下弦 二度目の望月

 翌日、久々の外だった。思い切り伸びをして、光を吸い込む。セミが鳴く真夏だが、暑さもなんだか心地よかった。「昼」という物自体が久しぶりだ。ロビー業務と言われたものの、受付には既に人がおり、「うーん、特に何もないし、お休みみたいなものじゃないかな?」と言われ、ぼーっとしている。

 「直樹?直樹じゃん!嘘!」

 遠くから聞き覚えのある声がした。そちらを見ると、スーツを着た女性二人組が見えた。その片方は、美香だった。走ってこちらへ向かってくる。

 「久しぶり!いやー会えるかもしれないとは思ったけど本当に会えるなんて!」

 「ひ、久しぶり」

 もう片方の女性は美夏へとジェスチャーと口パクで「どうぞどうぞ」と伝えた。

 「何しにきたの?」

 「いやアブソムーン様といえばもう、うちのお得意様だよ。今日は挨拶がてら書類を届けにきたの。いやすごいねあんたんとこの会社!こっそり聞いたけど日本の電力はほぼここが賄ってるらしいよ。だから他社は再生可能なものだけでやってけるんだってさ」

 美夏の早口に気圧されつつも、どうも、と答えた。

 「直樹こそなにやってんの?」

 「いやー、今日はなんかお休み、みたいなものらしい」

 「なにそれ、変なの。あ、そうだ!悠太今帰ってきてるらしいし、みんなでご飯行こうよ!決まりね!電話しとく!」

 「いや、僕明日は休みじゃないし、寮へ帰らなきゃ」

 「なーんだそうなの。じゃあまた休みあったら連絡してよ!待ってる!」

 そこで美夏の上司が出てきて、美香は帰って行った。

 結局その日は日向ぼっこをしているだけで日が傾いてきた。そして寮へと戻ろうとした時、受付の人に声をかけられた。

 「御崎さんから伝言です」一瞬誰かわからなかったが、まあ先輩しかいないだろうという気持ちと同時に、僕は先輩の名前を知らなかったことに気がついた。

 「今日は戻ってこなくていいそうです。明後日まで休みでいいと仰ってました」

 「えっ、そうですか」

 「なので今日はご自宅戻られて大丈夫ですよ」

 突然投げ出され驚いたが、まあ、自宅へと帰ることにした。

 帰り道は右手に見える夕陽を見ながら歩いた。今まで当たり前だったが、その美しさに心が洗われた。

 ドンと急に音が体の中に聴こえた。

 よそ見をしながら歩いていたので、人にぶつかってしまった。急いで謝ろうと顔を見ると、悠太だった。

 「おわっ直樹!?」「えっ直樹?!」

 そこには美夏もいた。

 「二人で何してんの?」

 「ちょうど直樹の話してたんだよ!美香から電話が来てさ」

 「あれ?寮は?いいの?」

 「なんか休みになった」

 「じゃあ今からでもご飯行くしかないじゃん!」

 

 近所の居酒屋に行くことになり、それぞれが飲み物を頼んだ。全員お酒を頼んだが、店員には何も言われなかった。そこからしばらくは久しぶり、ということや学生生活の思い出で盛り上がった。

 「俺ら喧嘩したことあったよな!今思うと笑っちゃうよ」

 「あれすっごく怖かったよ、二人のあんな目見たことなかったもん」

 僕だってあんなに熱くなったことはない。

 「今なら直樹の気持ちも少しわかるんだよな、上司ムカつくし、親が上司でしかもそれが小さい時から確定してたらグロいわ」

 「僕も悠太の気持ちがわかるよ、あの時はごめんね」

 「俺こそすまなかった」

 少ししんみりしたが、僕も悠太もスッキリした部分があった。

 「うわあ!いいねえこれが見たかった!いや私あの頃二人のこと好きだったの、恋愛としても」突然の告白に、悠太が大きく笑った。

 「どっちかといえば、どっち?」

 「えー直樹かなー」悠太が大袈裟に悔しがった。思わず笑ってしまう。

 こんなに楽しいのは学生以来で、とても幸せな気持ちになったのを感じた。

 

