殺し屋たちの暮らし

 俺の暮らすカサレスの街には、誰もが知っていて、けれども誰も知らない。

 そういう場所がある。


 急な斜面に白い家が立ち並ぶ街並みの、坂を登り切った先。ジブラルタル海峡まで見通せそうな小高い丘の上にあるのが、彼ら、Deseoデゼオのカーサ(アジト)だ。


 彼らが腕利の殺し屋集団、もとい傭兵達であることは、この街の誰もが知っている。

 しかし、特別恐々暮らしているわけじゃない。


 美男子のファロさんはこないだパン屋で売り子の娘を口説いてたし、

 強面のアドルフォさんは近所のガキ共によく追い回されている。

 グラマラスな美女、バレリアさんに恋心を抱かない男はいないし、

 チームの医療担当、ススピロさんはこないだ街の診療所で店番やってた。

 それと、ノーチェさん。彼は小太りのおっさんで、なぜか美形揃いの傭兵団のなかで俺たちが唯一気を許せる買い出し担当員だ。


 彼らのおかげでここ数年、カサレスの街で犯罪は起こらない。

 かつて暴力と殺しが横行したこの地域では信じられないような話だ。




 それでも、俺たちは誰も、彼らのカーサには近付かない。

 かつてバカな男が一人、幹部の一人に夢中になってカーサに忍び入り、それきり姿を消してしまってからは。



「仲良くやろう」

「この町は俺たちが守ってやるから」

 ――そのかわり、ここからこっちには入ってくるな。


 つまりそういうことなのだ。


(……とうとう、ここまで来た)


 聖域へ踏み入るための門の前に立ちながら、俺はぶるりと身震いした。ほんのすこしの恐怖と、それを補って余るほどの興奮で。


「ヒューゴ!」


 びくっと振り返れば、そこには小太りのおっさん。ノーチェさんがいた。

「すまんすまん、遅くなった!」

 重そうに体を揺らしながら、人好きのする笑顔で駆け寄ってくる。


「ノーチェさん」と言いかけて、俺は慌てて言い直した。


「本日からよろしくお願いいたします。

「お?なんだよ水臭い!普段通りでいいのに」

「そういうわけにはいきません!」


 鼻息荒く、確固たる態度で言い放つ。


「俺は今日から、デゼオの組員――カーサに立ち入ることが許された、ほんのひと握りの人間に選ばれたんですから!規律は守らないと」

「大袈裟だよなぁ」


 ノーチェさんは笑ったが、決して大袈裟ではない。

 俺たちごろつきにとって彼らは憧れなのだ。


 どこの国にも従属せず、幹部数名で成り立ち、一個師団級の仕事ぶりを果たす。

 手下は任意で数名信用のおける人間を従えていいらしい。特に持たない方もいれば、十人ほど従えている方もいると聞いていた。

 俺は今回ノーチェさんの部下として組織入りが許されている。


「今日から命をかけて皆さんの補佐に努めます!どうかよろしくお願いします!!!」

「あー、わかったわかった、宜しくな」

「ずいぶん賑やかね。ノーチェ」


 後ろから声がかかり、振り返ると、バレリアさんとススピロさんが立っていた。ちょうど街から戻ってきたところらしい。

 小柄なススピロさんの背中には、いつも彼女が抱えているクマの人形がくくりつけられている。荷物で腕がふさがっているためだろうか。

 俺はバレリアさんの、深いスリット入りのスカートからのぞく綺麗な足に釘付けになりそうなのをぐっとこらえ、二人に一礼した。


「あら、ヒューゴ今日からなのね。よろしく」

「宜しくお願いします!!!!」

「………ん」


 ススピロさんに持っていた荷物を丸ごと渡された。もちろん、運びますとも。

 俺は彼らに続いてゆっくりと門をくぐる。

 緊張の瞬間にチビりそうになる―――が、足を踏み入れてすぐ言葉をなくした。

(……なんだ、ここ)

