ようこそ怪人街

第9話 papers,please




 第8ゲート前に到着したのは、予定時刻の七分前、午前一時二十八分だった。



 大きな8の字が書かれた分厚いコンクリートの外壁は、近くに寄って見るとなおさら威圧的だ。


 入街審査を行う門はこの壁の一部をくり抜いて造られており、大型車両が何台も通れそうなほどの大きさのトンネルになっている。


 トンネルの中にタクシーで入り、一分もしないうちに、トンネルの中頃に作られた入街審査所にたどり着いた。




 入街審査所では、まず車を駐車場に預け、トンネル内に併設されている施設で怪人衛兵サツ通行証パスポート審査・荷物審査を受ける必要がある。


 そこで問題が起こらなければ、危険物のスキャンを行われた車や荷物が返却され、怪人街に入街する事が出来る。


 ──当然、刀や拳銃などの武器は許可を受けなければ持ち込み不可能であり、また、正当防衛以外のそれらの使用は禁止されている。

 鶴見ガンダの暗殺の為に武器を持ち込むなど、もってのほかだ。


 さらに言えば、俺のような怪人殺しを生業とする人間は、普通に通行証パスポートを見せても、その時点でハネられる可能性も極めて高い。


 だから俺は今回、『内通者』に依頼して怪人街のセキュリティに侵入してもらい、違法に入国審査をパスする腹積りだったのだが──。




「……誰も、いない?」

 トンネル内に作られた入街審査場はガラス張りの建物で、駐車場からも中の様子が見えるようになっている。


 ちょうど、大きめのコンビニに似た大きさと外観の入街審査場は、その中に一切の人影が見えなかった。


 駐車場にも車が殆ど止まっていないのは、時間帯が深夜である事と、『内通者』に交通規制を掛けさせた事で納得できるが──。


「……職員どころか、『内通者』までもが、いない?……そんなことが?」


 本来の予定では、この駐車場で俺は『内通者』と合流し、偽造した通行証パスポートや約束した『ブツ』を受け取る予定だったのだが、周囲を見渡しても人影は一つも見えなかった。


 ──まさか。

 何か、トラブルでもあったのか。


 咄嗟に腕時計を見る。時刻は一時三十一分、約束の時刻までは後四分。まだ時間丁度では無いとはいえ、流石に焦りが出てくる。


 まさか、向こうが遅刻しているのか?

 いや、それは無い。

 相手はかの『コルヌコピア商会』のトップエージェントの一人だ。


 『商品・サービスを、絶対確実に提供する』を企業理念に、社会の表裏を問わず、絶大な利益を上げ強大な影響力を持つ企業のエージェントが、例え怪人街が相手だとしても、ヘマをするとは到底思えない。


