Prólogo
異国の極悪人たちと少女の出会いについて
(……畜生)
下水の嫌な匂いに死臭が混じりあい、空気すら重く
既に銃声は止んでいた。
煙草をくわえた男たちが疲れた声でするやりとりが耳に入ってくる。話す言葉の中身は、何も分からない。
「こいつらも馬鹿だよな」
「ああ。殺す相手が誰も知らねえで雇われたんだろ。哀れだよ」
「晴れの日に妙なケチがついちまった」
「気にしねえだろ、あの人は。派手でいいじゃねえかって笑ってたぜ」
「……」
次々と死体が水路に捨てられていくのを眺めながら、少年――アルバは、まだどうにか息をしていた。
(……クソが)
それは完全な敗北だった。
自分と自分の周囲の少年たちを囲む黒服の男たちは、指示さえあればすぐにアルバたちを殺すだろう。黒服は皆日本人。数名、腰に刀を帯びた者もいる。この者たちが強かった。
アルバは黒髪の隙間から、自分の片腕を斬り落としたその鉄の塊を憎しみを込めた目で睨みつけた。
すでに黒服によって止血はされていたが、気の遠くなるような激痛は絶え間なくアルバを襲い、その白い額に脂汗を滲ませた。
「う、うぅぅ……」
アルバの背後には彼の子分たちが、あるものは泣きながら、あるものは諦めを滲ませて、あるものは噛み付く寸前の獰猛な野犬の様に、あるものは虎視眈々と隙を探すように、控えている。皆若く、十代前半だろうと思われるが、すでに捕縛され武器も取り上げられていた。
「お前がリーダーか?」
流暢なスペイン語を話す男がアルバの前に腰をかがめたのはその時だ。
厳格な面持ちの老人だ。風格からしてこの黒服たちのボスだろう、と推測し、目を
糞を煮詰めたような最悪の日だ、そう思った。
「
「お前に腕ぇ落とされてんだ。もう何もしねえさ、
しゅうぞう、と呼ばれた男は、一瞬居心地悪げに目を逸らした。
「……組長の命狙ったんだ。安いもんだろ」
その時だった。
「……っゔわああ!!!」
少年たちのうちのひとり、一際目立つ金髪の子供が、腰に刀を帯びた黒服の男に向かって飛びかかっていった。
文字通り片腕で捻り潰されたが、泥に塗れた顔でまだ叫んでいる。叫びながら、涙はとめどなく流れていた。
醜態を晒しやがって、とアルバは小さく舌打った。
「てめぇ、返せっ、返ぜェ……!!アルバの、アルバの腕、かえせっ!!アルバは、俺たちの王なんだ!!アルバは、」
「アド」
暴れる少年を一瞥もせず、アルバの声は低く冷め切っている。
「喚くな。どうせ全員殺される」
そうだ。
どう足掻こうがここにもう勝機はない。
言い捨てたアルバに、男の目がゆっくりと細められた。
「……腕、のたうち回るほど痛えだろうに。よく耐えてやがる」
「……」
「お前、こいつらのボスか?家はどこにある。他にも仲間がいんのか」
アルバは何一つ答えなかった。
かわりに口角を上げ、ひとこと。
「cabrón(くたばれ)」
瞬間的にその場に張り詰めるような緊張感が広がったが、男が怒りに任せて懐に手を突っ込んだりはしなかった。
かわりに、黒曜石のような目がアルバの瞳をのぞく。
「……ガキのくせに、死人みてえなツラだ」
ぽつりと言い、男は立ち上がった。
黒服ばかりが居並ぶなか、硝煙の混ざった生ぬるい風にひるがえる紺色の羽織は一際目立っている。
「お前らの殺しには仁義がねえ。だからそういう目になっちまう」
アルバは鼻で笑った。
仁義だと。そんなもの、いったいこの世界でなんの役に立つという。
「反吐が出るよな」
アルバの後ろで、別の青年がひとりごちた。
アルバも心の中で同意した。
(そうだ。反吐がでる)
アルバが自分に殺しの才能があると気付いたのは、己を殺そうとした、父を容易く絶命させた時だった。
後悔どころか、何の感情も生まれなかった。
欠落していたのだ。
ちょうど良かった。
ゴミだめのような場所で生まれ、生きるために群れ、生きるために奪い続けた。自分も、後ろのやつらも、生まれた瞬間にろくな生き方ができないことが決まりきっている。
そんな世界で、何が仁義。
アルバは子供らしからぬ、
「俺たちを殺すのに、仁義も建前もいらねえぞ」
この男だけが主張できるのだ。
――奪われる前に奪っただけだ、と。
男はしばらくじっとアルバを見ていたが、やがて踵を返し、背後の男たちに声を投げた。
「お前ら、帰るぞ」