 まず目に飛び込んできたのは、美しく咲き乱れる花々。

 白い家の外壁をつたがのぼり、庭には二人掛けの木の椅子が無造作に置かれているる。

 俺はポカンとした。

 散乱する銃火器などどこにもなければ、殺伐とした拷問器具も、ナイフが突き刺さったポスターもない。

 どこからも血の匂いがしない。

 誰がここを犯罪者たちの拠点だと思うだろうか。


「おどろいた?」

 バレリアさんが軽やかに笑う。


「前の家主が死んで荒れ放題だったこの家をが見つけてきてね。ここに絶対引っ越すんだって、それはもう大騒ぎよ。結局アルバが折れてね」

「そうそう。そんで俺たち全員でアジトまるごと引っ越したんだよな」

「……ん。たのしかった」

「――――え!?!?」

 一拍遅れて、俺は声を荒らげた。


「アルバって、あのアルバ様!?」


 三人がキョトン顔で俺を見る。


 アルバ様といえば、彼らDeseoのボスであり俺たちのカリスマだ。

 噂によれば一人で中国の巨大ファミリーをひとつ壊滅に追い込んだとか、傍若無人で残忍で敵の命乞いにはまず耳を貸さないとか、それはもう身の毛もよだ――いや、痺れるような話ばかり聞く。

 しかし彼はめったに街に現れないので、俺たちの中では最も謎に包まれている人物だ。


「そのアルバ様に、駄々をこねられるような方が、ここにいるんですか」


 信じられない。

 一体どんな命知らずなのだろうか。

 呆然としている俺に、彼らが見せたのは思いがけない表情だった。


「……まあ。あいつは特別なんだ」

 まるで困った妹に向けるような顔で。


「この家であの子には誰も勝てないもの」

 大切に慈しむような、すべてを許したような顔で。


「……リオっていうの」


 ススピロさんがぽつりと溢す。

 普段あまり表情の変わらない彼女が――その彼女さえも、大切な宝物に触れるような優しい顔をしていた。ぎゅっとクマを抱きしめる。


「………わたしたちの、家族なの」




 通された談話室には穏やかな日差しが差し込んでいた。

 暖色で統一された室内。質の良い家具。光沢のある木のテーブルは十人で囲えそうなほど大きく、壁を半円にくり抜いた奥にもまだ部屋は続いていた。

 バレリアさんとススピロさんは各々の自室に戻っていったらしい。


「お前の仕事は当面、武器の調達や運搬、部下たちの仕事の伝達なんかの雑用がメインになる。このカーサは敵襲に備えて基本的には誰か幹部がいるから、何かあったらそいつに聞いてくれ」

「はい」

「ただし、首領の部屋にはあんま近付くなよ。機嫌悪いときに部屋訪ねたやつ何人か灰にされてるから」


 からから笑うノーチェさん。

 俺はちっとも笑えなかった。


 談話室の奥は執務室になっているようだ。

 上質な机の上には書類や紙が山のように置かれており、その上に組み立て中の銃が無造作に置かれている。人はいない。

 執務室には、さらに部屋が一つ隣り合っている。

 細やかな装飾をされた木の扉に金のドアノブがついている。


「首領。入るぜ」

「えっ」


 軽くノックしただけであっさり扉を開けてしまったノーチェさんに、俺はザーッと音が出るほど青ざめた。灰にされるとさっき脅されたばかりだ。

(あ、あんただって買い出し係だろ?これ機嫌損ねて殺されるんじゃないか!?)

 ――そんな俺の絶望入り混じる感情は、部屋に入るなり見事に消し去った。



(……あ、やべ、本物、だ。これ)


 空気が変わる。

 その部屋では一切の雑音が遮断され、まるで、時の流れさえも彼の支配下にあるかのようだ。

 天井まで積まれた凄まじい量の本。

 薄暗い部屋に一つだけ備えられた大きな窓から、陽光と春の風が吹き込んでいる。


 古いソファに横たわる影が一つ。


 ――彼が。

 俺は続く言葉を失った。


 彫りの深い顔立ちに、筋張った首筋から胸にかけて大鷲おおわしの刺青――。胸元まで開けられたシャツの奥にはしなやかで引き締まった筋肉が垣間見える。

 まるで北欧の気高い獣だ。

 その寝姿のどこにも隙はなく、例えばここで俺が銃を取り出したって、先に心臓を撃ち抜かれるれるのは俺だろうとバカでもわかる。


「首領」

 ノーチェさんの声で我に返った。


「こいつ、俺の新しい伝令係。次はうるせーからって殺すなよ」


 俺はただただ勢いよく頭を下げた。緊張で心臓が口から飛び出ちまう。というか俺の前任、そんな理由で殺されたのかよ!


