第5話 レイディアントシルバーガン(1)




 蜘蛛女の右腕を断ち、すれ違った後。

 俺は素早く反転して蜘蛛女の方に向き、刀を構え直した。


 依然として強い雨が降りしきるアスファルトの道路は、俺が走り抜けた箇所だけが電熱により水分が蒸発し、乾いた地肌を見せている。


 蒸散した雨は水蒸気となって、俺と蜘蛛女の間に、薄く漂っていた。




 敵に向かって走りながら、電気操作で筋肉細胞を操作・強化することで一気に急加速し、すれ違いざまの一刃を放つ技──それが闇黒電剣流エレクトロニック・アーツ・『颶風斬ぐふうぎり』。


 俺が最も得意とする基本技だ。

 この技の受け手は、自身に対して向かってくる敵が、刀の射程外から突如加速し近づいてくる為に、防御や反撃のタイミングを失い、斬られてしまうという。


「う、嘘でしょう……?怪人並みに……早く……動ける?そんな人間が……居るはずが……」

 蜘蛛女は慌てた様子で、残った左腕から強粘着質の蜘蛛糸を射出し、右肩の傷の断面に当てて、すばやく器用に巻いた。

 即席の止血帯というわけか。

 中々便利な能力もあったものだ。




「まさか……まだ生き残りが居たの……!……闇黒電剣流エレクトロニック・アーツッ……!」


 蜘蛛女の能力応用に感心した中での、この発言には少し驚いた。

 まさか、この女が我が流派に対して、多少なりとも知識があるとは思わなかったからだ。


 闇黒電剣流エレクトロニック・アーツの名を知る怪人は、少ない。

 電剣流と戦った怪人は、ほぼ確実に不帰の客となるからである。

 僅かな生き残りも電剣流の剣士からの報復を恐れ、剣術の詳細に関しては口を噤むのが殆どだ。


 そんな中でこの女は、闇黒電剣流エレクトロニック・アーツの名前だけならまだしも、『まだ』『生き残り』と表現した点から、三年前に闇黒電剣流エレクトロニック・アーツの剣士達に何が起きたかさえ、ある程度は知っている様子だった。




 ──ならば。

 そこまで知っているのならば。

 あの『男』の足取りについても、何らかの情報を持っている可能性が高いのではないか──!




