第6話 レイディアントシルバーガン(2)
荒野に降り注ぐ雨の勢いは、今宵一番のピークを迎えていた。
夕立やゲリラ豪雨じみた、大粒の雨がアスファルトの道路を叩く。
雨音はもはや鳴り止まぬ拍手かドラムロールのように連続して、耳をつんざく。
「分かってるとは思うけど、アタシは『自分の体内で生成した糸を操る』能力を持つ、蜘蛛怪人なのよ」
雨嵐の中で、道路の中央に立つ蜘蛛女の声は、嫌によく聞こえた。
「知ってる?人間の神経繊維と蜘蛛の糸って、同じくらいの太さなんだって。確か、どちらも数ミクロンくらいの、ほっそーい糸。……だったらさ、アタシが自身の神経繊維という『体内の糸』を操る事が出来ても、そう不思議じゃないよね?」
蜘蛛女の足元を、猫程度の大きさの『何か』が、ゆっくりと這いずっている。
それは、右腕だった。
先程俺が切断したはずの右腕が、タクシーの屋根からひとりでに地を這い、女の足元まで戻ってきていた。
よく見れば、右腕には何か……限りなく細い糸が切断面から何十本も伸びており、その糸の先は、女の右肩側の断面に繋がっている。
「アンタに腕を斬られた時に思いついたの。怯えた演技でわざとアンタとの会話を引き伸ばして、油断させて……右肩から、見えないように細〜い神経の糸を伸ばして。タクシーの上の斬られた右腕と接続しよう……ってね」
蜘蛛女は、自分の足元の右腕を愛おしそうな手つきで、左腕で抱えて持ち上げた。右腕は、彼女が左手で撫で上げる度に細かく震える。
「お察しの通り、今アンタの右腕を拘束してる糸は、切断された右腕に、神経を繋げ直してタクシー上から撃ったものよ。言うなれば、神経繊維を使った有線での
蜘蛛女の右肩の肉が収縮と拡大を繰り返し、伸びた神経が、巻尺が巻き戻るように、すんなりと胴体に収納されていく。
糸が完全に胴体に戻ると、蜘蛛女は右腕を右肩にあてがい、右肩の断面と右腕の断面をぴたりと合わせる。
すると、ビクビクと右腕が一瞬だけひときわ大きく跳ねて、すぐに真下に垂れ下がったかと思うと、血が抜けて白くなっていた指先に、徐々に赤みが差してきた。
「……そして、切断された神経と血管を全部繋げ直し、あとは粘着性の糸で切断面をくっ付ければ、ほら。切断された右腕だって、簡単に元のように動かせる。……ちょっぴり元より短くなったけどね」
蜘蛛女は言いながら、ゆっくり、ゆっくりと右腕を持ち上げていく。
手先の感覚を確かめるように、指を第一関節から一つずつ折り畳んでは戻し、折り畳んでは戻し。
やがて、グーチョキパー、と素早く指で形を作れるほどに回復すると、女は俺に向けて、顔の前でピースサインを作って見せつけた。
「アーッハッハッハ!これでアタシの勝ちッ!騙されちゃったねぇアンタ!」
蜘蛛女の勝ち誇った下品な笑い声が、俺の精神を苛立たせる。
「おまけに自分から武器まで手放しちゃってさァ……アーッハッハ!ウケるー!アンタそれどうやって勝つのさ!そんな、腕を空中に吊られた状態でさァ!アッハッハ!」