 「直樹、ごめんな、本当にごめんな。御崎も、すまない、本当にすまない」聞き覚えのある声がする。が、あまり思い出せない。

 

 朝、久々に自宅で起き、夢かと一瞬勘違いした。そして兄の顔を見た気がしたが、あれこそは夢だったんだろう。リビングへ行くと母がいた。机の上にはご飯が用意されていた。

 温かいご飯に思わず涙が出た。キッチンを見ると、笑顔で親指を立てる母親がいた。

 その日、僕は一番いい牛肉を買い、夜はすき焼きを母と食べた。

 「直樹のおかげでこんないいものが食べられたわ、ほんとうにありがとうね」母は泣いて喜んでくれた。僕も少しだけ恩返しができて嬉しかった。

 

 「もう帰っちゃうの?」玄関で母親が少し寂しそうに言った。

 「うん、ごめんね、呼ばれちゃって」

 嘘だ。なんだか仕事に行き、またあの異常空間での日々に戻るのを拒む気持ちが芽生えていたので、怖くなって今夜から会社に行くだけだ。

 会社へ向かう道中、もうすっかり日は沈み、空には満月があった。本当の満月はとても遠く、僕らに干渉はせず見ているだけだ。本当はこのぐらいの距離がいいのかもしれない。

 会社へ着くと、受付に「あらもう戻ってこられたんだ」と言われ、曖昧に返した。エレベーターに乗り込み、地下へと向かい、重い扉の前へ着いた。自分で戻ってきたものの少し憂鬱だなと思いながらメーターを見ると、明らかに数字がおかしかった。二日で作れる電力を大幅に超えていた。違和感を感じながらもドアを開けようとした時、中から声が聞こえた。

 少しだけドアを開け、中を覗いた。すると、先輩ではない知らない背中が座り込んでいた。かなり痩せていて白髪。怖くて見ていることしかできなかったが、泣いているようだった。近づくのも怖かったので、その日はドアを閉めて寮へ戻り眠った。

 次の日月の元へ行くと、もう怪しい人はいなかった。そして、先輩もいなかった。

 先輩の部屋をノックしても返事がない。鍵がかかっていないのでドアをゆっくり開いた。中はがらんとしていて、モデルルームやドラマのセットのように思えた。生活感が一滴もない。

 湖の前へ行くと、なんだか湖が前よりも大きくなっているような気がした。確証はない。よく見ると足元に空き缶が落ちていた。その空き缶の口に紙が刺さっている。紙を開くと、一行だけ文があった。

 「久しぶりに感じた、人と飲む酒は美味かった。」僕は読んですぐに負の感情群に支配された。先輩はどこへ行ったのか、死んでしまったのか、そしてそれを分かっていたのか。

 いや、分かっていたんだろう。だから仲良くなろうとせず、しかも僕に突然休みを与えたんだろう。僕はその空き缶を、部屋に飾った。

 僕は使命感みたいなものを感じた。この仕事は続ける。そうすれば先輩が居なくなってしまった何かが掴めるかもしれない。


 だが、それからは日々ゆっくりと心が何も言わなくなるのを根性で食い止めるのが続いた。起きてコインを投げ、あとはここでただ座っている。支給される食料も食べる回数は減っていた。酒に関しては、口をつけることがなくなった。少しづつ満ちる月にも気付けなくなっていた。真っ暗な部屋に月明かりで一人。一生夜が続くような気分で、辛い。

 ある日から毎日、夢を見るようになっていた。

 助けて、という声が聞こえ、そこへ走って行くと、無数の人間が湖に浮いている。

 助けてという声も重なり、誰の声かもわからない。そこに僕が近づこうとすると目が覚める。

 

 半月になった時、面会の希望が強く出ていると手紙があり、地上に出た。その相手は悠太だった。会議室を借りてそこへ向かい合って座った。

 「俺を雇ってくれないか」

 話を聞くと、壮絶だった。母親が重病に倒れ、弟の一人はグレて黒い関係ができ、あまり帰ってこなくなった。もう一人は片親を理由にいじめを受け引きこもるようになってしまった。そして、悠太自身も社内で起きたセクハラの罪を上司に擦りつけられて解雇となってしまった。