「……お前、どこまで知ってる?」

 女に気取られぬよう、興奮する胸の鼓動を必死に抑えこまんと徹しながら、俺は蜘蛛女に刀を向けた。


「……さ、さぁね……!正直に話すと思う?こっちは腕まで斬られたのよ……?あんたに話すくらいなら、し、死んだ方がマシよ……!」


 蜘蛛女はよろけながら、そして声を震わせながら、語気を強くして抵抗する。



 伊達にAランク怪人をやっていないのか、蜘蛛女は重傷を負い、恐怖しながらも、虚勢を張る程度の根性はあるようだった。

 ならば、たとえここでヤツを拘束し拷問したとしても、女は決して口を割らないだろう。


 相手は仮にも怪人街の住人としてAランク級の力を持ち。


 怪人街と外を繋ぐ運び屋稼業で今まで生き延び。


 そして右腕を失った今でさえ、敵に啖呵を切る程には覚悟の決まった女だ。

 拷問の痛みにもそう挫けはしないだろう。


 対して俺は、斬り合いならともかく、拷問に関しては素人だ。

 口を割らせる自信はない。

 むしろ、情報を聞き出せないまま、力加減を誤って女を殺す可能性の方が高い。


 ならば──。




「……だったら交換条件だ。情報を引き渡すなら、生かして街に帰してやる。それでどうだ」

 俺は刀を鞘に納め、体内の発電を中止し、帯電状態を解いた。


 纏っていた蒼のオーラは一瞬で霧散し、全身の力が抜け、鋭くなった五感が元に戻る。

 蜘蛛女は俺の行動に動揺したのか、一瞬目を見開いたものの、


「………………じ、銃も捨てなさい。あと、まだ武器をもう一つ、服の下に持っているでしょう?そ、それも捨てたら、話を聞いてあげる」

 そう言って、即座に取引に食い付いてきた。


 どうやら、事情通なだけに頭はそれなりに働くようだ。

 この取引のチャンスを逃したら自分が生きてはいない事を、彼女は良く理解している。


 おまけに、服の中に隠していたもう一本の脇差かたなの存在まで既に見切っている様子だ。

 修羅場をそれなりに潜ってきた、怪人としての経験を感じる。


「いいだろう」

 俺は腰のベルトから『千秋せんしゅう』を抜き、地面に置く。


 続いて、ジャケットの中の機械拳銃マシンハジキ『インドラ』と、機械小刀マシンヤッパの『照影てるかげ』をそばに並べた。




「これでいいか」

「……い、いいわ、話を聞きましょう。ただし、アタシの身が危なくなるような情報は渡せない。それでいいのなら」

 十分だ、と俺は蜘蛛女に返答した。


 当初の予定とは異なる形になったが、女を話し合いのテーブルに着かせる事には、とりあえず成功した。


 もとより最初に女を騙し討ちしたのは、頭にダメージを与え身体の自由を奪い、有利な状況であの『男』の情報を引き出す為だ。


 無論、この女の口から俺の情報が漏れないよう、口止めの為にそれなりに痛めつけるつもりではあったが、殺すつもりはそもそも無い。


 そして、蜘蛛女もここまで実力差を見せつけられれば、余程のバカでもない限り、嘘も隠し事もしない──はずだ。




 俺は、シャツのポケットから一枚の写真を取り出し、すっかり萎縮した様子の蜘蛛女に向けて掲げる。


「んん……?何それ……?」

 雨が降る夜かつ、周囲に灯りが無くとも怪人の視力ならば、写真に写ったものが何なのかぐらいは分かるだろう。


 蜘蛛女が目を凝らして写真を見ていることを確認し、俺は口を開く。


「……この『男』を知っているな?半年前、運び屋であるお前のタクシーを使って、この『男』は怪人街に入ったはずだ」


「え、ええ、そうね。確かに覚えてる、その人を乗せたこと。でも……その写真……そ、その『男』って……」

「……この『男』に関する、お前が知る情報を洗いざらい話せ!」


 怪訝そうな声で蜘蛛女が何か言いかけたのを、強引に大声で遮り、俺は蜘蛛女に一歩近づいた。

 すると、蜘蛛女は恐れをなしたのか、「ひっ」と短い悲鳴を上げて、一歩後ずさる。


「ア、アタシだってその人のこと、良くは知らないのよォ!普通にお客さんとして乗せて、普通に世間話をしただけで……」

「わかった。それならしょうがない。殺す」


 俺は蜘蛛女にさらに一歩近づいた。


 蜘蛛女を追い詰めるため、ドン!と。

 わざと踏鳴ふみなりを使い、大きな足音を立てて、一歩ずつ近づく。

 その度に道路が地響きし、タクシーが揺れ、水溜まりに波紋が広がった。


「……ひっ、ひっ、やめ……あっ!」

 蜘蛛女が素っ頓狂な声を上げたので、俺は持ち上げた足を止める。

「どうした?」




「ア、『アリーナ』!『アリーナ』よ!その人!『アリーナ』に行くと言っていたわ!」




「……『アリーナ』に、か。その情報、確かなんだろうな?他に何も隠し立てしていないだろうな」

「ほ、ほんとよ!信じてよォ!アタシだって、こんな目に遭わされて嘘つくほど娑婆シャバくないわ!」


 蜘蛛女の声色に嘘は感じない。

 というよりこの女、腕を斬られてから随分とヘタレてきてはいないだろうか。


 もしかしたら、追い詰められると気の弱さが出る気質なのかもしれない。


 いずれにせよ、蜘蛛女がこの期に及んで嘘を付くことは無いだろう。

 あの『男』は間違いなく、半年前に『アリーナ』に向かった。

 それだけ分かれば、もう充分だ。


「……よし、お前を信じよう。約束通り、生かしてやる」

 写真をシャツに仕舞い込み、俺は蜘蛛女から一歩、遠さがった。


「……ほんとう?」

「ああ。本当だ。剣士サムライは嘘は付くが、約束は守る。最初に騙し討ちをしておいてなんだが、念書を書いてもいい」

「そ、そう……」


 俺はさらに一歩、遠さがる。

 それを見て蜘蛛女は、自分を庇うように前に出していた左手を解き、素立ちの姿勢に戻ろうとしていた。

 警戒を解いたのだ。


「ただし、条件がある」

「……条件?」

 蜘蛛女の声が、少し、低くなった。




「お前のタクシーを貸せ。俺が怪人街に入る為に必要だ。お前はこのままここで待機、日が昇る頃に街に戻れ。タクシーは、第8ゲートの近くに停めて返してやる」


「……」




 腕時計を見る。

 時刻は午前一時五分。

 蜘蛛女と戦いはじめてから、五分が経っている。


 『内通者』が第8ゲートに敷いた交通規制が、いつまでつかはわからない。

 まだ時間に余裕はあるはずだが、怪人街のセキュリティ相手に、果たしていつまで工作が通用するか。


 早急に、街に向かわなくてはならない。

 だからこそ、タクシーは必要だ。


 闇黒電剣流エレクトロニック・アーツの肉体強化術を使えばタクシー以上のスピードで荒野を突っ切る事は可能ではあるが、さすがに外壁までの長距離を電気操作しながら走り抜けるのは、あまりに肉体に負荷がかかり過ぎる。


