ホテルにて

第18話 ウーマンコミュニケーション(1)




「さて、何から話しましょうか?」




 通されたホテルの部屋の、シングルソファに腰掛けて少女は言った。


 手の中には、先ほど俺から掠め取った携帯電話端末スマートデンワが握られている。


 少女に案内されたホテルに来るにあたって、タクシーは道にそのまま置いて来た。


 乗り続ければそのうち怪人衛兵サツに足がつくだろうし、鶴見ガンダに見つからないよう怪人街を移動するには目立ち過ぎるからだ。


「……」


 監視カメラや盗聴器などが無いか、部屋の中を軽く見渡す。


 小さなビジネスホテルの狭い部屋だが、部屋の中はきちんと掃除が行き届いていた。


 備え付けのテレビや冷蔵庫、照明やカーテン、シングルのベッドも見たところ質が悪いものではない。


 廊下やロビーも決して高級ではないが上品なインテリアが飾られており、フロントの接客態度も悪く無く、まるで壁の外の世界と大差ない──どころか、中々の品質のサービスをこのホテルは提供していた。


 その中で。

 一際目立つ物品があった。


 ベッド近く、木製のチェストの上に、拳銃が置かれていた。

 おそらく少女のものだろう。


 安価で使いやすい事で有名な種類の機械拳銃マシンハジキで、あまり使われていないのか、黒い塗装の本体には剥げ汚れもなく、弾薬がビニール包装のまま数箱、傍に置かれている。


 落ち着いた雰囲気の調度品の中に置かれたその武器が、ここが怪人街である事を否応なく思い出させた。




「あ、そういえば椅子が無かったですね。えーと……すみません、取り敢えずベッドに腰掛けてください」


「ああ」


 監視カメラの類が室内に無いことを認めると、俺は少女に促されるままベッドに腰掛けた。


 『銀鱗』は壁に備え付けられたハンガーに掛けておき、『千秋せんしゅう』は腰のベルトから抜いて、いつでも抜けるように足の間に立て掛けて置く。


 ベッドに座ると、隣に置かれていた姿見に、スーツ姿の自分が映っている。

 相変わらず、冴えない顔だと思った。


「えっと、それじゃお互いの自己紹介からでいいですか?」


「ああ」


「わたしは海老名フローネ。首都キャピタル千葉の小学六年生、です」


首都キャピタルの?すごいな、きみ。お金持ちなのか?」


 思わず声が出た。

 三十年前、初めて地球に『赤い雨』が降り注いだあの日──『第一次怪降雨』による東京都民全員の怪人化と、それを脅威と見た米国の核攻撃によって東京都が物理的に消滅してからは、日本国の首都は千葉県千葉市となっている。


 俺自身千葉で育って来たとはいえ、首都キャピタルたる千葉市に住めるというのは、少女の──海老名フローネの家庭が相当な上流階級であると判断せざるを得ない材料だ。


「お父さんとお母さんがいっぱいお金持ってただけですよ。……結構、それで苦労してるんですから。次。そちらが、どうぞ」


 フローネは携帯電話を持っていない方の掌をこちらに向けて、俺に話を促す。


「……俺の名前は小田原スザク。剣士サムライをやっている」


剣士サムライ……?って、まさか、江戸時代の侍じゃないですよね?あれ、もしかしてわたしからかわれてます?」


「──剣士サムライは、言ってしまえば怪人殺しのスペシャリストだ。国や企業から依頼を受けて、怪人を倒して報酬を得ている」


「あ、なんだ。要はただの怪人狩りかぁ」


 合点がいった様子で、フローネはポン、と手を打った。


「……怪人狩りとは違う。あいつらはただ金の為に怪人を狩るだけの俗物だろう。剣士サムライは、人を衛る為に怪人と戦うんだ。その為に修行を積んで、剣士サムライとしての厳しい誓いを守り──」


「でも、結局やってる事はお金貰って怪人殺してるだけなんじゃないですか。なにも変わりませんよ」


「……」


 生意気な口調で言葉を遮るフローネにほんの少しだけ苛立ちを覚えなかった訳ではないが、いちいち怒っては話が進まない。


 このまま、自己紹介を進めるとする。


「……俺がこの街に来たのは、ある男を殺す為だ。その為に俺は『アリーナ』を目指している」


「あ、わたしと行くとこ同じじゃないですか。ちょうどいいですね」


「待て待て、まだきみと組むと言った訳じゃないぞ。……次はきみの番だ。きみが持つ情報や目的、お姉さんのこと。話してもらうぞ」


「……はい」


 『お姉さん』と言ったとき、明るかったフローネの表情が、僅かに曇るのを感じた。


 フローネは、やや自分の体格より大きめの椅子から垂らしていた足を組むと、


「わたしのお姉ちゃん、ジャーナリストって、さっき言いましたよね?」


「ああ」


「お姉ちゃんがジャーナリストを目指すようになったのは、両親が死んだ時の事なんです。私の両親、火災の事故で亡くなったんですけど……お姉ちゃんは、そう考えていなかったみたいで。いつか、両親の死の真実を明かすんだって、よく言ってました」


