第17話 うしろに立つ少女(2)




「覚えてろよッ野郎ーッ!」


 捨て台詞と共に、カモノハシ女がビルとビルの間の壁を蹴って、三角跳びの要領で路地裏のより奥へと逃げて行く。


 俺は遠くのカモノハシ女に向けて、カラになった右手を掲げ、『真言マントラ』をとなえた。


「『内功』・『流転』──」


 体内で発電した生体電流が、右手に集う。

 掲げた右手の照準は、空中のカモノハシ女。

 射出口は、『銀鱗』の袖。


 『銀鱗』の三つの特殊機構の一つ。

 それは、コート内に仕込まれた極細ワイヤーと、その射出ギミックだ。


 射出したワイヤーは自在に伸長・巻取りが可能であり、主に捕縛と、先端につけられたアンカーを引っ掛ける事による移動の補助が目的の機能である。


 推力は闇黒電剣流エレクトロニック・アーツによって発生させる、電磁力。


 『インドラ』のレールガンと同じ原理で放たれるワイヤーの速度は、カモノハシ女を容易く貫く、銀色の流星となる。




「──『電磁撃いかずち』」


 ワイヤーが射出され、ビルとビルの間の小さな夜空に一本線を引くように、カモノハシ女の背中へと伸びていく。


 これぞ、闇黒電剣流・我流無刀奥義『電磁撃いかずち』。

 手の中のアルミニウムや鉄などの鉱物を電磁力で飛ばすだけの、簡単だが強力な技である。


 袖から放たれたワイヤーは、凄まじいスピードで彼方のカモノハシ女を追いかける。


 ワイヤーがカモノハシ女に到達するのに、あと10メートル。

 あと5、3、1メートル──。




「……邪魔だ!」


 しかし、ワイヤーがカモノハシ女に到達する寸前。

 女は向き直り、ワイヤーを叩き落とそうと腕を振った。


 背後からのワイヤーを、カモノハシ女は如何にして感知したのか──。


 俺には知る由も無かった事だが、カモノハシ女のくちばしの生体電流センサーが、ワイヤーが纏った電磁力を感知した為である。

 



 とはいえ、問題は何も無い。

 カモノハシ女がワイヤーを弾こうと、腕がワイヤーに触れた瞬間。


「──があああああッ!」


 カモノハシ女は感電した。

 当然だ。ワイヤーは、電磁力を纏って放たれたのだから。

 そしてワイヤーは発電機たる俺と、繋がっているのだから。手袋も無しに触れれば感電する、それだけの事である。


 ビニール袋が破裂するかのような感電音と共に、カモノハシ女は身体の表面に赤黒く焦げた火傷を負いながら、地面に顔面から墜落する。


 数回ほど、感電による筋収縮で手足をバタツかせたあと、カモノハシ女は動かなくなった。


「──まぁ、この程度か」

 何の達成感も無い勝利ではあるが、目的であった『銀鱗』のテストは概ね出来たので良しとしよう。

 伸び切ったワイヤーを巻きながら、背後の少女の方へ向き直る。


「ひっ……」


 目が合うと、狼狽えたように少女は短い悲鳴をあげた。小動物を思わせる、黒いショートカットの下の大きな瞳は、俺への警戒心を帯びている。


「きみ、ここにはどうやって来たんだ?人間の子供が迷い込むような場所じゃないと思うが」


 警戒を解く為、俺は少女から数歩下がり、屈んで視線の高さを合わせてから、尋ねた。


 怪人街の全容は俺には未だ知れないが、こんな夜中に、ましてや人間の少女がぶらつくような場所ではあるまい。


 この少女は怪人により誘拐されたか、あるいは人身売買組織によりこの街に売られたのだろう──いずれにせよ、人間として、剣士サムライとして、この少女を保護するべきだ。


「え……えっと……」


 少し落ち着いたのか、少女はどもりながらも会話する意思を見せた。


「…………」


 しかし、驚いて言葉が浮かばないのか、あるいはまだ俺を警戒しているのか、少女は言葉を続けるのを躊躇っているようだ。


「──親はいるか?君が望むなら、今だったら壁の外に連れ出してやれるぞ。警察に保護してもらうよう、仲間に頼んでもいい」


 まだ第8ゲートの方にはレイディンが居るはずだ。あのような別れ方をして気まずくはあるが、彼女を通して『商会』に依頼すれば、この少女を自宅まで送り届ける事も容易いだろう。