えっ、と少年の中の一人が声を漏らしたのは、男の発した日本語が聞き取れたためではない。自分たちを囲んでいた男たちが、声に従ってあっさりと離れていったからだ。
武器は取り上げられたまま、縄だけが切って落とされる。
男が自分たちを見逃すつもりだと一番初めに気づいたのはアルバだった。
瞬間、少年の身体を激昂が貫いた。
曲がりなりにも暗殺者だった彼のプライドが踏み付けにされた気がした。心身の許容を遥かに超える怒りと屈辱に、気づけばアルバは叫んでいた。
「慈悲などいらねえ!!!!!!」
そんなものを与えられたことはない。与えたことも。
それを乞うのは弱者だけだ。
それを与えるようなやつは――――。
「お前らも同属だろうが!!薄汚え、泥臭ぇ、底辺の人間の集まりだろうが!!!気色わりい善人づらすんな!!殺すならさっさと殺せ!!」
アルバが頭上に衝撃を受けたのはその時だ。
撃たれたのではない。
男が握った拳を、そこに落としたのだった。
「不貞腐れてねえで前を向けよ。クソガキ」
失血と衝撃でチカチカ明滅する視界の中で、アルバは、男が邪気のない笑顔で笑うのを見た。
「お前の言う通り、俺たちはろくでなしだ。だからこそ誇りを持って生きなきゃならねえ。揺るぎねえ芯を一本、腹ん中に持ってなきゃいけねえ」
それを持ってると、なんだってんだ。
声に出したつもりはなかったが、朦朧と尋ねていたらしい。微かに目を見開いた男が再びアルバにむかって腕を伸ばす。
次の痛みに備えて歯を噛み締めたアルバだったが、その頭に乗ったのは、男の大きな手のひらだった。
グシャグシャと乱暴に髪がかき混ぜられる。
「忘れんなよぉ、お前」
男の声は、それは、自分を殺そうとした者に向けるにはあまりにも親しみのこもった声だった。
「誇りを胸に生きてりゃ俺たち、胸ェ張って地獄にいけんだろ」
**
男との出会いの後もアルバたちの暮らしぶりは何も変わらなかった。
雇われては殺して金をもらい、また雇われては殺し、報酬を得た。
いつしか彼らは
「こんにちは!」
ある手紙と共に一人の少女がアジトに現れたのは、あの男との出会いから数年後の話だ。
“オトシマエだ。
俺の孫だが、お前らが育てろ。
どんなふうに育ててもいい。
殺すなよ”
手紙に書かれていたのはそれだけだった。
「なんだこれ」
「あのジジイ、イカれてんのかよ!」
あの日剣士に噛みついた金髪の少年、アドルフォは18歳になり、あの日隙あらば殺される前に一人二人道連れにしようと画策していた夜色の髪の少年、ファロは19歳になった。
二人とも元来の端正な顔立ちにアウトローな色気が加わり、街では娘たちからもよく声をかけられるようになったが、いかんせん、今目の前にいる相手は日頃相手にしているような娘ではない。
くりんと。どんぐりみたいな目。
「あー、お嬢さん。どうやってここまで来たんだ?言葉わかる?」
「こんにちは!」
ファロの問いかけをさらっと無視し、少女ははっきりと言った。ここへ来る前に教え込まれたのだろう。つたないスペイン語であとを続ける。
「
ファロとアドルフォは顔を見合わせる。
日本人らしい真っ黒な髪を肩のあたりで切り揃え、髪には桜の花房のかみかざり、桃やら牡丹やらが散りばめられた豪華な着物を着ている。
「アルバって人はだれ?おじいちゃんに、その人に会いに行けって言われたの」
これは日本語だった。
挨拶以外は教わっていないらしい。あの老人なんのつもりだ、とファロは顔を顰めた。アルバの名に反応したアドルフォがちらりと奥を見たのを、少女は見逃さなかった。
「あっちね。おじゃまします!」
「あっ!」
ぽんぽんっ、とその場で靴を抜ぐなり、二人が止める間もなく中に飛び込んだリオ。
アジトとして使っているガレージは薄暗い。
しかしその奥、二階の窓から差し込んだ日だまりの中には、ボロ布で覆われたソファがあった。アルバは長い足を放り出し、そのソファに身を横たえて目を閉じていた。
あの男との邂逅から2年。アルバも17歳になっていた。
「………」
リオはしばらく、横たわるアルバの姿から目が離せなかった。
母の部屋にあった絵画で、森の中に眠る美しい人の姿を見たことがある。その人と同じように、アルバの周囲にはきらきらとした光の粒が舞っている。全身で天からの祝福を受けているかのようだ。