女の嬉笑は止まない。身を捩り、パンパンと、くっつけたばかりの右腕で強く膝を叩いている。
怪人の回復力の凄まじさか、あるいはこの女自身の身体能力か、右腕はもう完全に肩と固着したようだった。
「お前、本当に勝ったと思っているのか?この程度の糸、動かぬとも武器が無くとも、電気を流せば簡単に焼き切る事ができるだろうよ」
既に勝ち筋はいくつか思いついているが、蜘蛛女に探りを入れるため、俺はあえて蜘蛛女の拘束の穴を言葉にして問いかけた。
そう、いくらこの女の糸が、人界の常識を超えた高い強度を持つ糸としても、蜘蛛の糸の主成分は、通電性の高いタンパク質である。
おまけにこの雨で糸も濡れ切っていて、電気はより通しやすくなっているはずだ。
「……だったらやってみれば?無駄だけどね。すでにアンタは、アタシのワナにかかってる。それでいいなら……ふぁ」
その事実を知ってか知らずか、事もなげに蜘蛛女が言い放つ──余裕たっぷりに、欠伸を一つ、付け加えて。
「……『電動』・『経始』」
ならば、その通りにやってみせよう。
体内発電を開始する言の葉と共に、俺の身体の内側に、電気がぴりぴりと疾る。
「『内功』・『流──』……何ッ!」
だが俺は、電力が全身に満ちようとする瞬間、半ば直感的に術を中止した。
目の前の蜘蛛女に、何らかの攻撃をされたからではない。
身体に電気を纏おうとした瞬間、右腕が強烈に軋んだからだ。
空中に吊られた右腕を見れば、間違いなく──先程と比べて、糸が腕を締め付ける緊縮力が強くなり、食い込んでいる。
痛みは無いがメリメリと、右腕から嫌な音がした。
「これは……まさかお前、筋肉まで」
「ククッ、便利なもんでしょ?アタシの能力……アンタらが
ガルバニズムという言葉がある。
イタリアの解剖学教授、ルイージ・ガルヴァーニの名に由来するこの言葉は、生体電流の電気刺激により、生体の筋肉が収縮する働きの事を指す。
有名なガルヴァーニの実験で、以下のようなものがある。
カエルの死体の脚に電流を通すと、死体の脚が痙攣し、まるで生きているかのように動き出すというものだ。
これは、死体の中の、まだ細胞死していない筋肉が、通電することで刺激を受け『筋収縮』を起こすために見られる現象である。
闇黒電剣流における身体能力の強化も、この『ガルバニズム』を、つまり『筋収縮』を利用することで実現している。
自身の体内で発電した電気で筋肉に負荷を与え、筋肉を強制的に収縮させる事で、随意に人間を超えた身体能力を発揮するのだ。
そして蜘蛛女は、『自身の糸に筋肉を混ぜる』ことで、『電気に反応し、筋収縮する糸』を作り出し、俺の腕に巻きつけた。
だから、身体に電気を纏おうとした瞬間に、右腕が強烈に締まったのだ。
彼女が先ほど見せた、体内の神経を伸ばす妙技のように──筋肉もまた、彼女の操作できる『体内の糸』に他ならない。
──筋肉とは、『糸』状の筋肉繊維の集合体だからだ──!