 「助けてくれないか」困惑したが、流石に放っておくわけにもいかない。僕は部屋を出て、受付の人に声をかけ社長を呼んでもらおうとした。

 「どういったご用件ですか?」

 「友人を紹介したい」

 「直樹さんなら独断でもいけますよ。書類をお渡しするので記入いただいてください。それで大丈夫です」

 書類を受け取り、直樹に渡した。

 記入が終わり受付に渡すと、部屋は空きがあるのでそこを使ってくださいと言われた。

 

 地下へ行き、仕事の説明をした。そうすると悠太が話し出した。

 「俺、前の時に家族が自分の願いを叶えて欲しいってお願いしてコイン投げたな」

 「そうだったんだ」

 「なんでこんなことになっちゃうんだよ」

 悠太の目には涙が滲んでいた。僕はなんと声をかけたらいいかが分からなかった。

 「お前はなんて願い事したんだよ」

 「…僕は、何も思いつかなくて、何もしてない」

 「無欲な人間が偉いんだな、結局」

 僕と悠太は湖へコインを投げ、その日はあまり話さず眠った。

 

 

 月は気づくとかなり満ちていた。悠太がここへやってきたものの、苦痛の日々は何も変わらなかった。淡々と折って重なる日々はさらに味のしなくなった紙切れだ。

 そんな時、母が倒れたと連絡が来た。僕が病院へ駆けつけると、いつもの母の見た目はしているが、なんだか違うもののように見えた。呼吸器をつけ、点滴に繋がれ眠る母を見て、苦しかった。医者の話では回復というより現状維持と考えてくださいと言われた。

 そこへ、息を切らして知らない男性がやってきた。母の姿を見るや否やその場で崩れてしまった。それはあの日、泣いている背中を見た男だった。

 「久しぶりだな、直樹」

 それは記憶にある父の声だった。僕は瞳孔が開くのを感じた。体の中にいる虎が駆け出したのを感じる。

 「お前っ…」僕は思わず掴みかかった。掴んで浮く父の体は軽く、覇気のない涙目が僕を見つめた。僕は手を離した。

 「今まですまなかった」

 そんなんで済ませてたまるか、と喉まででかかるが耐える。

 「全部聞かせて」

 父は頷き、話し始めた。

 

 父の持っていた土地には池があった。そこに僕と兄がふざけてメダルを投げたことがあった。次の日、池は広がっており、水面には光が揺れていた。反射というより浮かんでいるような形で。そしてまたある日、家に科学者や実業家と名乗る人達がやってきて研究や工事をさせてくれ、金なら払うと。父の家は貧乏で、膨大な金がもらえると聞き、承諾した。そこからあっという間にビルが立ち、気づくと会社ができていた。


 そしてある日、土地の所有者である父を社長にしたいという話が来た。父は喜び社長になった。そこで見た池は湖ほど広く、コインを投げるとエネルギーが生まれる。

 この湖は願いを叶える。ただ絶望も振りまいてしまう。様々な研究者がこの湖で不可解な転落死をとげたり、自殺してしまった。とても危険なものだ。こんなのがバレてはいけない。あなたは我々の指示に従い、エネルギーを内密に生み出し続けろ。

 しかし、社員を雇うも次々直ぐに亡くなってしまう。そこで親友に頼むことにした。親友は死ぬことなく作業ができた。成功だった。

 だが、だんだん異変が起きた。親友の家族や親友の周りの人物が自殺など不幸な目にあっていった。

 そしてある日、親友も死んでしまった。

 その日父は夢を見た。親友がせめて死ぬ時がわかれば、と嘆いていた。次の日湖の上には大きな三日月があった。どうしたらいいか分からなかった父は、なるべく家族に迷惑をかけないように家へ帰るのを辞めた。

 時が経てばこんなものなくなると思い、見ないふりをしつづけた。

 そして、ここまできてしまった。

 