白いシャツの、不自然に形をなくして垂れる左腕の部分すら、リオにはそれが正しい形であるかのように思えた。
アルバはリオがこれまで会ったどんな人間よりも美しい人だった。
「……あなたがアルバなの?」
ほとんど呆然とするようにこぼした。
なんせ彼女は祖父から、アルバとは野生の虎みたいな大男のデカブツで、ヒゲはもじゃもじゃ、おまけに臭いと聞かされていたのだ。
「……だったらなんだ。帰れガキ」
瞑目したままアルバは答える。
戻ってきた言葉が聞き慣れた日本語だったので、リオはこれまた驚いた。
アルバはあれ以来、いつかまたあの男に会ったら悪態の一つでもついてやろうと、男の国の言葉を学んでいたのだ。まさか初めて使う相手が男の孫だとは想像もしなかったが。
「お前のジジイは正気じゃねえ。オトシマエなら俺の腕でつけただろ」
言いながら、アルバは考えていた。
あの日から彼の中にはいつも小さな違和感がある。
闇の世界に生きる男らしからぬ眼差しを受けたせいだろうか。
自分とあの男とでは何が違うのだろうと、ふと、思うことがあるのだ。ほんの時々。
アルバは薄く瞼を開け、横にいるであろう声の主を見た。
あの男と同じ黒曜石のような目が自分を見返し、そして、わあっと上がった歓声とともにきらきら輝くのを、奇妙な思いで見ていた。
「あなたの瞳、あたし、みたことあるわ!」
少女は興奮した様子で口早にまくしたてている。
頭の髪飾りがずりおちてくるのを、邪魔そうに振り払って身を乗り出した。
「まえにパパとママとスペインにきたの!その時、みたの。場所は、ア、……ニーニャ……ニー」
「何にゃーにゃー言ってんだテメェ」
しばらく様子を見ていたらしい、アドルフォがリオの首根っこを掴んで持ち上げた。
「アルバ。こいつ殺すけどいいよな」
「ちょっとはなして!あのね、ほんとうに見たのよあたし」
「暴れんなお前!」
「あのね、あの――海のある町だった」
ぴたりと、アルバの動きが止まった。
「家や、街並みがきれいで、浜辺があってね、入江に船が浮かんでいて……あと、海岸には石のお城があってね……!」
リオが言葉を発するたび、アルバの中には鮮明に街並みが浮かぶ。気づけば身体を起こし、まじまじと少女を見つめていた。
その街を、アルバは知っている。
「ア・コルーニャ」
アルバが言うと、リオは花がほころぶように笑った。
「そう!ア・コルーニャ!」
身を捩って足をばたつかせてアドルフォの手から逃れた少女は、今度はアルバの膝に飛び乗り、その瞳の奥を覗き込んだ。アルバの瞳は、母と同じ滲み出るような赤色だった。
「あなたの瞳の中に、ア・コルーニャの朝焼けがあるわ!」
アルバは束の間、言葉を失った。
そして次の瞬間には、腹を抱えて笑い出していた。
「……わたし、何かおかしいことを言った?」
きょとんとするリオと、普段の自分ならありえない大笑いを見て絶句しているファロとアドルフォを他所に、アルバは笑い続けた。
ア・コルーニャは母の故郷だ。
そして、誰にも言ったことのない、アルバの故郷だ。
(こんなことだったのか)
自分を殺そうとした父から息子を庇ったばかりに、母は刺されて死んだのだ。
その瞬間からアルバの中の故郷は消えた。記憶からもなくなった。
それを今、この少女が拾い上げるように見つけ出したのだ。あたりまえのように、
それはアルバの瞳の中にあるという。
常に彼と共に在ったという。
たったこれだけのことで、アルバの足は地につき、もう永遠に迷うこともないだろうと思えるほどの強い力がその胸の中には宿っていた。
そうなって初めて、アルバは、自分が行先を見失っていたことに気付いたのだ。
「リオ」
アルバは少女を抱え上げ、黒曜石のような瞳を覗き込んで笑った。
「好きなだけここにいろ。俺たちが守ってやる」
ファロやアドルフォだけではない。成り行きを黙って見守っていた全員が爆発したかのように喚き出したが、もはやアルバは気にしなかった。
――生き方は変えない。
だが、
(それがあの男と同じ、確かな強さとなるのなら。俺もそれを必ず手に入れる。)
かくして、少女・リオは、このS級犯罪者集団のなかに迎えられることとなったのである。
今から7年前の話だった。
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