「親はいません。お姉ちゃんが……」


「お姉さんがいるのか。電話番号とか、連絡先は分かるか?」


「えと……そうじゃなくて……わたし……わたしを……」


 少女の視線が当惑の色を見せている。はっきりしない物言いに少しやきもきしたが、辛抱強く待つ。

 やがて、少女は何か意を決したように顔を上げる。少女の大きな瞳と、目が合った。




「わたしを、ボディガードしてくれませんか?お金なら、払いますから……」


「……なんだって?」


 予想だにしない少女の発言に、思わず自分の眉根に皺が寄ったのを感じた。


「わたし……『アリーナ』に行かなくてはならないんです。ある『情報』を手に入れるために。……あなたがすごく強いってこと、今の戦いでわたしにもわかりました。だから、お願いします。わたしのボディーガードになって、『アリーナ』まで連れて行ってくれませんか」


 少女がこちらに向けて、ぐいぐいと食い気味に身を乗り出してくる。

 やや少女の顔が近いので、手で少女を制して、立ち上がって距離を取った。


「ちょっと待ってくれ……『アリーナ』に行きたいってどういう事だ?その情報って、どういうものなんだ?」


「それは、ここでは言えません。でも、早く確かめないといけないんです。他の誰かに消される前に、わたしが」


 少女の瞳が、俺を見上げる。

 背丈はおおよそ145センチほどか。小さな少女の大きな瞳は、藁を掴むような必死さを俺に訴え掛けていた。

 

「……悪いけど、その情報がどんなものか分からない以上、きみの頼みは聞けないな。それに、俺にもこの街でやる事がある。きみを外に連れ出すまでは面倒を見るから、後の事はお姉さんとやらに相談してくれ」


 俺は、白コートの内側から携帯電話端末スマートデンワを取り出し、レイディンに連絡しようとする。


「……お姉ちゃんは、もういません。多分、死にました。『アリーナ』で。」

「……!」


 だが、黒い少女の言葉を聞いて、番号を打電する指を止めた。


「それは……すまない」


「いえ、大丈夫です。ただ……お姉ちゃん、ジャーナリストだったんですよ。この怪人街である事を調べていたようで……ぷっつりと、連絡が無くなったんです。つい、一週間前に」


「……まさか」


「消された──そう、思いませんか?」


「それなら、誰が」


 俺が問いかけようとした瞬間、目鼻の先の黒いニットの少女は、ニヤリと口の端を歪めると、さらに一歩こちらに近づいて、俺の携帯を握る手に、自分の手を重ねた。


「おい、ちょっと──」


 白魚のようなか細い少女の指が、俺の指と絡み合う。


 少女の指は華麗な指捌きで俺の指を携帯端末から剥がすと、そのままするりと少女の手の中に、携帯電話端末スマートデンワが収まった。


「ちょろいっ」


 しまった、と思った時には既に少女は俺から数歩離れた場所に退がり、得意気な顔で携帯電話をこちらに見せつけていた。


「近くにホテルを取ってます。もう少し詳しい話をそこでしませんか。わたしの事やお姉ちゃんの事、そして『情報』の事も、お話します。……わたしを壁外に連れ出すのは、それからでも遅くないと思いますよ?……?」


 携帯電話を器用に、ペン回しの要領で手の中で回転させながら、少女は提案を入れてきた。


 随分と大人びた言葉遣いの少女だと思っていたが、その得意気な態度からは、大人を出し抜いて自分のペースに乗せたことを喜ぶ、子供らしさを感じた。


 最初のおどおどしたような雰囲気よりも、おそらくこちらの方が本性なのだろう。


「それに、ここに長く居たら怪人衛兵サツを呼ばれそうだし」


 少女は足元に転がったハムスター怪人が持っていたナイフを眺めて言った。


 狭い路地裏には、先ほどまで戦っていた三人の怪人が、立ち上がれないまま失神している。


 それなりの強さの電撃を与えたので今暫くは起き上がる事は無いだろうが、この現場を誰かに見られたら、確かに怪人衛兵サツを呼ばれる可能性はある。


「……わかった。話を聞こう」


「やった」


 とはいえ、少女の話に気になる点があるのも確かだ。携帯電話も取り返さなくてはならないし、ここは一度、少女の話を聞くとしよう。


 俺達は、暗い裏路地を出て、少女が取ったというホテルを目指した。







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