 うっすらと開いた瞼から赤い目が覗いたが、特に言葉はなく、俺は一瞥されるだけで終わった。

 ……というか、ほんとすげえ男前だな、アルバ様!

 こんな良い男でおまけに強いならさぞモテるだろう。そう。こんな呑気すぎることでも考えていないと緊張で俺は吐いちまう。



 その時だ。

 アルバ様の携帯が控えめに鳴り出した。

 何コール目かで億劫そうに通話ボタンを押した彼が相槌ひとつ打たずに喋らせ続けた相手に告げたのは、

「俺が出る」

 との一言だけだった。


「仕事だ。ノーチェ」

 電話を切るなり身を起こしてこちらに歩いてきたアルバ様に、俺は二、三歩後ずさって道を空ける。

 何かあったのだろう。

 彼の全身から、ゆらゆらと静かな殺気が立ち登っている気がした。


「あいつが失踪した」

「は?」


 俺は驚いてノーチェさんを見る。すとんと感情の抜け落ちたような声が、彼のものと思えないほど――冷たく、、聞こえた気がしたのだ。続いた声は元の彼のものだったが。


「行き先は」

「ファロが目星をつけてる。日本だ」

「日本?」

「あのガキ、俺に黙ってジジイからの仕事を受けやがったらしい」


 ノーチェさんがほっと肩を下ろしたのがわかった。


「なんだ、そゆこと。じゃあそんなに心配ねーじゃん。日本なら今別件でアドも行ってるし」

「ヘリを用意しろ」


 有無を言わさぬ語調に、ノーチェがヒュウとわざとらしく口笛を吹いた。

 というかこの人、こんな話し方だったか?


「相変わらずの溺愛っぷりだよなぁ。そんで、ヘリはどんなの?ゴージャス?ジェットじゃなくていい?」

「速ぇのだ」

「りょーかい。……てかあいつ最近殺しはうんざりとか、ふつーの青春したいとか言ってたたけど、まさか脱走?やるじゃん」


 あいつ、が誰を指すのか、俺にも流石に分かってきた。


 それはアルバ様にたやすく駄々をこねられる相手で。

 暗殺者たちである彼らが慈しみを持って大切だとのたまう相手で。

 ヘリだのジェットだのを使ってまで、一刻も早く手元に戻したい相手。



「――……リオ」


 不吉を孕んだ低い声が彼女の名を、溢した・・・

 ぽつりと。

 誰に訊かせるでもなく、つい、そうしてしまったというように。

 咄嗟に聞かなかったフリをした俺は我ながら命の危機に聡いやつだと思う。


「……うんざりだろうが逃がす気はねえ。あいつが呪うべきはてめえの不運だ」

「ほんとにな」

「分かったらとっとと支度しろ」

 何事もなかったように続けたアルバ様は壁掛けにあったコートをはおると扉の外へと出ていってしまった。

 その背中に向けてノーチェさんが声を投げる。


「なー首領。俺たちも行っていい?たぶん他の奴らも知ったら連れてけってうるせーけど」

「……好きにしろ」

「やり!」

「そのふざけたナリは捨ててこい」

「Listo(了解)!」


 ごととん。


 謎の音に振り返ると、そこには真っ赤な髪を豊かに伸ばした青年がいた。

 高い鼻に、リーフグリーンの瞳。頬にあるそばかすが、奔放そうな青年によく似合う。ていうか……は?え、誰だ。いつから?


「なんだよ、ヒューゴ。おばけでも見たような顔して」

「あ、え、え?」

「つーかマジでこれ重いんだよな。小太り設定にした奴ころしてーよ。あ、次からはダイエットして痩せたことにでもすりゃいいか」


 彼が爪先で小突いたものは、小太りの人間の胴を模したスーツ、そして馴染みのある「ノーチェさん」の顔がくしゃくしゃになって床に落ちていた。


「ほら。さっそく仕事だぜ。ヘリとジェットのチャーターの仕方教えてやるよ。今度からはお前の仕事な」

「………あんた、ノーチェ、さん?」


 先を行く赤髪の青年が肩越しに振り返る。

 彼の唇が、綺麗な三日月型に吊り上がった。


「ノーチェ様、だろ。新入り」

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