藤野撫子という女

 今までずっと、欲しいものはなんだって手に入れてきたの。

 当たり前でしょう?

 私は何一つ諦めてはいけない人間なんだから。



(今日も完璧。)


 藤野撫子とうのなでしこは心で呟き、しずしずとした足取りで校門をくぐった。


 ハーフアップにした黒髪は質のいい髪留めでとめられ、化粧は控えめ。香水は特別なやつ・・・・・を、ほんのり耳の後ろに忍ばせている。


 あとは彼女が少し見つめて、微笑んであげるだけでよかった。


 それだけで道ゆく男子生徒たちは頬を染め、女子たちは目に敬慕を滲ませて手を振ってくる。あまりに簡単。あまりに単純。彼女たちは、撫子が自分のことを「駒」と呼ばわり、心の底では睥睨へいげいしていることも知らないのだから。


(あいつもブス。こいつもブス……。これじゃあ、世の中の男のたちが私に夢中になるのも分かるってものね。そもそも、私以上に可愛い子なんかこの世にいないと思うけど)



 撫子の通う私立帝明学園は、日本で最も由緒正しい進学校である。

 これまでも数々の著名人を輩出しており、入学が許されるのは、いわゆる富裕層の子どもたちか、突出して才気に溢れた者だけ。


 撫子の父、藤野あざみは日本有数の資産家だった。そのため学園では撫子も一流の令嬢として扱われている。

 しかしその裏の顔は、構成員千人からなる「藤野組」の組長の一人娘である。


 撫子はこの事実を今のところ誰にも告げるつもりはない。

 隠したいわけでもなければ隠す必要もなかったが、今の彼女はこの学園で、別にすべきことがあったのだ。


(さて、今日はどの騎士ナイトを手懐けようかしら)


 撫子にとって男とは、おしなべて自分にひれ伏す恋の下僕なのである。例外は認めない。そしてゆくゆくは、最高の自分に相応しい、最高の婚約者フィアンセを見つける予定だ。


「撫子」

 席に着くと、すぐ後ろから首に腕が回された。帝明学園のエンブレムが入った腕章が目に入る。

「み、ミナト君っ」


 驚いた顔で振り返れば、そこにはびっくりするくらいに整った顔があった。


 帝明高校生徒会副会長。五十嵐いがらし ミナト。


 きらきらとした金髪に芸能人ばりの美貌。ちょっと着崩した制服の悪っぽい感じも、この学校には珍しいタイプでかっこいい。彼といると、自分がまるで少女漫画の主人公のような気持ちになってくる。

 撫子は持ち上がりそうな口角を引き締めて、困り顔を作った。


「びっくりした、急にどうしたの?」

「別に?てか俺に抱きつかれんの、撫子はいやなの?」

「そういうわけじゃ……」


 自分の顔の良さをよくわかっている男の振る舞いに、ついくらくらしてしまう。上目遣いは女の特権だっていうのに、ミナトったらやり手なんだから!そう心で悶えつつ、撫子は周囲に視線を巡らせた。


(なぁんだ。、今日も来てないんだ)


 自分たちの甘いやりとりを見て泣きながら教室を飛び出して行く姿は、いつ見ても爽快だったのに。


(まあいっか)

 撫子はそっと、ミナトの腕をほどいた。

 驚いた顔で自分を見る五十嵐に、火照った頬を隠すように手のひらで押さえ、顔を背ける。


「ミナト君……あんまり近いと、恥ずかしい」


 ほら、ときめくでしょ?

 そんな撫子の思い通りに真っ赤になった五十嵐に、彼女は内心で高笑いが止まらない。

 男の落とし方は、シノギの一つである夜の女たちを見て覚えた。もちろん、撫子を溺愛する父が彼女に”女”を使った仕事などさせるはずもないのだが、男を籠絡ろうらくするのに彼女たちほどの見本はいないと撫子は常々思っている。


「五十嵐」


 声と共に、前の席に荒々しく鞄が置かれる。細縁の眼鏡をかけたクールな青年が静かに怒気を発したまま五十嵐を睨みつけた。


「女子にベタベタ触るな。藤野さんも迷惑してるだろ」

「なんだよ、あずま。もー仕事終わったの?」

「お前が放り出してきたぶんも全部な」

「それはどーも。学年次席は仕事もお早いこって」

「馬鹿にするな。それと、次また会長に迷惑をかけるようなことがあったら、今度こそ生徒会から追い出すからな」

「票が多かったのは俺のほうだっつの」


 帝明学園生徒会といえば、文武両道は第一条件。年に7度行われる試験の成績がトップクラスであること、もしくは生徒会選挙で圧倒的に票を集めた人間だけが所属することのできる特別な組織だ。ここの生徒会に属するだけでほとんどの大学の推薦枠が確約されるとも言われているほど、その名は知れ渡っている。


 加えて今期の生徒会トップ3、副会長の五十嵐と東。

 そして会長の廻神えがみは、それぞれにファンクラブができるほど女子たちからの人気を博しているのだ。

 もちろん三人とも、撫子の婚約者候補である。



「なあ撫子。実は今書記の枠が一つ空いてんだけどさ、生徒会、興味あったりしねえ?」

(――!!)

