彼女の宿願

「藤野さん」

 東から声をかけられたのは、五限目の授業が始まる直前のことだ。


「今日の放課後、会長が僕らの教室まで迎えに来られるらしい」

「え?それって」

「新しい生徒会のメンバーが決まったって、今連絡がきた」


 撫子に優しく微笑む東。

(……ああ、勝った)

 撫子は内心で、深い歓喜に打ち震えた。


 思い出すのは一年前。在校生代表挨拶の時のことだ。

 暗いブラウンの髪に、同色の瞳。凛々しく、おそろしいまでに強い光を放つその視線に、一体何人が射抜かれたと感じたことだろうか。

「この学園で俺たちが学ぶのは学問じゃない」

 誰もが一瞬で彼の声に耳を傾けた。

 それは、声の端々にみなぎる自信のせいでもあり、はたまた彼が生まれ持ったカリスマ性のせいでもあると、撫子は思っている。

 廻神は、一言。


「人をひきいる者の資質を磨け」


 それだけ言って壇上を降りた彼の姿が、撫子は忘れられない。

 彼なら相応ふさわしいと思った。

 撫子は言うまでもなく人を従え、人の上に立つ人間だ。だからこそ、彼のような強い男が手に入れば、もう、怖いものは何もない。

 自分の横に立つのは、そう言う男であるべきなのだから。


 それからは廻神の情報を探り、彼の好みを調べ尽くした。

 直接的なアプローチを避けたのは、彼の権力や美貌に惹かれた他の女たちが常に廻神の回りには群がっており、廻神がそれをうとましく思っていることを知っていたからだ。

(馬鹿な女たち。そのまま私の引き立て役になっててね)

 かわりに撫子は、廻神の周囲を懐柔した。五十嵐や東はもちろんのこと、彼が慕う教師へは特別に媚を売り、自分の評価を廻神の耳に入れるよう努力をした。それだけでなく、毎日図書館へ訪れる廻神の目に触れる場所で善人に尽くしたり、机に向かうことも忘れなかった。

 試験は優秀な駒のおかげで特に苦労しない撫子だったが、やってる姿勢を見せることが大切なのだ。


 その努力がようやく身を結んだのが今日だ。

 わざわざ自分を迎えに来る廻神。

 周囲の女子生徒たちからの羨望の眼差しを想像し、撫子は身が震えるようだった。


(そろそろね)


 もう一度化粧直しにでもいってこよう、と席を立った撫子は、教室を出てすぐ巨大な影と正面からぶつかりそうになる。

「きゃっ」

「……すまない。怪我はないか」

「お、王凱おうがい先輩?」

「藤野か。すまない」

「いいえ」


 撫子は慌てて手櫛で髪を整え、ふわりと微笑んで王凱を見上げた。

「先日の試合、お疲れ様でした」

 帝明高校の剣道部は全国常連の強豪校として毎年メディアに取り上げられている。その中でも王凱の実力は桁外れで、彼の入学時には校門前がファンと記者でごった返したという噂だ。

 撫子は当然王凱も自分のしもべにしたいと考えていたが、なんせ学年が違うのでなかなか会う機会がない。剣道部はマネージャーも募集していないので同じ学年の志摩経由で何度か話したことがある程度だった。


「どうして二年の棟に?誰かお探しなら呼んできますよ」

「いや」

 王凱の鋭い視線が既に1箇所に固定されていることに、撫子は気がついた。彼が見つめるのはは、窓際の席でぼんやりと校庭を見つめている、あの忌々しい転入生――。


「もう見つけた」



**


 

 撫子をはじめとするクラスメイトたちの視線を全身に受けながら、それを微塵も気にしない様子で、王凱はリオの前に立つ。


「君だな。昼間うちの志摩と一緒にいた女子生徒は」


 リオは間抜けな顔で王凱を見上げた。

「……誰?」

 クラス中がざわめく。

 この学校で、否、そうでなくとも、王凱の名を知らない人間などこの日本にいるのだろうか。王凱自信その自負があったのか、微かに居心地悪そうに口元を引き締めると「剣道部の王凱だ」と名乗った。


