼女に見惚れている中で、撫子はこんなに酷い扱いを受けていたのか。東は絶句した。

「お願い、廻神先輩には言わないで!」

 はらはらと涙を流す撫子を痛ましい目で見つめる東。


「私が何かしちゃったのかもしれないし、それに、廻神先輩、リオちゃんを信頼してるみたいだった……。だから、私もリオちゃんを信じたいの」

「……藤野さん」

「お願い、清四郎くん」


 涙に潤んだ瞳にじっと見つめられ、東は、仕方なく頷く。

 しかしその心境は穏やかではない。


「よかった」


 そう微笑む撫子のために、今は何もできない。

 ――でも、と東は思った。


(もしまた次に彼女に何かあったら、俺が、あいつを破滅に追い込んでやる)


 強く握りしめた東の拳を背中に感じながら、薄く笑みを浮かべる撫子。

 その目が奈落よりも暗くよどんでいることに気付くものはいない。


(かわいそうな転入生……。でも、あなたが悪いのよ)

 こんなに屈辱を味わったことはない。もう、容赦してあげない。この復讐が終わるのは、あなたが自ら命を絶った時だけ。

 後悔するのね。

 愚かなリオ=サン・ミゲル。








「えっくし」

「とっとと帰れ」

「恋人に言う台詞かな」


 二人がいるのは東京湾岸のヘリポート。

 黒塗りのヘリは既に離陸準備が整っているようだったが、アルバの部下たちは気を遣ってかこちらには一切近付かない。

 アルバから借りたコートに身を包みながら、リオは彼の肩に頭を預けた。


(もうちょっと、ゆっくりしてけばいいのに)


 贅沢で我儘なことを言っている自覚はあるので口には出さない。

 アルバのコートからは戦場の匂いがする。土と汗と、硝煙と、何かが焼け焦げたような匂い。


 リオは無言で彼の肩口に額をすり付けた。

 湾を横切るクルーズ船の汽笛が、ボーと周囲に響き渡る。


「……来るか」


 問われ、驚いて隣を見上げれば、ばっちりと目があった。

 ――来るか。一緒に。

 アルバはそう聞いているのだ。

 リオは呆気なく頷いてしまいそうになった自分に呆れ、笑いをこぼした。


「……行くって言ったら怒るくせに」

「当然だ。てめえで引き受けた仕事くらいてめえで片付けてこい」

「分かってるもん」

「……ふは、間抜け面」


 アルバは普段あまり笑わないけれど、リオと二人の時はよく笑う。

 くしゃっとしたその笑顔を見るとリオは幸せな気分になる。殺伐とした生活の中で、アルバが少しでも癒される時があるのだと思えるから。


「気をつけて、アルバ」

「てめえがな」


 腰を上げたアルバにコートを返そうとしたら無言で巻き直された。

 リオの前髪を右手でかき上げ、まるでまじないでもこめるように額に唇を落とす。

「……」

 ヘリに向かっていくアルバの背中を見送るうちに、リオは何だかたまらなくなって、地面を蹴って走り出した。


「アルバ!」

 振り返った彼に抱きつき、唇にキスをおくる。


「……大好きよ」

「俺は愛してる」



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る