 父は僕に土下座をした。父は思っていたより、普通の人間だった。じゃあ怒りはどこへ向ければいいのだ。

 僕が病院から出ると雨が降っていた。激しい雷雨だった。傘を刺さずに僕は会社へと戻った。僕には居場所がもうここにしかないんだと悟った。すれ違いざまに主婦の噂話が聞こえた。

 「あそこの娘さんの美夏さんていたでしょ?あの子母親を殺して、逃げようとして車に轢かれちゃったらしいのよ」

 「あらー、でもあそこの娘さんて宗教にハマって、会社クビになってひきこもってたんでしょ?」

 「こんな真夏だしついに頭変になっちゃったのね」

 頭がズキンと痛む。吐き気さえ伴うほどに。違う、きっと最悪なことが続いて何か思い込んでいるだけだ、それかあの美夏じゃないかもしれない。僕は走って会社へと戻った。

 急いでエレベータのボタンを連打し、地下でも走り、重い扉を開け月と対面する。

 月は完全に満月になっていた。悠太が慌てる僕を見て心配する。

 「どうしたんだよ」

 僕はその場で座り込んで泣いてしまった。声を出して泣くのはいつ以来なんだろうか。

 それを見て悠太がゆっくり話し始めた。

 「俺、家族が変になっちゃったけど、俺のせいだと思うんだ」

 それを聞いて自分で絶望という文字が浮かんだ。全て俺のせいなのに。

 「母親が早く死にたいって言ってたのをこっそり聞いたことがあるし、上の弟は早く家を出て家族に関係なく金を稼ぎたい。下の弟はできるなら家から一歩も出たくないって言ってたよ。な、叶ってると思えなくもないんだ」

 悠太はそんなこと言いたくないし、思い込むのさえ苦しいとわかるのに僕には何もできない。心を中心に体が引きちぎれそうなほど苦しかった。

 悠太が落ち着くために今日は寮に戻ろうと言い、僕も素直に従った。だが、頭の中はどうすればこれを終わらせられるのかをずっと考えていた。

 悔しくて壁を殴った。飾っていた缶ビールの空き缶が床に落ちた。

 瞬間、頭に声が響いた。

 「お前はどうしたい」

 僕は気づくと月の前に、湖の前に立っていた。望月が赤く眩しく輝き、僕を睨みつけている。

 湖面にはたくさんの人間が浮いている。その真ん中には兄もいる。兄は目を開きこちらを見たが、申し訳なさそうに背けた。僕が終わりにするしかない。

 「僕はもうこんなこと終わりにしたい。こんなもの無くなるしかない」

 「お前に残された希望をもらうぞ」

 「なんでもいい」

 突然頭の中に走馬灯のようなものが流れた。月の真実を知った父が唇を噛む姿。兄がポケットからコインを取り出し、泣く姿。病床の母の意識がなくとも目から溢れた涙。美夏が包丁をゆっくり手に取り、全てを諦めたような表情。悠太の家族の苦しみ、悠太自身の苦しみ。全てが自分ごとのように伝わり、早く辞めて欲しいがいつ終わるのかも分からない。

 駄目だ、耐えられない。そもそもこの世界自体が狂っているんじゃないか?

 僕が悪いのではなく、世界が悪いんだ。僕はなんなら一番苦しんでいる。不公平だ。

 他のやつも味わえよ、このくらい大きな絶望を。ずるいだろ。

 

 

 悠太が目を覚まし、寮を出ると、湖はかなり広がっていた。

 手を広げ、コインを掴み、放った。悠太は湖の前で体操座りをしていた。

 直樹のことは覚えていなかった。


 地上では、たくさんの場所で池が突如発生した。池の中と池の周りには無数のコインが落ちている。これからこの会社は破綻し、各地で得体の知れない池が湖となってしまうだろう。希望を与えてくれる湖。絶望も与えてくれる。希望か絶望かわからない種がその辺に落ちているより、ずっといい世界になったね。直樹。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

絶対の望月 水川杏 @MizkawaAnz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