「昼間、志摩に剣の指南を受けていたな」

「……え、ええ、まあ」

「筋が良い。経験があるのか?」


 リオが少し考える素振りを見せ、やがて祖父が師範であるとを告げると、王凱の目が微かに見開かれた。「じゃあ君はやはり……」と何か言いかけたものの、結局は押し黙り、彼は話を切り替えた。真剣な顔で。

「頼みがある」と。


 椅子に座るリオと視線が合うように床に片膝をついた王凱の姿は、まるで彼がリオのそばにひざまずいたようにも見え、クラスはほとんど無言の絶叫に包まれた。


「君に、剣道部の顧問補佐を頼めないだろうか」

「……はい?」


 困惑するリオ以上に、事態が飲み込めなかったのは撫子だ。

 無意識のうちに数歩前進し、二人の姿を目玉がこぼれ落ちそうなほど凝視していた。

(……何で?)

 剣道部はマネージャーを募集していない。

 それは帝明学園の誰もが知っている話だ。けれど、もしそれが覆されると言うのならば、その白羽の矢は撫子に立てられるべきではないか。撫子は剣道部で二番手と謳われている志摩に心から信頼を寄せられているし、王凱とも、日常会話程度なら交わすくらいには親しい。

 なのに、一体どうして、こんなポッと出の女を……。


「冗談はそのへんにしとけ。王凱」


 撫子はハッとして隣を見た。いつからいたのか、そこには廻神の姿がある。

 黄色い悲鳴が女子生徒たちの方から上がり、撫子も顔を緩めた。


「えが、」

「リオ=サン・ミゲル」


 廻神は撫子を一瞥することもなく、まっすぐ王凱と少女の方へ向かっていく。


「昼間は色々悪かったな」

「え……?」

「お前をうちの生徒会に誘いに来た」


 今度こそ、クラスは本物の絶叫で包まれた。五十嵐、東も他のクラスメイト同様に驚愕していたので、彼らも知らされていなかったのだろう。


 撫子は、ただその場に立っていることしかできなかった。

 本来であれば自分がいるはずのその場所に、悠然と居座る少女のことを呆然と見つめ、もはや自分が外野の一人になっていることにも気付かない。


 悪い夢でも見ているようだ。



「身を引け廻神。俺が初めに声をかけた」

「先着順なんてルールはないだろ?だいたい、剣道部にマネージャーがいないのは一意専心いちいせいしん、始めから終わりまで剣と向き合い自立の心を育むためだと思ってたがな」

 鼻先で笑った廻神に、王凱がぴりっとした殺気を滲ませる。


「……その通りだ。だが、今は状況が変わった」

「状況?」

「ほう、生徒会長ともあろうお前がそんなことも知らないのか。呆れたな」


 今度は王凱が鼻で笑う番だった。


「……」


 この殺伐とした空気の中で、リオは微笑みを絶やさないよう心がけながら、頭では全く別のことを考えている。それこそ、超ド級の緊急事態について。


(……やばい)


 リオの手は両手共に机の中に突っ込まれ、その指先は忙しなく動き続けている。中にあるのは分解された愛銃のベレッタ。どうしてこんなことになっているかといえば、ことの始まりは一月前。



「あーあ、なんか暇だねえ、アルバ。何か面白いことない?」

拳銃こいつを分解して組み立て直せ」

「それ何か楽しいの?」

「目隠ししてできたら何でも一つ言うことを聞いてやる」



 回想は以上だ。

 つまり一月前に我らが首領とこんなやりとりをして以降、リオは目下拳銃の組み立てを練習中なのだ。成功した暁には、あの怒りんぼうで短気で気難し屋のアルバと共にディズニー●ンドに行く予定だ。


 しかし、授業が簡単すぎて暇だからといって、授業中に始めることではなかった。

 そう。リオは今猛烈に反省している。


(ぬけ、ぬけない……!)


 トリガーの隙間に小指がはさまってしまい、どうやっても抜けないのだ!

 今腕を引き抜けば、小指にブラブラぶらさがる銃の半身がこんにちはすることになってしまう。

 剣道部主将と生徒会長のやり取りは、依然続く。


「諦めろ王凱。こいつには生徒会で共に帝明学園のいしずえを築いてもらう」

「ふざけるな。彼女は剣道部がもらう」

「……」


 事態は混沌を極めていた。

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