「蜘蛛の巣に張られる糸には、2種類あるのよ。粘着性の高い横糸と、同サイズの鉄線以上に強度の高い縦糸がね」
蜘蛛女は先程、俺の腕を縛りつけてからは、腕を組んだ棒立ちの姿勢のまま、あれこれと話していた。
戦闘中のフォームとしてはあまりに無防備なその立ち姿は、勝者の余裕の表れだ。
まるで、巣に捕えた獲物をゆっくりと捕食する蜘蛛のような、悠然とした立ち振る舞い。
それ程に彼女は、自身の勝利を確信しているのだ。
「あなたの右腕を縛っているのは、当然縦糸。電気を流せば──糸は筋収縮を起こして絞まり、ワイヤー以上の鋭さと強度の糸が、アンタの右腕を切断するわ」
アタシがやられたみたいにね、と自分の右腕をちょんちょんと左手の人差し指でつつきながら、蜘蛛女は続ける。
「これでもう電気は使えないわね。ちなみにあと数ミリ秒、電気を流してたら腕が無くなっていたわよ。さすがは電剣流、かしら?」
「そうかい。あんたくらい強い怪人に褒められて、光栄だよ」
「──フン、うそつき」
状況は、依然として変わっていない。
むしろ、悪化している。
右腕が拘束され、身動きは取れず。
武器は遠くの地面に置いたままで、手元には残っていない。
そして、電気を使えば右腕が切断される──。
「試しに右腕を諦めて、徒手空拳でアタシと戦ってみる?もっとも、片腕のアンタ相手なら、負ける気しないけどね……クックック、アッハッハ!」
挑発的な女の言葉に、さすがに俺も少し、腹が立ってきた。
同時に、腹を括るべきとも。
「……仕方がないな。諦めるしか無いようだ」
「えっ?なにィ?聞こえなぁい。もっと大きな声で言ってぇ?」
「お前を殺さないことを……諦めることにした。お前の言う通り、このまま……自分の腕を犠牲にしてでも、お前を殺す」
俺の言葉の意味を飲み込んだのか、蜘蛛女は半歩退がった。だが、すぐに自分の優位を思い出したのか、こちらにその得意気な顔を向ける。
まぁ、虫の顔なので、表情などわからず想像でそう思っただけなのだが。
「……ふゥーん、そう。でもさァ、出来んの?自分の右……」
「フンッ!」
山なりに身体をしならせ、一気に戻しながら体重を掛け、右腕を引っ張る。
ミシミシと肩が鳴り、腕に巻き付いた糸が大きく揺れる。よし、あと少しで『取れる』。
もう一度だ。
「フンッ!」
再度、身体をしならせた態勢から、全体重を掛けた右腕を思い切り引っ張り、肩に負担を与える。
あと少し、あと少し肩が回れば、引きちぎれる。──『取れる』。
そう思った矢先に、
「ちょ、ちょっと!アンタ何やって……」
蜘蛛女が困惑した声を上げて、気を散らせる。
まったく、そのくらい見てわからないのか。
「腕を身体から引きちぎる。その為に暴れている。かなり頑丈に胴体にくっついているんでな、無理矢理体重を掛けて引っ張らないと、『取れん』」
「……いやいやいや!な、何でそうなんのよ!そりゃ、腕を縛ったのはアタシだけど、電気を腕に流して切断したほうがはや──」
「フンッ!」
蜘蛛女の言葉を遮って、俺は渾身の力を込めて右腕を引きちぎった。
「ヒッ……!」
蜘蛛女が、思わず首を振って目を逸らす。
ブチブチとジャケットとシャツが破れる音と共に、俺の腕は蜘蛛の糸に引っ張られ、空中に吊り下がった。
「……
蜘蛛女が驚愕しながら、宙に浮かぶ腕を見た。
ジャケットの袖ごと糸に捕まり、地上から2メートルほどの空中に浮かぶ腕からは、出血は無い。
代わりに、肩から無理に引きちぎった事で、神経接続用の端子コードや細かい部品、そして雨に触れてショートした火花などが、腕の断面からこぼれている。
それは、鉄製の腕だった。
黒の手袋を付け長袖を着る事で、それと分からないように普段は隠しているが、俺の右腕は、ある事情により
「──だからさっき言っただろ。『カビる』んじゃない、『サビる』んだよ。俺の場合はな」
右腕が身体から離れフリーになった事で、俺は今度こそ自由に
腕を引きちぎった勢いで、俺は頭から地面に転がる。だが、格好は最早どうでもいい。
電剣流を再び使えるようになったとはいえ、片腕のハンデはとても重い。
今はまだ蜘蛛女は混乱しているようだが、彼女は間違いなく強敵だ。
今までに戦った相手の中で、三指には入る。
冷静になられたら、素手では、負ける。
──武器がいる。
この状況を覆す為の、武器が。
道路に膝をつけたまま、俺は先程地面に捨てた、三つの武器に向けて手を伸ばし、叫ぶ──!