「……どうして君のお姉さんは、そんな事を?」


「──まず、両親は、民間軍事会社の経営者だったんです。知ってます?『JMS』って所なんですけど」


「──『JMS』だと?世界最大規模のPMCじゃないか!」


 ジャパン・モンスター・セキュリティ、略称JMS。日本最大規模の民間軍事会社だ。


 怪人の出没により世界中の治安が悪化した結果──また日本国においても東京都の消滅に由来する国力の低下により、諸外国に対する抑止力としての民間軍事会社の需要が高まった事で、今やJMSを始めとする軍需産業は、日本を代表する巨大資本の一つだ。


 米国や中国などの大陸を差し置いて、ノウハウが無いはずの日本が何故、世界トップクラスに軍需産業を伸ばせたのかは、いくつかの要因が絡むのだが──。


「まさか、JMS前社長の事故死って──」


「はい、わたしの両親のことです。……世間じゃ何故か、殆ど報道されなかったようですけどね」


 そう言うと、フローネはなんででしょうね、とわざとらしく肩をすくめた。


「──両親が死んだ時のこと、わたしは小さかったのであまり覚えていないんですが、お姉ちゃんはずっと、調べていました。そしてある日、理由も言わずに怪人街に飛び出していって……」


「きみは一人、残されたわけか」


「はい。……それでも毎日、メールで無事の連絡はしてくれていたんですけど、一週間前に一度、留守電を入れてきて。……それ以降は、ぷっつりと連絡が途切れました。『アリーナ』に重要な情報のバックアップを残したと、そう留守電に遺して」


 フローネは少し俯き気味に視線を沈める。沈んだ視線の先には、机の上の拳銃ハジキがあった。


「……わたしがこの街に来たのは、お姉ちゃんが遺した『情報』を手に入れる為、そして出来れば……お姉ちゃんと会う為です。その為なら、なんだってやる。両親の遺産の残りを全部使ってでも、銃を手にしてでも……絶対に。だってわたしの、最後の肉親ですから」


 フローネの話が真実ならば、おそらく彼女の姉はおそらくもう、生きてはいまい。


 フローネにもそれはわかっているのだろう。

 まだ彼女とは少ししか話をしていないが、フローネには年齢の割に話の受け答えが出来る、確かな聡明さがある。


 その聡明な彼女にとって、怪人街に入る事はどれだけの勇気が要る決断だっただろうか。

 どれだけ、怖かっただろうか。


「……どうか、おねがいします」


 フローネは椅子から立ち上がり、こちらに頭を下げた。


「わたしを助けて下さい。……報酬は、両親の遺産を全て差し上げます。この街にいる間、あなたの言う事を全部聞きます。どうかわたしを、『アリーナ』に連れて行ってください」


「…………」


 俺は答えず、ベッドに座ったまま、フローネの後頭部を見下ろしていた。


「……周りの大人は、誰も信じられなかった。両親の遺産を狙って、会ったこともない親戚も、会ったことのある親戚も、みんな、みんなわたし達を利用しようとして……その度に、守ってくれたのがお姉ちゃんなんです。大人を相手に、わたしを守ってくれてたんです」


「お姉ちゃんが居なかったら、わたし、ひとりになっちゃう。だからわたし、ひとりでここに来たんです。自分しか、信じられなかったから」


 フローネの声が、震えた。

 こちらからは後頭部しか見えないので表情は伺えないが、よく見れば、少女の顔の下、グレーの絨毯の上に、涙が溢れたものと思われる水滴が、ぽつぽつと降り始めていた。


「でも、あなたは……何の得もないのに、さっき、わたしを守ってくれた。わたしが何者かも知らずに……あなたは、あいつらと戦ってくれた」


「あなたなら、信じられる……信じたい。どうか……お願いします。どうか……」


 涙で濡れた声で、少女は嘆願する。


 ──だが、はっきり言って、俺に少女の依頼を聞くメリットは皆無だ。


 俺の目的が鶴見ガンダの暗殺である以上、共に動く人員はなるべく少なく、目立たない相手の方がいい。


 二十代の男と小学生の少女が行動を共にすれば当然、目立つ。足手纏いにしかならない、子供を守りながら戦うなど、言語道断といえる。


 少女が持ち出して来た報酬の遺産も、俺にとっては無用だ。


「…………」


 ここはやはり、必死に頭を下げる目の前の少女を無理矢理にでも壁の外に返すしかなさそうだ。


 たとえ少女に、信頼できる身内がもう誰も居ないとしても、たとえ少女の思いを踏み躙ってでも、たとえ、たとえ──。


「………………………………」


 たとえ相手が、年端もいかない天涯孤独の少女だとしても──。


 同情しては、ならないのだ。



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