「よろしく、転校生」

 ファロとアドルフォの二人は同じホテルの下の階を押さえたらしい。白と金で統一された豪華なホテルラウンジで待ち合わせ、一緒に朝食を取ることになった。


「ねえファロ。私に男子のオトしかた教えてほしいんだけど」


 スクランブルエッグを口に運びながら尋ねた。これは持論だけれど、いいホテルは朝食のスクランブルエッグが美味しい。ほんのりバターと塩味のきいたここのスクランブルエッグもまた最高だ。

「?」

 なかなか反応がないことを不思議に思って顔を上げれば、アドルフォはジャムを塗りたくったパンを皿に落とし、ファロはコーヒーを持ったまま硬直していた。

「……何?」

「お前、リオ……」

 アドルフォが信じられない目をリオに向けて言う。

「命知らずも大概にしろよ。アルバに殺されるぞ」

「え?」

「リオ」

 今度はファロがコーヒーを置き、真面目な調子で語りかけてくる。

「同年代の男子が珍しいのはわかるが、お前にはとびきり過激で、何か一つでも琴線に触れたら平気で2、3発ぶち込んでくる危険な恋人がいることを忘れるなよ。俺たちだって被害受けるんだからな」

「そうだそうだ!つつしめバカが」

「えっ……!?あー!ちがうちがう!」


 二人が相当検討外れな勘違いをしていることに気づき、慌てて訂正する。


「私、撫子の機嫌をおおいに損ねたいのよ!」


 これはリオが昨日、撫子との初対面を経て「最も有効的だろう」と踏んだ作戦だった。


 藤野撫子は多くの男子達から支持を得ている。

 その中でも、どうやら彼女がお気に入りとしているナイトたちがいるようなのだ。

 リオが撫子の悪事の尻尾を掴むためには、彼女のあのヤマトナデシコたる仮面を外させることが一番手っ取り早い。


「だから撫子の信者たちを私にほの字にさせて彼女の嫉妬をあおごうというわけ。どうかしら」

「いつか言おうと思ってたけど、お前のその化石みたいな語彙ごいのせいで俺たち何回恥かいてると思う?こっちはふつーに話してんのに、あなた昭和の人なの?って。お前のせいだぞ」

「アドうるさい」

「悪いけど、お前に男を落とすのは無理だ。リオ」


 英字新聞を広げながら再びコーヒーを嗜み始めたファロが「経験が乏しすぎるから」と付け足した。これに関して、リオは物申したいところだ。今でこそアルバとは甘い関係を築いているが、彼に思いを告げるためにはそれなりに苦労したのだ。


「確かにな〜」

 気を取り直して食事を再開したアドルフォが、大きな口でパンをひとかじりする。

 ミリタリーバッチつきの白い軍服なんか着れば立派な将校――王族くらいにだって見えるかもしれない上品な顔立ちをしているのに、仕草の節々に荒っぽさが垣間見えるのが彼だ。ほら、向こうでホテルの女性スタッフががっかりしているのが見える。


