生前葬⑧
カナカナと甲高く澄んだ声でヒグラシが鳴いている。
辺りには俺たちの声しか聞こえない。
平日の昼間とはいえ、周囲が随分と静か過ぎやしないか?
あれだけ大きな地震があったら俺たちの他にも誰か外に出てきてもいいはずだ。
それなのに、辺りには人っこ一人いない。
「なあ、地震もあったのになんでこんなに静かなんだ?みんな出払ってるのか?」
「ああ、実は週末にホテルで村をあげての一大イベントがあるんだ。俺たち以外はみんなホテルでその準備に追われているよ」
時生がさも当然のように言い放つ。
「え、そうなのか。こんな状態で大丈夫なのか?」
「全然余裕。何年この村に住んでると思ってるの?飾り付けとか配置とかは電波がなくてもできるしね」
綾音の話では、倒れた鉄塔や携帯の基地局アンテナの復旧は二日もあれば最低限なんとかなるらしい。この程度の地震や土砂崩れは日常茶飯だそうで、今の山の状態ならホテル周辺の安全性は問題ないそうだ。
「でも、そんな大事な時期に同窓会なんてしてていいのかよ。お前ら経営者なんだろ?」
「いいのいいの。これまで休みなく働きっぱなしだったし。私たちにだって休む権利はあるの」
「いや、だからって俺なんかのために…」
そんな重要な時期にわざわざ俺のために同窓会を開催するなんて、嬉しいを通り越してどこか不気味でもあった。
「あはは、そんな気にしなくても大丈夫。私たちも孝浩くんに久しぶりに会えて力を貰ったし、こうしてイベントの成功を願ってききゅうさまに手を合わせておきたいからね」
優しく微笑む礼香の笑顔にすら何か裏があるんじゃないか。そう思わずにはいられない。
それから暫く無言で歩き続け、一同はききゅうさまのいる場所まで到達した。幸いにも学校を出てからはこれといった揺れもなく、随分と穏やかな時間だった。
村のほぼ中心にある田んぼで囲まれた6畳程の一角。
その柔らかい土の上に俺は今立っている。
ー孝浩ぉ。もっと真剣に手ぇ合わせぇ。
祖母と手を合わせた昔の記憶が再び蘇る。記憶の中の祖母は汗だくになりながら取り憑かれたように何かを繰り返し呟いていた。
たが、大人になってもやはりこの場所に特別なものは感じない。むしろ子どもの頃よりも小さく見えるくらいだ。【ききゅうさま】と書かれた真新しいプラカードは観光客向けだろうか。
「そういや、生前葬って知ってるか?」
隣に立つ時生が俺に耳打ちする。
「元気なうちにお世話になった人を呼んで先に葬式をあげておく、みたいなやつだろ?」
「違う違う、そっちじゃない。うちの村の方さ。ききゅうさまにお願いすると、死後に望みの人に会えるんだ。だからみんな死ぬ前にここに来て、会いたい人を口に出して願うのさ。それを俺たちは生前葬って言ってる」
「救急車が来たら親指を隠すのと同じだろ、それ」
「わははっ、側から見たらそうなのかもなぁ」
相変わらずききゅうさまは万能で、村の生活のあらゆる部分に深く根付いているようだったが、それを聞いても最初の時ほど不快な感じはしなかった。
「さ、みんな、目を瞑って手を合わせて、ききゅうさまに願いましょう」
礼香の合図で全員がききゅうさまに手を合わせる。
俺は薄目を開けて隣を見ると、時生が真面目なな表情でぶつぶつと何かを呟いていた。目の前にいる礼香も綾音も背中ごしからでも真剣さが感じ取れた。
みんなは一体何を願っているのだろう。ああ、イベントの成功か。ならせっかくだから俺も何かお願いしてみるか。
俺もみんなに倣って目を瞑ると、頭の中に願い事を思い浮かべてみる。
安定した生活はどうだろう。
…身分が固定されるからダメだ。
生きるのに困らないお金は。
…結局お金があっても同じこと。
それなら自由?
…そんな大きな願いは無理か。
はは、何をそんな真剣になってるんだか。
いつのまにか彼らに影響されている自分がいることに気づく。
俺が他人と関わりを持たない理由はなんだった?
そうだ。俺の願いは…。
ききゅうさま、ききゅうさま。
もしいらっしゃるなら今すぐ俺の頭の中からあいつらの幻影を消し去って下さい。
願い事を終えて目を開けようとした瞬間、俺を激しい頭痛が襲った。
「俺から」
声が。
「私から」
頭の中に。
「
響いてきて。
「ぐうっ」
割れるような痛みと吐き気で立っていられなくなって、その場に膝から崩れ落ちる。
倒れそうな体を辛うじて腕で支えていると、その様子をみんなが悲しそうな顔で見下ろしていた。
「お…い…」
何とか声を絞りだそうとしたその時、これまでにない程強くて長い揺れが村を襲い、俺は支えを失って地面に倒れ込んでしまった。
うつ伏せに転がる俺をよそに、みんなが俺から遠ざかっていくのを感じる。
すぐに村中に地鳴りのような重低音が響いて、地面を激しく揺らしながら轟音が村全体を覆っていく。
永遠にも思えるほどの長い揺れが収まると、辺りは再び静寂に包まれた。もう蝉の声も聞こえない。あれだけ激しい頭痛も潮が引くように収まっていた。
ふらつきながらやっとの思いで立ち上がると、さっきまでの長閑な景色が一変していた。
「な…なんだよこれ…」
頻発する地震でもともと脆くなっていたのだろう。村を囲む山の斜面が軒並み崩れ、遮るものがないこの村に全ての土砂が流入した。緑だったものが一瞬で黄土色に置き換わる、荒々しく凄惨な光景だった。
大規模な土砂崩れだ。
安全性に問題ないと自信を持って話していた件のホテルは既に土砂に押しつぶされて跡形もなく崩れ去っていた。
ホテルにいた村の住民はどうなった?
それに、さっきまで一緒にいたはずのみんなは。
彼らは逃げきれたのか、それとも土砂に呑まれてしまったのか。
辺りを見回すと、土砂はすぐ目の前まで迫っていた。助かったのは正に奇跡と言っていいだろう。
「おーいっ!大丈夫かっ?」
姿の見えない3人を探して彷徨っていると、ききゅうさまのいる場所から直径10メートルほどの空間だけ不自然に土砂が堰き止められていることに気づいた。
境目に近づいてみると、まるで見えない壁がそこにあるかのように、何もない空間をドーム状に囲うようにして雪崩れ込んだ土砂が堆積していた。
「一体どうなってるんだ…?」
周囲の状況が目紛しく変わり、あまりの変化に頭が追いつかない。俺は今、一体どこで何をしているんだ?
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