 それに、いざ怪人街で戦闘となった際に電力不足を起こしたら話にならない。

 ここは電力を節約し、タクシーで向かうのがベターだ。


 かと言って、このまま蜘蛛女にタクシーを返し、第8ゲートまで運転させるのも、それはそれで危険だ。

 大人しくこちらの指示に従うとは限らないし、第8ゲートへの侵入着前に裏切られる可能性もある。


 そうすれば、ゲート付近に駐在する怪人衛兵サツと戦わなくてはならないし、怪人街中に俺の指名手配が回り、今後の行動に少なからぬ制限が掛かるだろう。


 蜘蛛女を殺さないにしろ、しばらくはここで待機させる必要がある。

 そう考えての発言であった。


「……わかったわ。あんたの言う事に従う」

 蜘蛛女は想像以上に落ち着いた様子で、こちらの条件を呑んだ。


 先ほど、『ヤツ』の事を問い詰めた時のように、もっと小うるさく抵抗するものと思っていたが、実際あっけないものだった。


 蜘蛛女は血まみれの制服のスラックスから、ジャラジャラと交通安全のお守りや、チープなデザインのマスコットキャラクターのキーホルダーや、鈴やらが大量に付けられた車のキーを取り出した。


 小ぶりな鍵にあまりに多くのキーホルダーを着けているものだから、どちらが『キー』の『ホルダー』なのか、主客が逆転していそうなほどだった。




「鍵がいるでしょう。投げるから、受け取って」




 ああ、と返事をして、投げられるキーホルダーを受け取る構えを取ろうとした瞬間だった。


「!」

 何の合図もなく、既に鍵は投げられていた。

 山なりの軌道を描いて、高く、高く、空中に。


 ジャラリ、と鈴の音を鳴らしながら、俺の顔面に向けて、車の鍵が迫る。

 咄嗟の事だったので、俺は反射的に右手を伸ばして、上から落ちてくる鍵を掴み取ろうとした。


 だが。




「ハハッ……ハッハッハ……!バァァッッカねぇ!こんなフェイントに引っ掛かるなんて!」

 先ほどまでの慄きが何処かに消えたかのように、蜘蛛女の得意げな嗤い声が響いた。




 鍵を掴もうと伸ばした右手には、いつの間にくっ付けられたのか、ロープのように太い蜘蛛の糸が巻き付いていた。


 糸は、鋼線のワイヤーの如き強度と張力で、指一本に至るまで締め付けられており、まったく動かせない。


 まるで電車の吊り革に掴まっているかのような、空中に腕を伸ばした姿勢で、俺の腕は完全に固定された。


 そして、蜘蛛女に投げつけられた鍵は、そのままの軌道で俺の頭頂部にぶつかって、ジャラリと音を立てて、地面に落ちた。


「……鍵は囮か。俺の腕を糸で拘束して、反撃に転ずるための。……となれば、さっきまでの怯えた態度も、全部演技か?」

 分かりきった事を口にすると、蜘蛛女は得意げそうに胸を張った。


「ええそうよ。あなたの注意を引く為に、あえてね。そして今、あなたの視線が鍵に集中している間に糸で縛らせて貰ったわ」


 そこまではわかる。

 『ヤツ』の思わぬ情報に飛びついて、女の弱気な態度に油断した、俺の失態だ。


 わからないのは、、という点だ。


 例え上空の鍵に視線を奪われていたとしても、目の前の蜘蛛女が何か怪しい動きをすれば、察知くらいは出来たはずだ。

 だが、俺から見える範囲では、鍵を投げた後、女は何も怪しい動きは見せなかった。

 一体どうやって、どこから糸を吐いたというのか。

 あるいは──俺は何か、致命的な見落としをしてはいないか。


 思考を巡らせた、その時だった。


 ……ゴトン、ゴトンと。

 タクシーの方から、何かが落ちる音がした。

 ──視線を送ると、そこには。


「腕を斬ったからって、油断したでしょ?もう二度と右腕は使えない、糸は吐けない……ってね」


 






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 『照影てるかげ』の由来は、照英です。

 次回決着って前回書いちゃいましたが、うまくいきませんでした。すみません。

 でもいつもの倍以上の量書いたので許してください。

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