「お前、ガキの頃からアルバ、アルバってくっついて回ってたし、他のやつに目移りしたことないだろ?」

「ないけど、それが……?」

「女がどうやって男誘惑すんのか知らないだろ」

「ゆっ」

 アドルフォのストレートな表現に、リオはみるみる真っ赤になった。

「し、しってるよそれくらい!」

「おーおー吠えてる吠えてる」

「私だって意外とモテるんだから!」

「へえ、そぉ」

「ほんとよ!OKしたことないし、バレリアと並んだ瞬間空気みたいな扱いされることよくあるけど、街ではナンパだってされたことあるし」

「じゃー試しにファロにやってみれば?」

「え?」

「いいぞ」

 コーヒーカップをかちゃりとソーサーに置いたファロが、ゆるやかに微笑んで首を傾げる。

「さて。リオはどうやって俺をオトしてくれるんだ?」


 すっかりお遊びムードになっている二人を睨みつけていると、いつから側にいたのか――今日もぴっしりスーツを着こなしたジルが「リオ様」と声をかけてきた。

「そろそろお時間です」

 腕時計を見れば既に7時半を過ぎている。

 リオは慌ててオレンジジュースを飲み干し、傍のスクールバックをひったくった。

「もういい!バレリアにきく!」

 ゲラゲラ笑っているアドルフォの隣で、既にPCを開いて仕事モードに入っているファロ。リオは思いっきり膨れた。

 この二人には朱音の一件を話し、これからリオが実行しようとしていることについても伝えていたが、協力してくれる気は一切ないらしい。


「周りがクソならぶん殴って蹴散らせばいいだろ」

「そいつは虎視眈々と敵の弱点を探るべきだったな。かわいそうに」


 ――弱い奴が悪いんだろ。というのが二人の感想だ。

 人の心がないのかと罵りたくなるが、実力主義のDeseoの幹部は大体こんな感じだ。

 頬を膨らましてホテルの出口へ向かい始めたリオの背中に、ファロの声がかかる。

ならえばいいのさ」

「え?」

 画面から目を離さずに、ファロは続けた。


「お前の思うとびきり色気のあるやつの仕草、視線、声に孕ませた熱を思い出してみろ」


 リオはしばらく黙っていたが、ややして先程よりもずっと真っ赤に染まり上がって、逃げるように足早にホテルを出て行ってしまった。


「なんだ?あいつ」

「ふふ……さあ」


 どっかの誰かに迫られた時のことでも思い出したんだろ。



**



 教室に着くころにはリオの頬にたまっていた熱も散り、彼女は昨日同様穏やかな態度で席についた。窓側の中央の席は、休学の申請を出した彼女・・のものだ。

 クラスの誰一人、それを話題にすることはなかった。

 虫唾が走るのはこういう時だ。


 仲が良く、団結力が強そうに見えて、他人などどうでもいい。そういう人間の集まりなのだろう。


 ちなみに、リオがどうしてここまでスムーズに入学を果たせたのかといえば、それは小日向組とこの学園の間にある、遠い昔のささやかな縁のために他ならない――。つまり、この学園の理事長が今回の件の依頼主なのだ。


「おい、そっちの世界のいざこざをカタギの世界に持ち込んでくるな」

「おっしゃる通り。ここはうちがどうにかしよう」


 こいうわけなのである。


「リオちゃん、おはよう」


 席についたリオにまず話しかけてきたのは撫子だった。

 菩薩のような微笑みを浮かべている。リオが何の前情報を持っていなければ、とっくに友人になっていたかもしれない。


「おはよう、撫子」

 しかしリオだって曲がりなりにも暗殺者である。

 人の警戒心をほどくような微笑み方は心得ている。

 呼び捨てで応じれば撫子の頬がひくりと動いた。どうやら馴れ馴れしいのはお嫌いらしい。


「……リオちゃんって、今までスペインに住んでたのよね?日本語上手ね」

「そうなの。母はスペイン人だけど、父が日本人でね」

「素敵!私スペインっていったことないんだぁ。ご両親は何のお仕事されてるの?」

 撫子の目が嫌な色に染まる。

 彼女のもとにも、日本に来る前に他の部下が仕込んでくれたダミーの情報が伝わっているのだろう。

「えっと……」

 言いにくそうに言葉を濁してから「実はふつうの会社員なの」と告げると、撫子がわざとらしく口を押さえた。

「あ、ご、ごめんね。りおちゃん素敵だから、てっきりどこかのご令嬢かと思って」

 ふつうの声量で話していても、物珍しい転校生とクラスのアイドルの会話なら誰もが聞き耳を立てていることだろう。撫子はそれを織り込み済みで話しているのだ。

 内心でほくそ笑んでいるのが目に見える。


「会社員だって立派だろ?」


 そこへ、撫子の後ろからひょこっと顔が現れた。

 きれいな男の子だ。

 近くにいた女子たちがきゃあきゃあと色めき立つ。

「五十嵐くん、優しいんだぁ」

「俺はいつも優しいだろ?」

「五十嵐……?」

「そ」

 目の前に手が差し出される。続く言葉を聞き、リオの心はすうっと冷え切っていった。


「よろしく、転校生。俺は五十嵐ミナト」


 五十嵐ミナト。

 7歳のリオが日本を発ったあと、朱音が小学校で出会った、彼女のもう一人の幼馴染。

 彼はリオを知らないが、リオは彼を知っている。

 あの血に濡れた小さな日記に、何度も出てきた名前だから。


『今日はミナトと久しぶりに話せた』

『生徒会に入れるなんてミナトは本当にすごい!』

『ミナト、どうして私を信じてくれないの』


 ぱし

 気付いた時には、差し出された手を弾いてしまっていた。

 はっとして引いた手を胸の前で握る。


「……あ、ごめん、なさい」


 驚いた顔でリオを見つめる五十嵐と撫子。

 にやっと撫子の顔が歪んだのは一瞬だった。


「ひどい!リオちゃん。どうしてそんなこと……?」


 ほんとだ。どうしよう。

「あ、わ、わたし」

 咄嗟に口にしたのは、あんまりにもな言い訳だった。


「……男の人が、苦手で……」




**



<だから言いましたよね、私>


 呆れ果てたと言わんばかりのジルの声がスピーカーにした携帯から流れてくる。

 リオは唇を突き出したままボリュームを4つほど下げてやった。

 第三化学準備室。ほとんど倉庫と化したその教室には備品や古い教科書類、壊れた人体模型などが乱雑に置かれている。

 その一角で、リオは手にしていた紙粘土に音声マイクを仕込む内職に勤しんでいた。放課後これを学園のさまざまな――特に、何か事件の起こりそうなところにあたりをつけて、こっそり貼り付けて回るのだ。


<本能で動きがちなあなたにはもともと無茶な作戦だったんです。何が男子をオトすですか。それどころか、ターゲット周辺の人間たちに話しかけることすらままならなくなったではありませんか>

「わーん、部下が優しくない!」


 わかっている。リオの行動はまったくもってプロらしくなかった。

 ここにアルバがいれば鼻で笑われてお仕舞いだろうが、しかし、リオはどうしたって彼と友好的に接することなんかできなかったのだ。


「朱音は、彼が好きだったのよ」


 日記を見ればそれが痛いほどよくわかる。

 なのに朱音は、撫子の秘密を知ってしまったばかりに彼女に陥れられ、五十嵐ミナトとの交友関係も切り刻まれてしまった。

 五十嵐ミナトは撫子を信じたのだ。

 それは彼女にとって、どれほど痛く苦しいことだっただろう。


<朱音様の日記帳には、藤野撫子がどの生徒に薬を飲ませていたかは記されていないのですか?>

「うん。朱音の知らない人だったみたい……。朱音も何度か調べようとしたらしいんだけど、見つけられなかったのね」

<ではやはり、地道に探していくしかないですね>

「そうね……」


 リオが頷いた時、次の授業開始の予鈴が鳴った。

 内職グッズをケースにしまい、一番目立たなそうな棚の下に押し込んで立ち上がる。


「じゃあ。また放課後ね、ジル」

<はい。リオ様もお気をつけて>


 通話を終え、携帯と日記帳をポケットにしまった。


(この日記帳は切り札だ)


 朱音が自ら命を経とうとした時、それが本当にかなっていたらこの日記は世に出ていただろうか――。いや、きっとそうはならなかった。

 撫子の持つ表舞台の権力によって事実は捩じ伏せられていたことだろう。

 リオがあの日偶然あの場に居合わせたのは、幸運だった。


 朱音の意識はまだ戻らない。

 この日記は、彼女の無念そのものだ。


「大丈夫よ、朱音。撫子はちゃんと失墜させるわ。

 ――Deseoが請け負った仕事は、完遂されなかったことはないんだから」


 だからどうかあなたも頑張って。

 祈るような気持ちで深く瞼を閉じ、リオは化学準備室を後にした。





「……Deseo?」


 リオが出ていった教室で、むくりと体を起こす影には、これっぽっちも気付かずに。

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