 五十嵐からの問いかけに、撫子はつい大きく反応しそうになるのをグッと堪える。そしてわざと不安げな声を出した。


「前も言ったでしょ?私、そんなに自信ないの」

「撫子なら大丈夫だって。仕事も難しいのばっかじゃねえし。な?東」

「……まあ、藤野さんなら」

「でも廻神先輩ともあんまり関わりないんだよ?かえって迷惑になっちゃうんじゃ……」


 言いながらこっそりと二人の様子を伺い見れば、思った通り、二人は目配せをして頷きあっていた。


「……会長は君のことを認識してる。とても優秀な女性だと」

「これマジな話な。あいつが女子のこと褒めるの見たの、俺初めてだったわ」


 撫子はとうとう隠しきれなくなった笑みを、両手のひらの下におさめて俯いた。


(やっぱり、私の努力は無駄じゃなかった……!)



 帝明学園生徒会長、廻神えがみ けい

 父親はこの高校の理事長であり、政界にも通じる人物だ。

 もし廻神彗との婚姻が叶ったら、確実に藤野組の力は大きくなる。日本では誰も手が出せなくなるほどに。

 そうすれば父の悲願である、あの小日向組への復讐も果たせるというものだ。


「……ちょっと考えてみようかな」

 呟くようにそれだけ言えば、目の前から歓声が上がった。

「っしゃ!絶対だぞ、撫子」

 五十嵐はぽんぽん、と撫子の頭を撫で、ご機嫌そうに自分の席へと戻っていった。


「あいつ、軽々しく触りすぎだろ」

 ぶつぶつ言いながら前の席に座る東に、撫子はすかさず身を乗り出して耳打ちする。

「ありがと、清四郎せいしろうくん」

 びくっと角張った肩が跳ねた。

「ミナトくん、いつも距離が近いから少し困ってたの」

「……別に。このくらい」

「ふふ。優しいんだね」

 みるみると彼の耳が真っ赤に染まっていく。一番の狙い目はもちろん廻神だが、東 清四郎も代々医者の家系に生まれている。役に立ちそうな駒は多いに越したことはない。


「起立」

 教師が入ってきていつも通りの号令がかかった。

 撫子の機嫌は、うっかり鼻歌を歌ってしまいそうなほどにいい。

 昨日、今日と現れないオモチャ・・・・の存在も気にならないほどに。


 そう。今日もまた彼女の思うまま、彼女が愛されるだけの一日が始まるのだ。

 支配する側とされる側なら自分は間違いなく前者であると、信じて疑わない撫子の日常が、今日もまた――。


「では、転校生を紹介する」


 本当は昨日入学の予定だったんだけど、と添えられた教師の言葉はもう誰の耳にも入っていない。


 なに、

 あれ。



 誰もが目を奪われていた。

 毛並みのいい猫のように、艶やで美しい黒髪が彼女の動きにあわせてふわふわ揺れ、黒曜石の瞳は、まるで宇宙を閉じ込めたように輝いている。


「リオ=サン・ミゲル。よろしく」


 言いながら、彼女は花束を腕いっぱいに抱え、生徒たちの席の間を歩き始めた。


「スペインでは友愛の証によく花を贈るのよ」


 どこか歌うような声音で流暢な日本語を話しながら、クラスメイト一人一人に、微笑みとともに花を差し出す少女。


「日本ではどうやって友人をつくるの?」「あなたの髪型、とっても素敵」「よろしくね」「リオって呼んで」「あなたは、なんて呼んだらいい?」


 彼女が横を通れば甘い香りが鼻腔を掠め、見つめられればつい心がほころぶ。

 まるで絵本から花の精が飛び出してきたかのような、白昼夢でも見ているかのような、そんなぼうっとした雰囲気が教室内に満ち足りていくなかで、撫子にもその順番が回ってきた。


って花の名前よね」

「……ええ」

「ならこれをあげる。一本しかない、特別よ」


 耳の横に差し込まれた花が何か、そんなことは撫子にはどうでもいい。

 ただ。

 目の前の女を殺す方法だけを考えていた。

(負ける)

 この美しさに並んでしまえば、

 この女の前では、自分もそのあたりの女と同じ

(負ける)

 なんの変哲もない虫けら、同然――。


「ッッ!!!」

 本能的に感じ取った敗北を、撫子の理性とプライドは許さなかった。


「帝明学園に、ようこそ。リオさん」


 無理に引き上げた口角はびくびく歪んで鬼のように醜い。

 リオはそんな少女に躊躇ためらいなく手を差し出し、やわらかく、そして底冷えするような美しさで微笑んで見せた。


「よろしく。撫子」


 撫子の耳の上には睡蓮すいれんの花が咲いている。

 白く清廉なその花は、水面下にどこまでも根を伸ばすのだ。深く、深く、貪欲に。泥の中に潜む危険に、少しも気づくことはなく。


(花言葉は、滅亡。

 あなたにぴったりの花でしょう?)


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