生前葬⑨
ぶーっぶーっぶーっぶーっ。
「…っ」
しばらく呆然と立ちすくんでいたところにポケットがいきなり振動し、俺は思わず飛び上がった。
音の正体は会社から支給された携帯電話だった。画面には上司の名前が表示されている。
「はい。横尾です」
「出るの遅いぞ横尾ぉー。今何処にいるー?先方の納期が早まってな、今日中に足場をバラしたいんだ。今から来れんかぁ?」
この状況に不釣り合いな程間の抜けた声が電話越しから聞こえてくる。
「すいません宵越さん、今ちょっと地元に来てるんですが、えーと…その…何て言ったらいいのか…」
「なんだ?何かあったのかぁ?」
「ええ、まあ…。ニュースとか、見てます?大きな地震、起きましたよね。それで、土砂崩れが起きて」
「地震ん?そんなの起きてないぞぉ」
「え、いや、起きて…」
そんなはずはない。いくら村から都市部まで距離があるとしても、これだけ大きな地震なら広範囲に揺れが起きているはずだ。今ごろテレビをつければ緊急地震速報が流れているに違いない。
「お前、仕事が嫌で嘘ついとんのか」
「いや、嘘なんてそんな」
「ならつべこべ言わずさっさと来んかいっ!」
宵越さんはそう捲し立てると、一方的に電話を切ってしまった。
宵越さんは沸点が低く、自分の思い通りにいかないとすぐキレて現場でも暴力を振るう最低の人間だ。酒を飲んでるかどうかの違いだけで、やってることは俺の父と何ら変わらない。結局どこに逃げようとも父の幻影は俺に付いて回るのだ。
「くそっ、この状況でどうやって帰れっていうんだ」
俺は半ばやけくそになって見えない壁を殴ろうとしたが、その手が虚しく空を切り、勢いあまって危うく土砂の中に頭から突っ込むところだった。
「うおっ!…なんだ、外へは出られるのか」
見えない壁は外からの土砂の侵入を防いでいるが、内側からの出入りは自由なようだった。
俺は村から出る道を確認するために、急いでドームの外へ出ようとした…のだが。
「ぐえっ」
不意に何かにシャツを思い切り引っ張られ、強引にドームの中へと引き戻されてしまった。
もうやめてくれ。これ以上はもうお腹いっぱいだ。
恐る恐る振り返ると、時生、礼香、綾音の3人が切羽詰まった様子で俺の腕を掴んでいた。
「なんだ、びっくりさせるなよ!みんな無事でよかった。それより急ぎの仕事が入ったんだ。もう行かないと!みんなもホテルが心配だろ?とにかく状況確かめるためにここから出ないと!」
「孝浩、ここから出ちゃ駄目だ」
「は?なんで。時生、今はふざけてる場合じゃ…」
ぶーっぶーっぶーっぶーっ。
再び鳴り響いたバイブ音が2人の会話を遮った。慌てて電話に出ようとした俺を、腕を掴んで時生が必死に静止する。
「出るなっ!」
「だから、何なんだよ!一体お前らは何がしたいんだよ!」
「孝浩、よく考えて。鉄塔が倒れて基地局も壊れてるのよ?それなのに何で外と話せてるのよ」
携帯を見ると、画面には確かに圏外と表示されている。
「いや、でも、さっきだって宵越さんと話したんだぜ?弱くても電波が残ってるとか」
ぶーっぶーっぶーっぶーっ!
電話は途切れることなく鳴り続けている。さっきの電話は声も話し方も間違いなく宵越さん本人だった。
「お願い、聞いて孝浩くん。ここから絶対に動かないで。あと少しで終わるから。本当は電話にも出て欲しくないけど、どうしても気になるなら良いよ。だけど、何を言われてもここからは出ちゃダメ」
3人のあまりの剣幕に俺は仕方なく外に出るのを諦めると、ひとまず喫緊の問題の解決を図る。
「わかった、わかったからとりあえず電話に出させてくれ」
これ以上宵越さんを待たせると仕事場で何をされるかわかったものじゃない。気が短い宵越さんは待たされるのが何より嫌いなのだ。
「はい、横尾で…」
「てめぇこの野郎ぉ!さっさと電話に出ろやぁ!」
スピーカーから流れる耳をつんざくような声量に俺は思わず顔をしかめる。
「すいません!ちょっと立て込んでまして…」
「あのなぁ、横尾。仕事だぞ?金、貰うよなぁ?なら上司の言うことは絶対だろぉ?」
宵越さんの声色が一転して不自然なほど優しくなる。
「そう…ですね…」
この背筋を這う気持ち悪さには覚えがある。
父だ。殴られた後は大抵優しくなる。電話の向こうに父がいた。
「なら、今すぐに来いよなぁ。お前が今何してても関係ないからさぁ」
この声を聞いている内に呼吸が乱れて息遣いが荒くなってきた。電話越しに父を思い出して体が拒絶反応を示している。おまけに動悸がして、目の奥がちかちかと明滅する。
「はあ…はあ…。や、やっぱり、今っからは…厳しいです…ね。もう、土砂であちこち埋まって」
「なに意味のわからんこと言ってんだお前ぇ!使い捨ての道具が持ち主に逆らってんじゃねぇっ!その歳でこんなとこで働いてんだからお前だってどうせロクな奴じゃないんだろ?酒か?女か?ギャンブルか?それとも前科者か?どっちにしたってもうとっくに人生終了だろっ。積んでんだよっ!そんな奴が俺に逆らってどうなるかわかってんのか?ええ!?殺すぞてめぇっ!いいか…」
「すみませんっ」
終わりのない罵倒に耐えきれなくなった俺は、衝動的に携帯を叩き折ってドームに向かって思い切り投げつけた。飛んでいった携帯はドームをすり抜けると、たちまち土砂に呑み込まれて消えた。
「はははははは!」
その様子が何だかとても笑えてきて、俺は腹の底から笑った。
再びどんっと大きな揺れが起きたかと思うと、俺の立っていた地面に何本もの亀裂が走り、たちまち音を立てて崩れだした。俺は崩落から逃れようとしたが、間に合わずにそのまま真っ逆様に暗闇へと落ちていった。
長いようで短い落下時間の中で俺の脳内にまず浮かんできたのは、俺を苛む過去の記憶だった。
両親の幻影からどうにか逃れたくて目と耳を塞いでいると、いつの間にか俺の隣でみんなも一緒に落下していた。
話しかける間もなく地面が眼前に迫り、少しの浮遊感の後に頭を殴られたような衝撃、全身に走る激痛、そして世界は暗転する。
意識を失う直前、俺はみんなの声を聞いた。
「孝浩、お前はお前だよ」
「そうそう。他人の目なんて気にするだけ損」
「孝浩くん、これからは自分の為に生きて」
次に目を覚ました時、俺は帰りのバスに揺られていた。外はもう日が落ちかけている。霧はすっかり晴れていて、窓に映る景色は随分と鮮明に見えた。
口元から垂れた涎を拭おうとして、それが涙だったと気づく。
あれは全部夢だったんだろうか。全ては曖昧なまま闇に溶けていく。俺は沈みゆく太陽と共に再び眠りに落ちていった。
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