Prólogo ZERO

「あんた、腐ってる!あの人はあんたなんか信じない!絶対思い知らせてやるから!」


 そんな言葉を投げかけてきた女たちの末路は、だいたい一緒。

 どいつもこいつもほんとに馬鹿よね。



 生まれてから今日まで、手に入らないものなんか何一つなかったの。

 私の言いなりにならない男は一人もいない。だから、馬鹿な女の陥れ方もすっかり手慣れたもの。

 自分が信頼する「彼」に裏切られて、ボロボロになって泣き叫ぶ姿ときたら、ほんと笑っちゃうくらい痛快なんだから。

 こんなの絶対やめられない。仕方ないよね?皆に愛されるような女の子に生まれなかった、あなた達が悪いんでしょ。


撫子なでしこは世界で一番可愛い女の子だ。パパの自慢だよ」


 そうでしょう?パパ。

 私ときたらとびきり可愛くて、そっと抱き寄せて守ってあげたくなる儚さがあって、清純で誰に対しても親切で、しかもお金持ちで権力まである。

 こんな子がいたら誰だって好きになっちゃうに決まってる。

 だから私には選ぶ権利があるってこと。

 私に見合った、とびきりの男性を!





(――うそぉ)


 だからね。初めてその人を見た時、体の芯に、炎の雷でも落とされたような気がしたの。

 女生徒たちのざわめきがぼんやりした耳の中に木霊する。


「ね……。あれって、今日から来る交換留学の……?」

「まさかぁ」

「何かの撮影でしょ?だって、あんな――」


 先の言葉は、彼の一瞥によって沈黙に沈められた。


 天井のステンドグラスからは宝石を散りばめたような陽光が降り注ぐ。

 その光の中を、彼は迷いない足取りでこちらへ向かってくる。私は胸の高鳴りが止まらなかった。


(――どうしよう……どうしよう!!)

 

 こんなの初めてのことだ。

 彼のまとう凄まじい殺気に、ビリビリ肌が痛んだ。

 傷口から溢れたばかりの血潮のような、野生的で禍々まがまがしい色の瞳。

 ――絶対に普通じゃない、

 ――彼は危険すぎる。

 そう本能が激しく警笛を鳴らしているのに、私はもう、心を掴まれてどこへも逃げ出すことができなかった。いいえ、そんなこと考えもしなかった。

 頬が紅潮し、知らないうちに吐息が漏れてしまう。


(――ああっ、どうしよう、欲しい……!!)

(このひとが欲しいわ!!!!)


 今まで目をつけていた男子達など、彼に比べればゴミも同然だ。


 まるで映画の世界から抜け出してきたような彫刻的で美しい顔立ちも素敵。

 だけど、彼の本当の魅力はそこじゃないの。


 シャツの袖口と黒い手袋の隙間から覗いたあの刺青は、きっとシャツの奥――胸元や背中にまで雄々しく広がっているはずだ。

 服越しにも想像できる筋肉質な身体は、しなやかに鍛え上げられている。

 彼の後に続くあの集団は、きっと彼の配下に違いない。一歩退いて背中を守る位置が体に染み付いているから。


 例えるなら、そう――

 殺しを生業なりわいとする人間。


 例えるなら、

 群れを率いて立つリーダー。


 一目で分かった。彼もまたの人間であると。

 そう確信すると胸がときめいてたまらなくなったの。

 だって、闇の世界を生きる人間がこの学校へ訪れる理由なんて、以外に考えられないんだもの。


(私を迎えにきたのね……!)

(ええ。きっとそうだわ……でも、それでもいい。私はあなたに全て委ねたい)


 生徒たちが無意識に身を退けて生まれた道を、彼がまっすぐこちらへ歩いてくる。痺れるような興奮の中で、私はゆっくりと微笑んで彼を見つめた。


(さようなら。平凡な世界)


 風が頬を撫でた。

 大きな一歩で私の横を通り過ぎた彼が、どこか焦れたように腕を伸ばし、身体を掻き抱いたのは――――――――私、じゃない。

 


「……顔を見せろ」

「ちょ、っと、アルバ」


 嫌がって首を振るの頬を、彼は両手で包み、険しい顔でじっくり眺めた。歯で指先を噛んで手袋を引き抜くと、今度は頬や額の小さな擦り傷一つ一つを、労わるように優しく撫ではじめる。


「ア、アルバ、何でここに」

うるせえ」


 ――アルバ?

 それが彼の名前なの?どうして、あなた如き平凡な女が、ただの一般人が、当たり前のように彼の名前を呼んでいるの?彼は絶対こっち側の人間なのに。どうして、彼はあなたに優しく触れるの?まるで、恋人に触れるみたいに。優しく。

 どうして、どうして――。


「リオ」


 彼の、心地よい殺意に満ちた瞳が、ゆるやかに、溶けていく。何か小さな囁き声は、こちらには何一つ聞こえなかった。


「       」





 再びその腕に抱きすくめられたあの女の、泣きそうな幸せそうな顔を見ているうちに、脳内の血管が焼き切れそうになって、私は駆け出した。トイレに駆け込んで、胃の中のものを全て吐き出す。手のひらにくっきりと食い込んだ爪の痕からは血が滲み出している。

「あはっ、うふ、」

 それでも笑いがとまらないのは、あの女から彼を奪うことがあまりにも簡単すぎると分かりきっているからだ。

 あいつの絶望に染まった顔を想像すると、興奮と優越感で鳥肌が止まらない。


(奪ってあげる!!リオ・サン=ミゲル!!)


「――――っあは、はっ、きゃーっはははははははっ」


 それに極上の貴方が、あんな顔だけ女に騙されているなんて可哀想。私がその目を醒まさせてあげる。貴方の隣に相応しいのは私だけ。

 待っていてね。

 愛しのアルバ。


 私の、生涯で最高の男性。

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