「『
生体電流があるように、生体磁気もまた、あらゆる生物の中に遍在する。
そもそも磁力とは、電気的力の一つである。
電気を帯びた粒子の運動によって発生するのが電流であり、その電流が生む力こそが磁力である。
故に。
電力を支配する
同時に、磁力をも支配しているのだ。
手から放つ電磁力により、地面に落とした刀を引き寄せ、手の内に収める。
これこそが闇黒電剣流・無刀奥義『
この技の存在により、電剣流の
左腕のみの状態では、使える武器は一つだけ。あの蜘蛛女を一撃で仕留める武器、それだけを引き寄せなくてはならない。
俺は躊躇わず、『その武器』を、電磁力で引き寄せた。
重量2.5キログラム、全長25センチ。
45口径特殊電導弾頭使用、装弾数6発、ダブルアクションリボルバー銃。
銀色の銃身と、古風な木製のグリップの拳銃。
──
「『電動』・『経始』……!」
俺は転がった姿勢から、素早く左膝立ちになって、失った右腕の代わりに、立てた左膝で左腕を支え、銃口を蜘蛛女に向けた。
数分ぶりに突きつけられた銃口を見て、蜘蛛女は目を丸くし、やがて、
「……アハ、アーッハッハ!」
状況を理解していないのか、狂ったように笑い始めた。
「……何がおかしい?ついに馬鹿になったのか?」
そう言うと、蜘蛛女はさらに大きく笑う。防御にも攻撃にも転じる事なく、げらげらと。
「アハ……バカはアンタの方よ!忘れたの?アタシの糸は……徹甲弾すら受け止めるって、言ったじゃない!」
大きく腕を開き、手を広げ、まるで我が子を迎え抱き上げる母のような体勢で、蜘蛛女は銃口の前に立つ。
完全な、無防備。完璧に、慢心。
そんな蜘蛛女の油断をそのまま示すようなポーズだった。
「良いわ!撃ってきなさいよ!その銃に弾丸はあと何発残っている?さっき2発撃っていたようだけど、それでアタシを殺せる?……電磁力で武器を拾うのは良いけど、武器の選択を間違えたようね!だからアンタは……!」
「馬鹿だな、お前。強いけど、馬鹿だ」
「はぁ?」
蜘蛛女が、不機嫌そうな声を上げた。
「『2発も』頭に撃って殺せなかったのよ?……多少弾数が変わろうが、その銃じゃアタシには……」
「だから馬鹿だって言ってるんだ。あん時は手加減して『2発だけ』撃ったって俺は言ったがな、本当に殺すだけなら、弾丸は2発どころか一発あれば事足りるんだよ」
蜘蛛女は未だ、俺の言葉の意味が理解できていない様子だった。
それが、彼女にとっての生死の分岐点とも知らずに。
俺が彼女なら──今すぐに、背中を向けて全速力で逃げるところだ。
そして今すぐ逃げるなら、まだ──見逃してやってもいいと思えたのに。
もう、十分な電力が溜まってしまったから。
もう、殺すしかないじゃないか。
「いいか、お前の目の前の男は、電磁力を操る能力を持った、
俺の体表に、蒼い電流のオーラが現れる。
体表から流れ込む電流が、『インドラ』の銃身を覆う。
銃身は、蒼の電光を浴びて、銀色に輝ける。
その光を見て蜘蛛女はようやく、自分に向けられたソレが。
自身の行いへの応砲である事に、気がついた。
「……まさか。レール、ガン」
答え合わせとして、引き金を引く。
炸薬の爆発音と強烈な衝撃波が混ざった銃声は、雷鳴の如き爆音として、荒野に轟く。
アスファルトの道路ごと衝撃波で破壊する、僅か1センチ弱の必殺の弾丸は。
確かに一発で、蜘蛛女の五体を、バラバラに消し飛ばした。
─────────────────────
ようやく決着しました。
バトルはこれからも大体こんなノリの、トンデモ科学ゆで理論チャンバラになると思います。
面白いよね、キン肉マン。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます