第19話 ウーマンコミュニケーション(2)
「俺には……君と違って、肉親がいない」
頭を下げるフローネを眼前にして、無意識的に、そう呟いていた。
「え……?」
フローネは面をあげて、怪訝そうな目で俺を見上げた。目元には、涙で赤い痕がついている。
「七歳のころに両親をテロで失い……親戚もいなかった孤児の俺を拾ってくれたのが、師匠だった」
「俺は、師匠の元で剣を習いながら、同門の兄弟弟子たちと生活した。同じ釜の飯を食って、千葉の師匠の屋敷の離れで、布団を並べて寝た」
「もしも俺に家族と呼べるものがあるのなら、きっとあいつらの事なんだと、今なら思う……」
だが、驚いているのは俺も同じだ。
いったい、何を言っているんだ、俺は。
少女の依頼を、断るのではなかったか。
それがどうして、こんな長ったらしい自分語りをしているのか。
「……師匠に拾ってもらったあの日、自分は生きてていいんだと思えた。自分は幸せになれると、そう信じる事ができた」
「剣の修行は厳しかったけど、近くに仲間が居たから耐えられた」
「……まぁ、中には修行の途中で道場を飛び出した奴も居たけれど」
「それでも……みんながいたから、俺は今まで生きてこれたんだ。血が繋がった家族じゃなくても……俺にとっては、大切な人たちだった」
言葉は次々と俺の口から出てきて、止め処なかった。まるで、酔っ払ってぺらぺらと口が回った時のようだった。
「……」
フローネは突然俺が口を開いたことに驚きながらも、俺の話をしっかりと聞いている様子だった。
彼女からしたら、俺の今の話は全て、彼女の求めるところのボディーガードの依頼とは全く関係のない事なのだが、彼女はそれでも俺の話したいままに話させてくれている。
あるいは彼女自身、俺の過去に興味があるのだろうか。
「だが……幸せはそう長くは続かなかった」
「……全員、殺された。師匠も、門下生も」
「えっ」
フローネの目が見開かれ、驚愕の色を持つ。
「それだけじゃない。師匠の娘である、俺の恋人もヤツに傷つけられた。……俺の、この右腕もな」
フローネの前に右腕を差し出し、手袋を取る。手袋の下の銀色の
「殺したのは俺と同じ門弟の……鶴見ガンダという男だ。三年前、赤い雨を浴び、怪人となったアイツは乱心し……師匠と門下生全員を、殺した」
俺はフローネに構わずに続けた。
「な……なんでですか。なんで、その、鶴見?っていうヒトは、そんな事を……仲、悪かったんです?」
「……まさか。一番の親友『だった』よ。あんな事が起きる前は……喧嘩だって殆どしなかった」
「なら、どうして」
「……わからない。わかるのは、ただ一つだけだ。あいつは……
俺は右腕の手袋を着け直し、拳を握った。
思わず力を込めすぎて、
「だから俺は……あの男と決着を付けなくてはならない。仲間と、師匠と、エヴァの仇を取る為に。……約束を守る為に」
「……それが、あなたがこの街に来た、本当の理由ですか……」
「ああ。俺は、この街で鶴見ガンダを殺す。その為に、ここまで来た」
「……………………」
返答の後、しばらく、部屋の中は沈黙に包まれていた。
「……すみませんでした」
ややあって、フローネが気まずそうに、ようやく口を開く。
「何を謝る」
「あなたに仕事を頼もうとした事です……まさか、こんなに重たい事情があるなんて知らず……迷惑、でしたよね?」
「……?どういう意味だ?」
フローネの態度がしおらしくなった事に、俺はこのときようやく気がついた。
「何というか……自分が一番不幸なんだ、って思い込んじゃって。……わたしよりも……沢山のものを失った人がいるって思い知らされたというか……はは……ちっぽけですねぇ、わたし」
フローネは僅かに諧謔的な笑みを浮かべながら気まずそうに、そう言った。
──今の彼女の言葉に、嘘は無いだろう。
彼女は、俺の抱えた悲劇と自分の悲劇の大きさを比較して、俺にボディガードの依頼をした事を後悔したのだ。
自分よりもより多くの大切なものをを失った人間を、
「……わたしに諦めさせるために、自分の過去を話してくれたんですよね、スザクさん。背負っているものの重さを、分からせる為に」
「いや、俺は──」
「その、依頼の話なんですけど……」
言わなくともわかる。
フローネは、依頼を断るつもりだ。
俺以外に依頼の当てがある訳でも無いのに、この少女には、この状況で自ら身を引く、そういった物分かりの良さを持っていた。
「……ああ、受けるよ」
「え……?」
だから俺は、彼女の言葉を遮って了解の意を示した。
予想だにしない答えに、フローネは目を丸くしていた。
「きみの依頼を受ける」
「……うっそ!」
念を押すようにもう一度言うと、フローネは目に見える程に狼狽えた。
「い、いや……だって今の流れ、完全に断る時のじゃないですか!あんな背景聞かされて仕事頼むほど、わたし図々しく無いですよ!?」
「いや……今のはただ、俺が自分の事をきみに話しておきたかっただけだ」
「話したかっただけって……なら、なんでですか?なんで、私を守ってくれるんですか?」
さっきは全く考えなしに自分語りをしてしまったが、おかげで、自分の考えを見直す事ができた。
俺にとって一番大事なことは、鶴見ガンダを殺すこと。それは間違いない。
師匠や仲間の仇を晴らす為、何より、エヴァとの約束を果たす為に、余計なリスクを抱え込むべきでは無い。
「……多分、同じだからだ」
だが、だからと言って目の前の少女の頼みを無下にしてもならないのだ。
それは、俺が目指す剣士の姿ではない。
「同じって……?」
「……」
つまるところ、大切な人を亡くして頼る相手もどこにも居ない、かつて、孤児だった頃の自分と、フローネの境遇にシンパシーを感じた──要は結局、同情してしまったのだ。
それでも、剣士としてよりも、人として、この少女の願いを叶えてやりたいと思ったのだ。
かつて俺が師匠に助けられたように、俺も、この少女を助けられたら、と。
「とにかく、俺は君を『アリーナ』まで連れて行く。約束するよ」
それに、少女の姉が遺したという『情報』も気がかりだ。
少女の姉がJMS前社長夫妻の死の真相を追っている中で行方不明になったという事実は、その真相のドス黒さを裏付けている。
特にJMSは、怪人を軍事産業に初めて組み込んだ事で多大な利益を生み出した大企業だ。
怪人が関わる以上、真実を明るみにする事は、
「本当に大丈夫なんですか?後になってやっぱりダメなんて、イヤですよ、わたし」
「安心してくれ。
握手を求め、フローネの前に左手を差し出した。
「……分かりました。でもわたし、サムライなんてよく分からないものは信じませんからね」
フローネは少し躊躇い、
「……あなたを信じて、この手を取ります」
そう言って、俺の左手に、自身の右手を──。
その時だった。
刹那、俺の全身を貫くような、鋭い感覚が襲った。
その感覚は俺にとっては慣れ親しんだもので、同時に、日常の中では決して向けられることの無い、強い感情を向けられた時のものだった。
それは、殺意。
「──窓から離れろ!」
俺は叫んでフローネに呼びかけ、足の間に置いていた『
「えっ」
フローネは状況を理解出来ずに、呆けた顔で固まっている。
くそ、これが『足手まとい』という事か──。
俺はフローネを庇う為に前に躍り出て、窓の彼方から来る『殺意』に対し備えようと──。
その数瞬前に。
窓ガラスを割りながら、そいつは部屋に飛び込んできた。
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この回は難産でした。
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