私の家族
薄暗いホテルの一室。
リオの眼鏡には、手元の電子端末にびっしり記された敵の情報が写り、下から上へと絶え間なく流れていく。
藤野組のこれまでの
(おじいちゃんとことはやっぱり違うな……。まあ、これは彼らが異質なんだろうけど)
「やはり
控えめに扉の開く音がして、スーツ姿の男が現れた。リオの前にミルクティーのコーヒーカップが置かれる。ほんのりラム酒の香りがした。
シャツのボタンを襟首までしっかりとめたリオの優秀な部下こと、ジルである。
「藤野組表向きのトップは藤野秀樹ですが、やはり全ての実権は兄の
「秀樹は
「無理ですね。兄への絶対服従を刷り込まれている。なにかと小日向組に因縁をつけて小競り合いに持ち込んでいるのも彼のようです」
「そっかぁ」
祖父の取り仕切る小日向組と藤野組には何か因縁がありそうだ。
それはおいおい祖父に聞くことにしよう。
「ところで、藤野撫子はどれくらい裏社会に関わってるの?」
「そうですね…」
ジルは腕を伸ばし、摘み上げた資料の一つをめくり始めた。
「薊の商談に時々付き添うことはあるようですが、その程度です。ただ、権力と暴力の快感を知る娘ですから、プライドは高く高慢。残虐性もある。人よりも己の欲求に忠実で、世界は私のものくらいは思ってるかもしれません。いけ好かない娘です」
「あれっ」
リオは何かに気付いた驚き顔でジルを見上げた。
「ジル、もしかして何か怒ってる?」
「別に」
彼はもう不機嫌を取り
「日本に着くなり友人を救急搬送しろだの黒幕の情報を探れだのこき使いまくった部下が一流ホテルのラグジュアリールームを用意して出迎えたことに感動の一つもないものかと思いましてね」
「あっ、私に怒ってたの!ごめん!」
「ありがとうは」
「ありがとう!」
「よろしい」
どうやら機嫌は治ったらしい。デキる部下のご機嫌取りも大変だ。
大型テレビを設置し始めたジルをしばらく眺めていれば、液晶画面にいくつもの映像が映りはじめた。校舎裏、教室、屋上、渡り廊下……。帝明学園のあらゆる場所に配置されたカメラの映像である。
「ジルは本当に仕事ができるねえ。私尊敬しちゃうよ。ジルが部下で良かった」
「それは俺たちも手伝ったぜ」
「あんまり下を困らせるなよリオ」
唐突に、聞き覚えのありすぎる声がした。
考えるより早くソファから飛び起きたリオは、そのまま一目散にバルコニーへ駆け出す。
眼下に広がる美しい夜景。手すりに手をついて身を乗り出したところで、後ろから伸びた2本の腕に上半身ごと力強く引き戻される。
――終わった。リオは静かに悟った。
「おいおい」
恐る恐る上を向けば、夜空をバックに透き通るような金髪がさらさら流れてくる。
「顔見て逃げられっと傷つくんだわ」
日本の米軍基地にちょっと野暮用で忍び込んでいたチームきっての武闘派、アドルフォである。どうしてここがバレたのか。それにしても迷彩柄がよく似合う。
反対側からも腕が伸び、片頬が包まれるなりぐりんと横を向かされた。
「兄さんたちにお帰りはないのか?リオ。それと、もし今度他の階に飛び移ろうなんかしたら泣くほど怒り上げるからな。ここ十五階だぞ」
夜色の髪をゆるく三つ編みにして肩へ垂らすのは、ファロだ。チームでは情報収集を主にしており、それ以外の時はよく女の人を口説いてる。目元のホクロと低くて甘い声に、女の子たちはいつも腰砕けなんだそう。本人談なので嘘かもしれない。
「あ、あの……」
突然現れた二人の家族に、リオは震える声で乞うた。
「どうかアルバに言わないで……」
「まずそれかよ」
少女の頭上に軽めのげんこつが落ちる。
ファロから差し出された携帯を見て、リオは絶望顔のままうなだれた。
「俺たちが誰の指示でここに来たか、分からないわけないよな?」
まさか帰国二日目にして居場所を突き止められるなんて……。こうならないために足のつかなそうなホテルを選んでとお願いしたのに、とジルを睨めばひょいと肩をすくめられた。
どこを選んでもファロ様にはバレますからセキュリティを重視しましたとか平然と言ってきそうだ。「どこを選んでもファロ様にはバレますから、セキュリティを重視しました」言いやがった。
既に画面には見慣れた番号が表示されており、ワンタップで電話がかかるようになっている。と思えば、さっさとそれを押したのはファロ本人だった。
「ほら、話して」
「ちょ、ちょっと待ってよ!まだ心の準備が」
「そんなの待ってたら朝になるだろ」
すぐにコール音が途切れる。
<あいつはいたのか>
聞こえてきたアルバの声からは、ほのかどころではない殺気が滲み出ている。遠くに聞こえるのは銃声だろうか。
「……あの……アルバ……?」
電話越しに沈黙が流れた。
思いがけず聞こえたリオの声に驚き、口をつぐんだのだろう。きゅっと寄せられた眉根すら想像できるようで、リオはいっそう小さくなった。
(……どうしよう、やっぱりアルバ怒ってる)
(もううんざりだから帰ってくるなとか言われたら、どうしよう)
急に不安が押し寄せ、リオは想像だけでじんわりと涙を滲ませた。
「アルバ」
何を言ったらいいのか分からない。
スクールライフに憧れてたのは本当だ。殺しや血生臭い日常に嫌気がさしていたのも本当。
だけどもリオは、別に、アルバと離れたいわけではなかった。
……当たり前だ。
「――今後はお前にも仕事を回す」
リオがDeseoの一員として組織入りしてしばらく経った頃。そう言って、人の殺し方を彼女に教えたのはアルバだった。
「やだ、アルバ!人なんか殺したくないよ!」
「ならお前が殺されるだけだ。早死にしてぇなら勝手にしろ」
「守ってくれるって言ったくせに!」
「ならお前は一生Deseoのお荷物でいいんだな」
「っ」
「嫌なら立て。殺す気で来い」
嫌だ嫌だと泣き喚くリオを怒鳴りつけ、無理やり銃を持たせて、アルバは彼女を殺す気で引き金を引いた。ナイフが掠めて腕がざっくり切れたこともあれば、体術の訓練中に崖から落ちて血まみれになったこともあった。
リオが怪我をするたびバレリアやススピロが烈火の如く怒ったが、アルバは無視を貫いていた。
けれど初めて人を殺した夜。
朝まで震えて泣き続けるリオを、ずっと抱きしめて眠ったのもアルバだった。
「リオ」
「遅くなって悪かった」
それを聞いて、リオはようやく、今まで自分が誰も殺さずに済んでいたことに気付いたのだ。
組織が大きくなればなるほど危険が付きまとうはずなのに、今までリオは一人だって人を殺してこなかった。アルバが代わりに、それをやってくれていたから。
そう気付いた時、リオの中の恐怖は消えた。
その日から、アルバのために生きたいと願うようになった。
「アルバ」
溶けて落ちてしまいそうな暗い闇夜の中だって、
アルバの後ろを歩くなら怖くないの。
あの日
「すきよ」
ごめんなさいと言おう思っていたのに、咄嗟にこぼれたのはそんな言葉だった。
もしかしたら聞こえないかもしれないくらいのささやかな声だったのに、彼にはしっかり届いたらしい。
電話口から返ってきたのは小さな嘆息。そして、
「Me vuelves loco(俺はお前に狂わされそうだ)」
というとびきりストレートな愛の言葉だった。
リオは俯いたままソファに沈み込んだ。
アルバは、いつもこう。普段はむっすりと黙り込んでいることが多いくせに、愛情表現をためらったことはない。だからリオは、いつもこんなふうに、真っ赤になって何も言えなくなってしまう。
「仕事でひと月ベルリンに行くことになった」
アルバは言った。
「お前が日本にいる間はそいつらに面倒を見させる。好きに使え」
「……Si,」
「ジジイのところには極力行くな。面倒だ」
「わかった」
「……お前を好きにさせるのはそのひと月だけだ。束の間の自由をせいぜい満喫してろ」
あんまりな言い方につい吹き出してしまう。
「アルバ……悪党みたい」
「そうだ。てめぇもな」
アルバの声もどこか優しい。
くすくす笑っていれば、リオ、としばらく黙っていたアルバに名を呼ばれた。
「何かあったら俺を呼べ」
それだけ言ってブツッと通話が切れてしまう。
照れ隠し――ではないだろうから、きっと向こうで何かあったのだろう。彼の身を案じる必要はないと知っているので、リオはただ、最後の言葉の余韻に浸って目を閉じた。
(呼んだら、来てくれるのか)
明日からきっと、戦場にいるよりもずっと泥沼な戦いが始まる。
リオはポケットから小さな手帳を取り出した。日記、と細い字で書かれた表紙は血が滲み込んで変色している。屋上から飛び降りた朱音のスカートから出てきたものだ。
「待っててね、朱音」
私必ず、あなたの
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