 何より、俺は今回の『内通者エージェント』の──人格はまあ置いておいて──能力の高さについては、よく知っている。

 あいつが、失敗するはずが無いんだ。


 とにかく、『内通者』に──あの女に一度、連絡をしなければならない。

 ジャケットの胸ポケットの携帯電話端末スマートデンワに手をかけた、その時だった。




「動くな」




 いつの間に背後を取られたのか。

 後頭部に、銃口が押し当てられていた。


「お前、ここで何をしている?……怪しいな」


 続けて後ろから聞こえるのは、女の声。

 後頭部に感じる銃口の位置から判断して、背丈は俺よりも少し低い程度か。

 ヒールを履いていないのなら、女性としてはかなりの長身だ。


 ──どうする。

 相手がただの女一人なら、この状況からでも取り押さえるのは容易──それにここで捕まれば、『内通者』どころではない。

 ならば──。


「……おい、いつまで黙っているつもりだ?『通行証パスポートをよこせ、17秒待ってやる』」


 女の方に振り向こうと足に力を入れた、その刹那。

 女の言葉を聞いて、思わずハッとした。


「……『すみません、パスポートは妻に持って行かれてしまったのです』」


「『へぇ、どんな嫁さんだ?』」


「…………」

「…………おい、どうした?」

 これ以上は、言いたくない。




 『通行証パスポートをよこせ、17秒待ってやる』。

 『すみません、パスポートは妻に持って行かれてしまったのです』。

 『へぇ、どんな嫁さんだ?』。


 ──脱線した、意味不明な、なんだか作為を感じる、とてもとても不毛で空疎な会話。

 それは、『内通者』との合言葉だった。


 駐車場で合流した時に、万が一にも相手が変装した別人だった場合を考えて──とあいつが一方的に決めてきた、四文の合言葉。


 この合言葉の情報は、俺と彼女しか知り得ない──という事は、間違いなく後ろに立つ女は、俺のよく知る、『内通者』のあの女なのだろう。

 声もよく耳を傾ければ、少し声色を変えてはいるものの、聞き慣れたあいつの声そのものだ。


 後は続く一文を俺が言えば、合言葉は成立、なのだが──。


「……………………」

「……………………おーい、聞こえてる?」

 だが、言いたくない。


 当然、合言葉を忘れた訳ではないが、あの女のペースに乗るのは何か、こう、とにかくプライド的に嫌なのだ。


 そもそもお互いのこのぐだくだした態度がもう、すでに合言葉の答えみたいなものじゃないか。何だ、『おーい、聞こえてる?』って。もう演技すらしてないだろ。


「……『へえ、どんな嫁さんだ?』」

 うわっ、復唱しやがったコイツ。

 おまけにコツコツと、銃口で後頭部を叩いてきて、続く言葉を急かしてくる。

 実際問題、いつまでもこうして駐車場で遊んでいる場合ではない。

 そもそもこの女に仕事を頼んだ時点で、こうした茶番に付き合わされるのは織り込み済みだ。

 後は俺のプライドの問題、それだけなのだ。

 ──ええい、もうヤケクソだ。





「……『チャイナドレスがよく似合う、美人でスタイルの良い、僕の最高の妻です』!」


「……………………」

 ややあって、背後に立つ女が銃口を下げる。

 そして女は背後からぐるりと、俺の正面に回り込んで躍り出た。

 ──にやにやと、整った顔にからかうような笑みを浮かべて。


「はーい、チャイナドレスがよく似合う、美人でスタイルの良い、貴方の最高の妻でーす❤︎」


 そう言って現れた、大きな胸が窮屈そうなピンク色の旗袍チャイナ服を着て、かなり背の高いスタイルの良い美女は、やはりよく見知った顔だった。


 この女こそが今回、怪人街に入るにあたって協力を要請した『内通者』、中雷電チュンレイディン──名前の通りの中国人であり、俺の幼馴染だ。




「何が妻だ、全身ピンク女。変な合言葉にしやがって」

「まぁまぁ。このくらい不自然な会話じゃないと合言葉にはならないってぇ」


 そう言って調子良く笑うレイディンは、相変わらず全身がピンクだった。

 そう、全身がピンク。


 ふわふわとウェーブのかかった左に流したロングの髪もピンク。猫のように大きな目もピンク。ファンデもピンク、リップもピンク、肩に提げた有名ブランド物のカバンもピンク、ローヒールのパンプスもピンク、何なら手に持っている機械拳銃マシンハジキの塗装までピンク、ピンクピンクピンクピンク……。


 それぞれ色味が違うピンクのアイテムが、ダサくならない絶妙な組み合わせで、奇跡的なバランスで彼女の美しさを演出していた。


 ──趣味なのか、執着なのか。

 このレイディンという女は、幼少期から異常なまでに自分の周囲をピンク色で彩ることに拘る性質を持っていた。




「実際、中々聞き応えあったよ?スザクの愛の告白……いやー照れちゃうなー。こんな公衆の面前でなー、お前は俺の嫁なんて言われたらなー。……本気にしちゃうかもなー?」


 ついでに言えば、頭の中もピンク色だ。


「何が公衆の面前だ。ここには俺とお前しか居ないだろう」

「え、何?もうお前しか見えないってこと?」

「現実を見ろっつってんだよ」


 マシンガンの如く妄言トンチキをかますレイディンのペースに付き合うと、身体が何個あっても足りない。

 悪友として付き合う分には嫌いじゃないが、そろそろ、真面目になって貰わなくては。

 ──エサを、ぶら下げてでも。


「──おい、レイディン」

「はい、なぁに?あなた❤︎」


。だから、真面目に話をしよう」

「────」




 ニコニコと、人懐こそうな笑顔を浮かべていたレイディンの顔から、一瞬で、凍りついたかのように表情が失われた。


 ──彼女は何か、俺の言葉にショックを受けた訳ではない。彼女はそれほどヤワな人間でも、繊細な人間でもない。


 ただ、この表情もまた、彼女の一面というだけだ。とにかく明るい性格の、能天気な全身ピンク女、中雷電チュンレイディンとしてではなく、俺と会う以前から彼女の中にあった──冷酷で悪辣な、としての一面が、露わになっただけ。


 、達人としての、一面が──。


「──それは、闇黒電剣流エレクトロニック・アーツ正統後継者として、試合をする……と捉えていいのかしら?それとも、アツくてエローい、夜の試合の方?」

「前者」

「そう、わかったわ」


 レイディンは了承すると、肩に掛けたカバンから、小豆色の何かを取り出し、俺に手渡した。


 ──日本国の通行証パスポートだ。

 中身を見れば、俺の顔写真と共に、名前欄に偽名が記載されている。


 本籍地や生年月日なども出鱈目ではあるが、一体どうやって複製したのかわからないほど、カバーや紙の質感など、完璧に出来ている。


 怪人街内では、これを使えという事だろう。

 ふと顔を上げてレイディンの顔を見れば、先ほどまで見せていたものとは性質の違う、上品な、そしてビジネスライクな笑顔を浮かべて、こちらを見ていた。


「──では、仕事ビジネスの話をしましょうか、お客様?」 


 俺は、頷いた。






 ─────────────────────

 男キャラを書こうとしたらいつの間にか女キャラになってしまう悪い癖が出てしまいました。





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